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事務所費問題の政治家顔前負けの報道ステーションの伊藤一長長崎市長を銃殺容疑者の「手紙」の説明

2007-04-27 01:43:15 | マスコミ批判
伊藤一長長崎市長が銃撃されて命を落としてから一週間ほどがたった。

ご冥福をお祈りするとともに、この事件が起こってしまったことならびにこの事件の後のさまざまな実に嘆かわしい報道や発言の数々、まったく嘆かわしい限りであって腹立たしい限りであるこをもいわざるを得ず、自分はこの人のことをまったく知らなかったが慙愧に耐えない。


つまりもうこれは一政治家や一個人の死というよりも日本という国がここまで自己中心的な人間たちの集まりであることを如実に示してしまったということをまざまざと見せ付けられた一週間であったといっても過言ではない。


とにかくあげ始めたらきりがないが、長崎市民や国民の大部分は本当にこの人の死をなげき悲しんでいるのだろうが、マスコミや政治家、などがどれだけこの事件を人間の死としてとらえ悲しんだか、ということが大変問題であった。

むろん自分には直接は関係ない事件であるが、自分がこの事件の一報に接した時に思ったのはこういうことであった。

推測で言わせてもらえれば「重体」という言葉を聞いて思ったことは、もしかしたらすでに死んでいるかもしれない、ということであった。

もちろんできれば生きていてほしいが、もし実際は「即死」の状態であるのに、ご家族の方が必死に延命治療を懇願したら、本人にとってもよくないのではないかということを考えていた。

どうも長時間にわたる手術で大量の輸血をしたらしいからそういうこともあったのかもしれない。

そして自分は床についたところで聞いていたAFNで‘shot to death'という言葉を聞いてこれで安らかに眠られるものと思った。

しかしその後の報道はまったく死者をなんと思っているのかと思うような政治利用や、非難合戦の様相を帯びた。

はっきり言ってこれでは美しい国どころか醜い国である!

安倍首相の真相究明するなどという言葉もやり玉にあげられたようだが、これは本人も言うように言いがかりである。

特に犯行予告を受け取りながら見殺しにした報道ステーションの加藤が批判するのはとんでもない話だ。

むろん安倍の最初の談話の時の表情は自分は気に喰わない。

しかし、そういうことまで言い出したらきりがないので、おいておくとしても、久間の発言がご本人がなくなる前になされたことも非難されたが、たしかにそれは問題であったろう。

しかし、選挙制度に問題があるというより自分の感覚ではこういうときに立候補する神経がまず分からない。

したがって後継者の人の感覚も分からないし、今度当選した人も当選してにたにたしてるのは非常に気分が悪い。

とにかくここは新しく立候補するのは控えて、4年後?を目指すこともできるのだし、こういうことが起こった直後に立候補して地位につこうなどというのは一体どういう神経をしているのか。

はっきり言えばこの人たちは一人の人間を単なる政治家としてしか見ていないことは明らかである。


一人の政治家の死をめぐってようするに人間というのは政治家であれ誰であれ、単に利用されているだけに過ぎぬということがよく分かった。


そんなこと今さら分かったのか?と言う人もいるかもしれないが、マスコミが人を見殺しにするということを今回報道ステーションのあたふたぶりで初めて分かった人も多いと思うので言わせてもらうが、マスコミが人を見殺しにしたり殺人の場面などを放送などをすることで発行部数や試聴率をのばそうとするのは今回に限ったことではない。

朝日グラフなどの三島由紀夫の生首の写真掲載

豊田商事会長(投資ジャーナル幹部と最初書いたのは間違いですね、すいません)がマスコミの前で刺殺

オウムの幹部にTBSが放送前のビデオを見せてその後坂本弁護士一家殺害

など。

(そういえば今回は事件直後映像などはけっこうあるが事件の瞬間の映像などはないようだが以前オウムの幹部が刺殺されたときにその場に居合わせたカメラマンが犯人を前もってとらえていた映像が放送されて、たしかあれも後からいろいろ不審がられたりしたのではなかったか)



ようするにマスコミというのはこういう事件を取り上げることが仕事であってそれで利益を得ているのだから報道ステーションが犯行予告(最初は殺人予告と書いてしまいました)を無視したのは驚くに価しない。


むしろ殺人予告を無視したのではないと言い張っている事のほうが恐ろしいことだ。


それ以上に恐ろしいのは石原都知事のような人には数え切れないほどのSPをはべらせながら長崎市長には一切SPをつけない感覚で、これはまったく信じられない感覚である。

足立区長と長崎市長は行政単位としては同じようなものかもしれないがこの国にとっての政治的重要性の点から言えばまったく比較できないほど長崎市長のほうが偉大な存在である。

追記:だからSPは足立区長とは違ってつけるべきだったということですね。

これを契機にSPをつけるとしたらかえってやるせない。

今までどおりもう絶対にSPなどはつけないでほしい。

それと今回の凶行は「選挙中の卑劣な行為」などと言ってる向きもあるようだが、これもとんでもない発言である。

いついかなる時でもこんな犯行は決して許されない。

アメリカでの銃規制の必要性をえらそうに言ってみたところで銃規制をしている日本でこのような事件が起こっているのでは説得力ないどころかちゃんちゃらおかしい話であり、ようするに警察が暴力団を取り締まらない怠慢の証明である。


それにしても報道ステーションは城尾容疑者からの犯行予告を全文公開しただろうか?

こうなった以上、犯人の主張に耳を貸すことになるかも知れないが、番組中にすくなくとも全部読み上げなかったら犯行を予告している部分はないといわれても検証のしようがない。

そもそもあのようなものが届いたら、それだけで少なくとも警察には報告すべきだったことは言うまでもないが、自分たちが持っているものを一部しか公開せずに犯行声明であるといってみたり、手紙であると言ってみたり、これではまるで事務所費の「説明」をしている政治家よりひどいではないか。

全文公開せずにこれは犯行声明だの、手紙であるだの言ってもしょうがないだろう。というか、われわれ視聴者は報道ステーションに届けられた報道ステーションが手紙と主張するものがただの手紙かどうか判断のしようがない。

自分が見たどこかのページでは「今回のことは。。。」というような箇所もあったようだが、確かめようがない。

放送中に訂正しておきながら後日、訂正する前に何度も検討したなどと言っていようだが、放送中の短い時間に何度も一体あの「手紙」をどれだけの人間がどれだけ読んで、会議を開いたというのか?

たしか古館も含め検討したようなことを言っていたと思うが、古館は放送中であって「訂正」は寝耳に水であったのではないか?

ようするにこの事件でもって話題を集めようとしていることがバレバレなので訳の分からぬ訂正の説明をしつづけたわけである。

事務所費問題で騒がれている政治家を非難する資格はないと思ったらまた新たな問題を放送しだした。


それにしても城尾という容疑者は報道ステーションの心理を実にうまくつかんで利用したといえる。

殺人事件を起こせば自分の主張を番組で大々的に扱ってくれるであろうという彼のもくろみはまさしく遂行されたといってよい。

こういうことをしながらそれでも善人を装う人たちは実に腹立たしいが、そういう最低の人たちの番組を見ている自分も同類ということか。


実にかなしいものである。


自分たちは人を見殺しにしておいてよく政治家のことを税金の問題ですからね、などとよく偉そうなことを言えたものだ。

松岡の問題にしても法律的には問題はないといいますが、などと何べんも批判するのはかまわないが、人を見殺しにすることと税金をちょろまかすこととどちらが問題かといえば、自分は前者のほうがはるかに問題であるし、それを問題とは思わすに、あるいは見殺しにしていないといい自分に言い聞かせて善人づらするのはそれい以上に問題である。