妄人妄語 衆議院議員野田聖子さんの選挙公約消去 有権者・国民を愚弄するサイト一時閉鎖に抗議します!「非道」はどっち?

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こんなに落ちこんどるっちゅうのに!グーのメールときたら。。。

2006-10-28 02:35:48 | クダ

「ミドリガメは冬眠が必要?」とかなに言うとんねん!

ってあんまここでも文句言うと、どないなるかわからへんから、

よういわへんけど、なんか小学生みたいなんやなぁ


すっごぉお~いくらい記事書こうとしたけど、ようかかれへんワイ

で、その記事どこへあっぷしたろ

とにかくいまだにへこんでます。

今日も色々あったし明日もあるんやろ。

もういやだ


筑波大学の加藤和彦教授らが計画するセキュアVMの計画はもっと具体性を示すべきでは?

2006-10-17 22:14:14 | クダ

インテルと筑波大学が協力してOS環境の開発をするニュースが出た。こちらです

しかしこの計画はそのページの下の方にリンクがあるところ(こちら)
を見て分かるようにすでに半年ほど前には計画は発表されていたもので、もう少し正確な言い方をすると、筑波大学などが計画あるいは開発しようとしている計画にインテルが協力することになったということだろうか。

開発の計画もすごく曖昧でいついつまでにこれだけの機能を備えたOS環境が完成されて市場に出すなどといったことはあまり書かれてはいないようだ。

そもそもすでに多くの大学などが協力して開発することは決まっていたのに、なぜ今頃インテルが参加することになったのだろうか。

このニュースで気になるのは以下のような部分である。

**********************************
筑波大学システム情報工学研究科の加藤和彦教授は、「セキュアVMを稼働させるためには、プロセッサの最先端仮想化技術を使いこなすことが必須。インテルの技術支援により、セキュアVMの開発が加速する」と期待を述べた。
**********************************


ここでは示されていないが国の予算も億単位で出るのではなかったか。

インテルが参加しない段階でもすでに計画は発表されていて、国から予算もでることが決まっていたようであるが、その段階では開発はあまり進まないということだったのか。

開発に要する期間も3年とされているが、3年かけて予算を受け取っていながらもし万が一きちんとしたものができなかったらその予算はどうなるのか。

そういえば超漢字と言うソフトも学振の予算が出たものだったと思うが、その性能はそれなりにいいものなのかもしれないが、最近ではWindows上で動くバージョンが販売されるようになった。

超漢字に関してはデバイスと言うのだろうか、ようするにプリンタなどで対応するものが限られているので、Windows上で動くものが歓迎されるということだろうが、これではようするにWindowsの代わりに超漢字を使うのはかなり難しいということを認めたようなものである。

超漢字は機能に特色があるようなので比較するのがいいか分からないが、筑波大学を中心とするチームが開発しようとしているセキュアVMなる「OS環境」は単体でOS環境として機能するものでないもののようだ。

かりに既存のOSを使いながら安全性を高めるものだとしたら、本当に安全性がこのセキュアVMによって高まったと判断する手段はあるのだろうか。

むろんMicrosoftなどだってセキュリティに対する対策はとり続けてゆくのは当然のことであるし、なぜ既存のOSのセキュリティ対策を補完するようなプログラムを予算をつけて開発しなければならないのか非常に疑問である。

(上の三つの段落は一度アップしたあと《10時半ごろ》に大幅に書き直しました)

このニュースでは一般に流通させられるOS環境を目指しているのかさえも曖昧である。

ITに関してなら予算をどれだけつけてもいいというものではないだろう。

3年後にどれだけのものができるのか、忘れずに見届けたいと思う。

つまらないことかもしれないが、msnのトップに関して納得がいかないことの一つ

2006-07-13 02:53:41 | クダ

今、msnのトップには「ジダン頭突き真相TVで告白へ」と書かれた見出しがある。

そこをクリックすると、今度は

「サッカーW杯:ジダン選手、TV出演へ…暴力真相に言及か」

という風に書かれていて、さらにそこの見出しのようなその部分をクリックすると今度は

「生放送のインタビューで真相に言及する可能性がある」

という文が最後に書かれている。


なんだかだまされたような気がするのは自分だけだろうか。

もちろんもうすぐそのテレビは放送されてジダンが真相を告白する「可能性」はあるのだろうが、いずれにしてもはっきりとは分かっていないことをさも分かったように書いているのは明らかなように思える。

こうしたことがどうもしゃくにさわるのは実際にジダンが真相を話すと決まっているわけではないのにさもそのことが決まっているかのようなニュースの見出しを出して、しかも一度にはそのことについて情報を出さずにわざと短めのニュースの記事を出していることだ。

このページ

と、その上の部分をクリックすると現れる

このページ

との違いはあまり無いように見える。

というよりも、ようするにこれはなんどもクリックをしていろいろな広告を見せようとしているととられても仕方がないだろう。

しかもそのニュースたるや、最初の部分からは非常に興味をそそられるものであるが、クリックしてゆくとその興味が失われるものであるばかりか、そのニュースの信憑性を自ら否定しているかのような文言に出くわすわけである。

ここではもはや「ニュース」というものが、「広告」あるいはもっとはっきり言えば「広告の広告」と化してしまっている印象さえある。


しかもこの「広告の広告」たるや「誇大広告」であることを自ら暴露しているようなものですらある。


むろん実際にジダンが真相を話す可能性はあるのだろう。

しかし、「可能性がある」という段階で「告白へ」という書き方をするのは読むものを欺く書き方ではないだろうか。


「告白へ」と「言及か」は明らかに違う内容を表す言葉だと思うのだけれど、この違いをもしかしてmsnの人は分からないということなのだろうか。

もちろん自分も絶対の自信があるわけではないが、やはりどう考えてもむしろこうした「見出し」を考えた人は次のページをクリックするような工夫をわざとしていると見るのが自然であろう。

全くもってmsnというのはしたたかな計算がうまい会社だと思うが、自分はきわめて不愉快である。

ジダンはこういう見出しの書き方をされていることを知っているのだろうか。


真相を話すかどうかは分からないが、それが確実ではない段階で「真相」を「告白」することが決まっているかのように書いている印象は否めず、そのこと自体、おかしな話だと自分は思う。


ちなみにどういうことが言われたのかはもうすでにいろいろなことが言われているので、今さらそういうニュースに飛びついてしかも怒っている自分もアホらしいといえば、アホらしいかも知れない。


ひょっとしたらそうしたことまで考えてこういうニュースの見出しを考えてるのではないかと思うとますます腹立たしい。


まじめな話し、ニュースというのは勝手に宣伝のために大げさにしたりするようなことはやめるべきで、実はジダンの「件」に関してもすでにそういう状況になっているのかもしれないとも思う。

植草元早大教授と比べて日テレの盗撮のアナには会社も薮本雅子元日テレアナも少し甘すぎるのでは?

2006-05-24 22:09:56 | クダ

日本テレビの某男子アナが女子高生のスカートの中を盗撮したことで逮捕されたようだが、日本テレビではそのアナウンサーの実名は出さず、いわば身内をかばう形になっているようだ。

あまりこのことは詳しく追いかけてないので、正確なところは分からないが、ようするにそれもこれも日本テレビがしっかりしていないからだと思うのは自分だけであろうか。

たしか元早稲田大学教授の植草という経済学者はエスカレーターで手鏡で女子高生のスカートの中をのぞいたということで実名報道され、大学をクビにななったのではなかったか。

しかも本人は犯行を否定していたはず。

真実は分からないけれど、たしか被害者とは民事で示談していたと思う。


これと比べていいかわからないけれども、やはり日テレのアナウンサーはやはりずいぶんと会社から守られているな、という印象は強い。

この件で薮本という元日テレのアナウンサーが自分のブログでその社員を「擁護している」ともとれる内容の記事を書いて、そのブログが「炎上」した。

なんでも一度問題の記事を削除してそれでまた復活させてらしいが、「騒動」は静まらないらしい。

こちらをご覧ください

日テレではこういうことが初めてではないらしくて、前に懲戒解雇された人がいて、その人のことなどもかいているらしいし、復活した記事がどれなのか、あるいは復活したにしてもそれが全くもとどおりなのかなどはわからないが、自分の記事の削除に関して以下のような「おことわり」と題した記事で書いている

藪本のブログはこちらです

その中で引っかかったのは「このブログは私が個人的に楽しんで書いているだけのこと」と書いている点だ。

このブログもたしかに「個人的に楽しんで」書いている。ふざけた感じの荒らしが来たのでコメントは遠慮させていただいてはいる。

しかし、自分と違って藪本の場合には「個人的に楽しんでいる」と書いてすますことができるような性質のブログなのだろうか。

もっとも選挙公約を突然削除して後はそ知らぬ顔で選挙に受かり、しかも選挙民をさらに裏切るようなことをして平然と議員でいる人もいるのだから、それに比べたらはるかにましだとは思うけれど、やっぱり、自分の名前も顔も出して、しかもブログのトップで本の宣伝もしていて「個人的に楽しんでいる」と言ってすますことのできるブログではないだろう。

日テレで過去に処罰された人に関しても個人的なつながりのことも書いている以上、「すみません」とか、「もう終わりにさせてください」と言ったところで、その記事を読んだものは何か申し上げたくなるわけだが、それがまたこの人の知名度のアップにつながってしまうであろうところが少ししゃくである。

ただ薮本のブログを見ると、これが削除される前とまったく同じであるなら、「だからといって、もちろん、盗撮をしていいとはならない。一線は越えちゃいけない。」と言ってるのだから、その点はおさえた上で批判すべきとは思う。

たしかに高校生などの短すぎるスカートとか、胸元の開いたシャツなどを着て町を歩いている人を見ると、今日の午前中も感じたことだけど、ちょっとそんなに誇示しなくてもいいじゃないか、とも思う。

薮本もそういうことを主に言いたかったのだろうが、そのために今回の事件がいかにも軽いことのようにひびいいてしまったのは、やはり不注意のそしりは免れないだろう。

これは推測になるけれども、手鏡で見たのではなく、携帯での盗撮ともなれば、証拠もあって、本人も自白したのであろうし、もちろんその罪は重いと思う。

重いと思う、ではなく、マスコミなどがきちんと報道して、社会的制裁と言う意味でも重くすべきなのではないだろうか。

今までは植草の場合などに見られるようにそうすべく努力してきたはずなのに日本テレビは逆のことをやってしまった。

藪本が書いている文章で気になるのは、盗撮について書くに当たって、スカートめくりなどの話を持ち出していることである。

たしかにスカートめくりも悪いことだろうが、自分は携帯での盗撮は全く次元の異なる話で、その点は強調すべきだと思う。

薮本が「日テレの彼も、社会的制裁はうけたでしょ。出来心であっても、結果は重い。重すぎる。・・・・・・・・。」と書いてあるけれど、いくら「社会的制裁」などといったところで、なんでも忘れやすいのがこの国の世間の風潮なんだし、忘れるべく仕向ける向きもあることも確かであろう。


一年もすればこの事件のことなど、忘れさられてしまうであろう。

日本テレビは他にもいろいろ不祥事があったはずだが、自分はかすかに覚えている程度でどういう処分があったのかも知らない。

これもまた男はそういうものだ、とか出来心、などと言ったことですまされて、このアナウンサーが普通に会社に通うのであれば、似たような事件はけっして減らないと思う。

薮本は『女子アナ失格』という題の本を出しているそうだ。

次はどういう題でどういう内容の本を出すのか、少し興味がある。



                   文中敬称略





平山相太の筑波大学、北島康介の日体大大学院中退に思う

2006-05-02 23:57:47 | クダ

平山が筑波大学を退学していたことが明らかになった。

こちらのニュース

たしかこの人は高校卒業後、大学進学を選んだことでかなりメディアに取り上げられたはず。

自分の志望動機もそれなりにあったはずなのに、一年かそこらでヨーロッパに渡って、「退路を断つ」などといって、大学をやめたというのだが、そもそもヨーロッパに渡るに当たって、大学が休学を許したこと自体かなり甘かったのではないか。

はっきり言ってこういう有名人が来てくださったことだけでもありがたいということなのだろうか。

それにしても大学もなめられたものだと思う。


水泳の北島康介も日体大・大学院を中退していたらしい。

こちらのニュース

有名人が大学に行く場合、きちんと通って卒業することもあるけど、こういうケースは大学もそれなりに対処すべきではないだろうか。

それぞれのケースで違いはあるだろうが、一年かそこらしか通わないで「自主退学」を許してるなんてなんだか情けないと思うのは自分だけだろうか。

平山をもてはやしたマスコミや教育関係者などにもよく考えてもらいたい。



腱鞘炎っぽい。。。

2006-04-22 01:09:14 | クダ

ここ一週間ほど腱鞘炎に悩まされている

どうもPCを触ってる時間が長く、特にクリックする回数が多いのが問題のようだ。

そう思っていたらMSNのトップに腱鞘炎に関する記事が出ていた。


よくピアニストなどが腱鞘炎になるという話を聞くが、腱鞘炎になってももっと練習すれば治ると言われた人がいるというような話を昔聞いた気がする。

PCでもやはり腱鞘炎になるのだろう。

とりあえずマウスはできるだけ左手でやるようにしている。

もちろん今タイプしていても痛い。

痛さをこらえて書くほどの値打ちのある文章ではないことは重々承知している。


そんなこと書くんだったら、書かないほうがいいに決まっている。

というわけで、この辺でやめるが、これに限らずもしかして自分は無駄なことばっかしてるような気もする。


でもそれが分かってやっているのっだから、まだまし、ということにでもしよう。

相変わらず暗いでやんす

2006-01-09 23:17:28 | クダ

今日も夕方スーパーで買い物をした。

100円ほどのメンチサンドとかいうやつ。

なぜかふとそれを公園で食べたくなり、自分としてはかなり珍しいことだが、寒風吹きすさぶ中食べた。

半分ぐらい食べたところでどこからともなくネコがやってきて行儀よく座ってこちらのご機嫌を伺うように見ていた。

きっと分けてもらいたいのだろうと思い、ひとかけら残して投げてやった。

ネコは手を伸ばしたが、こちらを警戒して見たあと、すぐに逃げてしまった。


まるで自分の与えるものなど食べたくないとでも言わんばかりに。。。


ネコにまで嫌われたのか、あるいはネコにまでもてあそばれたのか



正月早々怒りすぎた^^;

2006-01-09 00:20:24 | クダ

今日夕方スーパーで買い物をした。

レジに立ってる男の子がいてその子はそこで働き出した当初、やや苦い思い出があった。

だいたい新しい店員さんはすぐに分かるし、新しい人は慣れてないことが多くて時として面倒なことになるので、できるだけそのレジは避けるのであるが、混んでる時には仕方なくそういう人のところに並んで案の定厄介なことになったりする。

自分の場合は安売りになってるものを買うことが多いので、会計のときには全部きちんと値引きされてるか心配になるが、その子は全く値引きしなくて、そのことを指摘されても全く返事もしないようすだったのでこちらはついむっとしてしまった。

今考えてみると自分の言い方も「言う」と言うよりほとんど値引きのシールを指差すだけだったのではなかったかと思う。最初には一言ぐらい言ったとは思うけれど。

そのときは先輩の人を呼んだのだけれどその先輩の人がこちらに丁寧にわびてはいても全く無視してしまった。その後その子は仕事に徐々になれている風が遠目から見ても分かったが今日は値引きのものはなかったが非常になれた感じで好感が持てた。


自分はわりと怒りやすいと言われるが、これでも「時として」我慢して「しまう」こともあるので死ぬほど頭にくることでもこらえてしまってあとでどうしようもできないこともあるし、何年たっても根にもってどろどろとはらわたが煮えくり返ってることもある。


でもやっぱり自分をかわいがってくれてる人にはできるだけ怒るにしても穏便な怒り方にしたほうがよかったのかなと思ったりする。

つい最近も実にくだらないことで切れてしまった。

このまま行くとかえって人を傷つけることになるので、いっそのこととっとと嫌われたほうがいいとか、いろいろ変なふうなことばかり考えてしまう。

今までがそういうことの連続だったし、これからもきっとそうだろうと思う。

でもそういう自分でも子どもの頃から付き合ってくれてる友達が何人かいる。そうやって友達づきあいというのもある意味「淘汰」されて行くのも仕方ないのかもしれない。

正月からいろいろ考え込んでしまった。

いずれにせよ、ちょっと怒りすぎたかなと反省している。

怒ったこと自体は理由のないことではないので後悔はしてはいないけれど。

はっきり言ってその人にだけは嫌われたくない。

その人の周囲の人にも。

なぜだかよく分からないけどそう思う。

ちなみに昔ふられた女は何べん怒っても仲直りしたような気がする。

しまいにはひどい裏切り方をされて一生口をきかないことにしたけど、そういう人は最初から相手にすべきではなかった。

自分が今いろんな人にそう思われているだろうと思うと少しさびしい。



歳暮や電話のよしあし

2005-12-31 00:09:29 | クダ

今日は自分のところへ歳暮が一つきた。

小学校一年の頃からの友人で夏と冬には何か贈ってきてくれるのだが、こちらは世話になりっぱなしで申し訳ないなといつも罪悪感に駆られている。

夏の時期に素晴らしいジュースを贈ってくれたので、非常にうれしかったことを述べたところ今日もまた送ってきてくれた。


自分は特にこうしたものを贈られる義理はないと思うのだが、「もういいです」とも言えないような感じだ。

もしかしたらそういうことは言ったのかも知れないが、いずれにせよ贈ってきてくれているのでありがたく頂戴している。


しかし歳暮のたぐいというのも贈るほうも贈られるほうも実はかなりめんどくさいもので、特に自分の親は自分が学生時代、勝手に自分の担任などにいろいろものを贈って、この先生はもらったとか送り返したなどとわざわざ自分に言ってくるので本当にわずらわしかった。

もちろん物を贈ってそれなりに「効果」があった場合と、全くそんなことはなかったことはなかったかのようにひどいことをされたこともあって、自分はそういうことは決して忘れられないので、いずれ仕返ししてやるつもりだ。

と言うわけでこういう贈り物のたぐいと言ういのはなんらかの「期待」がこめられているので非常に厄介なものだと言うことはたしかであるがそれだけでなく受け取りがめんどくさいということも大きい。


自分の家は「留守」のことが多い。

それもそのはずドアホンがこわれているからだ。

もちろん直すべきだが、ここには書けない理由でわざとほったらかしてある。

しかしこっちの苦労を知らない配達の人は「これ直しといてください」と言ってきたりする人もあった。

そのときはたしかドアを叩いたので気づいたのだと思う。

そのときは「はいすみません」などといっておいたのだが、もちろんほったらかしである。

今日もドアを開けたらその人だった。今日は携帯から電話をかけてきたのですぐにドアを開けたこともあるせいか、何も言われなかった。


こっちの勝手な言い分だが、ようするにドアホンはいらないのかもしれない。

配達する人は携帯をもっているのであて先に電話番号が書いてあれば電話して呼び出すことができるし、それがない場合でもドアを叩けばいいのである。


もちろんうちに来る客がある場合もつく寸前に携帯から電話してもらえばいいだけの話である。


もちろん留守のこともけっこうあって、そういうときに何度断わってもいらないものを田舎から送ってくる人があって一度受け取り拒否にしたことがある。

そうしてもまたいらないものを送ってきて、そのときは手紙が添えてあったが、その手紙は中味の水が漏れてぬれていたが前の受け取り拒否のことがうらめがましく書かれていた。


今日は電話のことについても書こうと思っていたが、いったんここでやめにしてまた機会があれば書きたいが、とにかくいらないものを送ってくるのは非常に困る。

さすがにもう送ってこないが、他の歳暮がとどくとまたあそこから送って来たらやだなと思う。

と言うわけで自分はすごく性格がひねくれているとそういう人からは思われるような人間なのである。


あまりの寒さでまとまりませんが

2005-12-24 00:04:07 | クダ

自慢ではないが暑さには本当に弱いが寒さにも弱い。

とにかく手があかぎれになったり、深爪になりかかった部分から切り傷のようにさけてきたりする。

自分は口が小さく唇が厚いのであるが口の端がややさけるし、しかもしたの唇の一部がやはり割けたりはれ上がったりしている。

以前真冬の時期にロンドンに行こうとしていろいろ手はずを整えかけたときに知り合いのイギリス人にものすごく寒いからやめろとしきりに言われた。

なぜ行きたかったというと特に理由はないが、いろいろ行ける状況があったということであるが、変な邪魔の仕方をする人がいて結局行けなかった。

あれから10年ぐらい当たっているのだろうか。

今にして思えばよくそんなことを考えたものだと思う。

いわゆる若気の至りとでもいうやつであろうか。

別にロンドンに冬に行ったからといってそれほどまずいことでもないとは思うが、いずれにしても少なくとも今よりかはバイタリティ(そういえばこの言葉もいつのまにか死語になってしまったような気がする)があったことは確かであろう。

最近は何となく自分の限界が見えてきた感じがする。

以前は虚勢をはってるみたく肉親からも言われて非常に憤慨して今も憤慨したりいろいろな人を恨んではいるけれど、変な言い方だがそれはそれでいいのではないかと割り切れるようになったのかもしれない。

暑いとか寒いとか言うことはたいしたことではないように思われるかもしれないが、たとえば自分が北海道に住めるかというとこれはまず無理であろう。

そういう諦めみたいなものも必要だなと感じる今日この頃でした。

心理テストみたいのやったけど

2005-12-13 00:08:37 | クダ

ある最新の科学技術の成果を展示していると「思われる」施設に行った。

正式な名称などは忘れてしまったのだが、ある展示以外は最新の科学技術に見えた。

何がそう見えなかったかというと心理テストのようなものがあって、タッチ・パネルを触って答えを選んでいって結果が出るというもので、ようするに昔からよくある心理テストである。

一体何が新しいのか知らないが、もしかしたらこんな展示みたいのをやってるところを見ると古い技術も紹介している場所だったのかもしれない。

タッチ・パネル自体の説明はなかったので、その占いのような心理テスト自体を展示していたことはたぶん間違いないとは思うのだが、以下その結果。


カウンセリング必要度チェック

必用が強まっている段階:少しストレスがたまってきているようで、カウンセリングが必要な状態です。
この程度のストレスなら自分自身と向き合う作業をすることによって、少しずつ問題を軽くすることができるはずです。

イイコ度チェック
自己表現が得意なタイプ:あなたは、自分の意見や気持ちを人に伝えることができる自己表現のできる人ですね。
しかし、言いたい放題言うことと、率直に言うこととは違います。
あなたはどちらですか?
もし前者なら人に認められようとする発言ではなく、自己満足させたい、人を愛するために「私は・・・と思う」「私は・・・してほしい」と常に「私」表現で、上手に自己主張(アサーション)することが大切です。

こんなものをまじめにやって読んでる私はたしかにカウンセリングが必要かもしれないと思えるほどつまらぬ内容である、などというと「言いたい放題言う」ことになるのだろうか。

カウンセリング必要度チェックの最初の文と二つ目の文は自分には矛盾してるように思われて仕方ない。

どういう仕組みでこういう結果が出るのか知らないが、イイコ度チェックにしてもいかにも自分に当てはまるようではあるが、これって誰にでも当てはまることのような気がするんだけど、それも占いとか心理テストというのはこういうものが多いということになるのかな。

これは国立大学の教授がつくったものらしいけど、こんなことやって喜んたり給料や研究費やらなんやらもらってるのかな。

だとしたらその大学の教授って本当に悩みがなさそうでいいね、と思った。


フジモリ元大統領の出国に思う

2005-11-08 22:05:13 | クダ

こちらのBBCののニュースなどにも出ているが、ペルーのフジモリ元・大統領が日本を出国し、チリヘむかったがすぐに身柄拘束され、ペルーの当局者と今現在交渉が行われているらしい。

私はついこの間、この人が長く日本にいることに関して疑問を呈するエントリーを書いたのだが、このニュースを聞いてまたしても複雑な思いがするのを禁じえない。

それともう一つ、つい先ほどホワイト・バンドの売り上げの一部がある基金に寄付されるという報道もあった。

もちろんフジモリの場合も、ホワイト・バンドの場合も「私の声が届いた」などということはないであろうが、自分が問題提起をしている人たちの一部に加わったかもしれないぐらいのことは思ってもいいのではないだろうかなどと思ったりする。

しかしどうも考えさせらてしまうのは、自分は自分なりに問題提起したのであるけれども、いっこうに問題は片付かないどころか、問題そのものが消し去られてしまった、ということになってしまったようで非常に歯がゆい気持ちが強い。

たとえば私は野田聖子の選挙公約に疑問を呈したが、その後しばらくして、その公約の一部は消されてしまい、他の部分についても批判しだしたところ、ついにはサイト全体が消されてしまった。

この場合は私の批判を「かわそう」、あるいは私の批判の根拠を消してしまって、私がまるで根拠がない批判をしているかのような印象を国民に与えようとしているのではないかと思われるが、ただ単に野田聖子だけではなくて、もしかして世の中全体で一般的にネット上の批判に対する「かわしかた」のようなものが出来上がりつつあるような気がしてどうも釈然としない。

野田についてはここで多くは書きたくないが、私は別に郵政民営化に賛成しろ、といったのではなく、反対するなら、反対するできちんと分かりやすく説明した上で自民党からでて批判してほしいというつもりで書いたのだが、最近の動きに関してはどのように自分でとらえてよいのか難しい部分もある。

いずれまた野田についてはあらためて書くかもしれない。

もちろん私の意見など別に誰にも強制するわけではなくて、自分としてはこうした点が疑問である、ということを書いているだけなのだが、どうも世の中全体の動きというのは自分の疑問を解決してくれるように働いてくれることはなくて、自分が呈している問題が次から次へと消え去ってしまうようなきがして仕方がないのである。

逆に言うとこうしたことがあるので、取りあえずある時点における自分の疑問なり意見なりを書いておいて違う局面が現れた段階であらためて自分のブログを見るということもそれなりに意義があることになるということもあるだろう。

しかし、非常に自分が危惧していることはたとえばフジモリに関して報道されているところでは、日本出国時にはホテルに滞在していたらしいし、チリへは羽田からチャーター機で向かったらしい。

隠し資産があるとかいろいろなことがこの人の関しては言われているが、隠し資産もなくてどうしてこのようなことができたのかとか、日本政府が具体的にどのような援助なり保護をこの人に対して行っていたのか、たとえば要人警護のSPはつけていたのかとか、などなどいろいろな疑問が、この件が次の段階に移ったことで吹っ飛んでしまうような気がして仕方がない。

ホワイト・バンドに関しても今ある程度の寄付をすればそれですむような問題なのかなどいろいろ疑問はわくが自分は当事者ではないのでなんとも言いようがない。

フジモリに関する疑問は本当にたくさんあって、たとえば日本政府が再三の身柄引き渡し要求を拒否して約5年間も滞在させたことには問題がないかどうか。

親類の方も日本にいられるわけだし、状況が変わったからと言って、手のひらを返すような対応をすることなどは自分もよいことだとは思わない。

しかし、元・大統領だからと言って手厚く保護するというのはあまりよいことではないだろう。

かりに保護するにしてもどのような状況でどのように保護などをしていくら税金が使われたのかなどといった情報が全くないままうやむやになったらそれはよくないと思う。


                  文中敬称略


瀬川晶司さんのプロ棋士合格にあれこれ思った。ひょっとして順位戦はでなくていいのかな???

2005-11-07 00:07:03 | クダ

瀬川晶司がついにプロ入りを決めた。この人は奨励会の年齢制限(26歳?ぐらいまでにプロになれなければ退会を余儀なくされる規定)をクリアできなくていったんプロをあきらめた人だ。

その後大学に入り、一般企業に就職しながらもプロと対戦して勝つことも少なくなかったので今回の「プロ編入試験」というのが特別に行われて、瀬川はプロになっわけだが、自分は今回の編入試験というのに反対で、その理由とともにいずれここに書こうと思っていた。

正直な気持ちを言うと、瀬川がプロになれないことも充分に考えられたので、その際に書こうという腹積もりもあった。

しかし、今、瀬川がプロになったという情報を得て久しぶりに将棋連盟のサイトに行って見ると、なんとトップから大手プロバイダのところにかなり目立ったリンクが貼ってあって、そこにはこれまでの「プロ編入試験」の対局のトップ棋士の解説などを動画で見ることができる。

正直、自分の認識よりはるかに時代は進んでいるという感慨をもよおさざるをえない。つまりここまで日本将棋連盟がこの「プロ編入試験」というのを大々的にマスコミなどに取り上げさせているところを見ると、もうすでに瀬川という人物は、言葉は悪いが、下手なプロよりよっぽどプロらしい仕事をしているといえるのかもしれない。

もちろんそれほど世間に知られていない棋士でなくても、オリジナルの戦法を編み出している人などもいるし、プロの仕事といってもさまざまであるからなんとも言えないが、世間がこれほど将棋に注目したという点ではかなりな功績があると言わざるをえないのではないだろうか。

ということもあり、自分が今回の「プロテスト」に反対だった理由に関しては今さらここに書いても仕方がないし、他のこともそうだけれど、このことに関してもあまり調べてはいないので、なおさら書きにくいのだが、おもに以下の二つほどの理由がった。

こうした特別の「プロ編入試験」をやるならやるで、きちんとした制度として確立してからにすべきではないかということ。

たしかこうした制度でプロになった人としてはかなり昔「東海の鬼」と言われたすでに物故した棋士がいたが、他にもプロになる話がうわさレベルではあったとしてもいたはずでたとえば小池重明もそうだったのではなかったか。

ちなみに小池もかつては奨励会に所属していたのでなかったか。小池もすでに死んでしまっていまや伝説的な人物になった感さえあるが、他にも15年ほど前だったか、アマチュアで当時たしか千葉大学の六年生の人がプロをどんどん負かしていって八段クラスの人も負かしていったこともあったと記憶している。

そういうアマチュアの強豪が出てきた場合に「プロ編入試験」を行うかどうかということに関しては明確な規定を設けて、奨励会の規則にも盛り込んだほうがいいのではないかということである。

自分は奨励会の規則などに関してはあまり詳しくはないのでなんとも言えないが、そうしたことも考えるべき時期が来ているような気がする。

それと、こういう事態が起きているということはすでにプロとアマの交流が充分できているということを如実に物語るものであって、自分の感覚からすればそれで充分であろうということもある。

今現在のプロと将棋ソフトの対戦ではないが、昔はあまりプロとアマの平手戦というのはなかったはずだ。それを打ち破った企画が「将棋世界」という雑誌の「プロ・アマオープン戦?」とかいう企画で20数年前に始められて今はたぶんないだろう。

そのころプロがアマに負けたというのは正直衝撃であったが、最近はそういうことが決して驚くべきことではなくなってしまった。

そういう時代を知るものにとっては今の将棋会の雰囲気というのは隔世の感があるが、もう時代も昭和から平成に変わっているのだしむべなるかな、などとも思う。

あとこちらのニュースの下のほう
で気になったのは、「名人戦の予選を除く9つの公式戦に参加できるが、今後10年間のうちに規定の成績を上げないと公式戦の参加資格を失う」という部分である。

自分はプロになるというのは順位戦に参加できるようになるということであったが、この記事の「名人戦の予選」というのはひょっとして「順位戦」のことだろうか。

順位戦に出られないということであれば、これでプロになったといえるのが自分などは疑問だが、プロ棋士に関する規定などは見てないのでなんともいえない。

自分の知識では順位戦に出られるようになって初めて他の棋戦にも出られるようになるはずだと思っていたのだがこその制度も変わったのだろうか。

これも正確かどうかはわからないが、たしか米長邦雄はA級在位がすごく長くて、A級を陥落したら引退すると言っていたのではなかったか。それで実際に陥落したら順位戦には出ずに他の棋戦には参加していたようだ。

この辺のところも自分は非常に納得がいかなかったのであるが、瀬川の場合、「今後10年間のうちに規定の成績を上げないと公式戦の参加資格を失う」という部分で規定の成績という部分が具体的にどういうものなのかは分からないのでなんとも言えないが、もし「名人戦の予選」というのがいわゆる順位戦の事を指すとすれば、順位戦というのはこれに「出られない」ということは逆に、「順位戦に出なくてもプロでいられる」ということなのだろうか。

実は以前は順位戦で司会のクラスで負けが込んでいいても一度プロ棋士になると永久にプロ棋士の座は保障されていたのである。

それで次々とプロ棋士は誕生しても、引退する棋士はいなくていわばプロ棋士の数というのが非常に増えた(今でもかなり多いはずである)。

それに対して毎日新聞の有名な観戦記者が非常に強く異を呈していて、当時の大山康晴会長にかなり強く改革をせまった大山邸での対談がかなり前の将棋世界に載って自分はそれを興味深く読んだものだ。

その後順位戦の最下位から陥落してプロの地位を追われる人も出てきたようだ。

この制度に関してもいろいろあるようなのでちょっと大雑把な書き方になるが、その順位戦にもし出ないでいいとなると、もしかして10年間はプロでいられるということだろうか。

順位戦の規定によれば最悪の場合にはもっと早くプロの座を終われる場合も無きにしもあらずだったとも思うのだがどうなのだろう。

いずれまたいろいろ分かったら、この記事は訂正などをしたり、大幅に書き換えるかもしれませんし、なかなかまとまりませんが、今日はこんなところでしめたいと思います。

それと全然関係ないけど本田美奈子さんのご冥福をお祈り申し上げます。

さらに全く関係ないけど、ネット上の情報で、やや意外な事実を今日も知ってしまった。

そのことに関しても詳しいことは分からないし、そういう事実があるからといってどうこうという問題ではないかもしれないが、少なからずショックだった。

もしかしたら以前にもまして自分は人をあまり信用できなくなっているのかもしれない。
もちろん自分にもいろいろある。

いつ消えるかも分からないネットにはまってる人間がこんなことを言うのもおかしいかもしれないけれど、そういう自分が純粋すぎるなどと思ってしまったらまずいのかなできればこのまま???ずっと純粋でいたいと思うけど、などと今日もとりとめのないことを思ったりする。


                   文中敬称略


やや不調です。

2005-10-29 23:57:27 | クダ

最近どうも筆が重いというのだろうか、書きたいことが思うように書けないでいる。ここに書きたいことはたくさんあるのだけれど、どうも毎日これが書きたい、あれについて書きたいと思いながらも、まだ情報も集めてないし考えがまとまってないからあとで書こうなどと思っているうちにむなしく日々が過ぎてゆく。

自分が考えている事を全て書くことはもちろんできるはずはないのでとりあえず何でもいいから書いておこうと思うのだけれど、やっぱり読んでくださっている方がいることなどを思うとブレーキがかかってしまうこともある。

ここのところだいぶアクセスは減ったがそれでもずいぶんたくさんの人が見てくださるし、思いもかけぬところで紹介していただいたりといったことがあって、本当に自分でもこのブログを続けてきてよかったと思う。

何のためにブログを書いているのかは自分でもはっきりと認識しているわけではなくて、書いているうちに何らかの意味を見出してゆくことができるものなのかも知れない。

特に目標があってはじめたわけではないが自分はあまりタイピングも早くはないし、分かりやすい文を書けるわけでもない。

タイピングに関してはまだブラインドタッチはできないけれどとにかくこれは慣れるしかないのであろう。文を書くことも、慣れが大事なのだろう。でも新鮮な気持ちも忘れてはならないだろう。

アクセス数が一時的にでも増えるとつい「もっと増えるのでは」とかいろいろな気持ちも起きるし、これは下手なことはかけないな、などとも思う。
でもいろいろ慎重になったりしてるとなかなか思うようにブログを書くことができない。

そんなことをとりとめもなく最近考えている。

というわけでこれからもあまり正確ではなく配慮にかける点などもあるかもしれませんがそうした点は多めにみてほしいなどと私としては殊勝なことを書いて今日は終わりにしたい。

今日知ったこと二つほど。日本体育協会会長は誰だか知って驚いた。

2005-10-25 22:01:43 | クダ
今日あるスポーツに関する雑誌を見ていたら森喜朗が日本体育協会の会長だと書いてあった。驚いた。
インタビューが載っていたのだけれど、その内容にはそれほど興味はもてなくて、興味を持ったのはその写真である。
この人をうまく撮ることができるのか分からないし、「見てくれ」のよしあしというのは主観によるところが大きいだろうからなんとも言いようがないが、その写真を見るとなんともたとえようがない下っ腹の出かたである。
この人が太っていることは誰でも知っているのだが、それにしてもあれだけ下腹部を強調した写真というのをこういうインタビューで載せるというのはわたしには驚きだ。
見るからに運動不足でスポーツをしている体型には見えないと思う人が多いのではないか。
別にこの写真を見なくてもそんなことは分かるが、この体型で「スポーツの振興」を図ってきたというようなことを言われると、読む方はびっくりする。
インタビューの写真というのはよく何枚も撮ると言われるが、これはプロの撮った写真ではないだろう。もちろん写真に撮られるほうもあまり細かいことにこだわらない人のような感じだ。
それと平成25年に東京国体が開かれることが決まっているらしい。このことも今日はじめて知った。あともう一つスポーツ紙で今日知ったことがあるが、あまりネット上のニュースには出ていないようだ。いずれあらためて書きたいと思っている。

                          文中敬称略