八ッ場ダムに絡み、過去にダム建設を回避した徳島県の
当時の鬼頭村・細川内ダムの例がTVで放映されてた。
1972年に当時の建設省が計画を発表。その直後より住民
たちは絶対反対の姿勢を貫き、反対活動家や日本共産党・
朝日新聞がその活動を支援していたということだ。
住民の反対活動を鑑み、1996年に第二次橋本内閣・当時
の亀井静香建設大臣がダム建設を断念し凍結を発表し、
その3年後「住民の意見を聴くことは大事」という言葉を
残し当時の扇千景建設大臣が中止を発表したという経緯が
ある。
八ッ場ダムも当初は反対運動があったが、細川内ダムの
住民反対運動の時のような強力なリーダーシップがとれる
人がいなかったから今回のように政権が変わってからの
混乱になったというような発言があった。
また、鳥取県の中部ダムも建設計画が浮上して27年後に
中止されており、こちらも比較対象としてTVで取り上げ
られていた。
どちらも30年近くの年月を経ての中止決定であるが、今回の
八ッ場ダムと決定的に違うのは、工事前であり地域住民の
転居前。現在やり玉となっている八ッ場ダムは、紆余曲折を
経て地域住民もこのダム事業を受け入れ、工事も7割方終わり、
すでに転居済みの方々もいるのです。
マニフェストよりもここまで進んだ現状に住まう住民の意思
を優先すべきだと思うのは私だけなのでしょうか。
当時の鬼頭村・細川内ダムの例がTVで放映されてた。
1972年に当時の建設省が計画を発表。その直後より住民
たちは絶対反対の姿勢を貫き、反対活動家や日本共産党・
朝日新聞がその活動を支援していたということだ。
住民の反対活動を鑑み、1996年に第二次橋本内閣・当時
の亀井静香建設大臣がダム建設を断念し凍結を発表し、
その3年後「住民の意見を聴くことは大事」という言葉を
残し当時の扇千景建設大臣が中止を発表したという経緯が
ある。
八ッ場ダムも当初は反対運動があったが、細川内ダムの
住民反対運動の時のような強力なリーダーシップがとれる
人がいなかったから今回のように政権が変わってからの
混乱になったというような発言があった。
また、鳥取県の中部ダムも建設計画が浮上して27年後に
中止されており、こちらも比較対象としてTVで取り上げ
られていた。
どちらも30年近くの年月を経ての中止決定であるが、今回の
八ッ場ダムと決定的に違うのは、工事前であり地域住民の
転居前。現在やり玉となっている八ッ場ダムは、紆余曲折を
経て地域住民もこのダム事業を受け入れ、工事も7割方終わり、
すでに転居済みの方々もいるのです。
マニフェストよりもここまで進んだ現状に住まう住民の意思
を優先すべきだと思うのは私だけなのでしょうか。