ゆずは・気ままに花・食・Diary(*^-^*)

お花が好き♪お料理が好き♪写真が好き♪旅が好き♪
   何気ない日々の暮らしを
  自由気ままに綴っています。

■父とのお別れ・・

2015-02-11 | ■その他


暦の上では、もう春なのに
またまた 冬に逆戻りです。
静かにしんしんと降り続いた雪で
9日の朝は、一面の銀世界でした





ティンカーベルのソーラーにも、こんなに雪が・・
雪の多い地方なので、積雪自体は珍しくはないけれど、
このたびの雪は、何だか寂しげに写って見えました。


1月15日に、大好きだった父が亡くなりました。
昔気質で、頑固なところもありましたが
器用で、優しくて、しゃいな父でした。
母と私が会話をしてると、一緒に聞けばいいのに、
照れて寝たふりをして聞いてるような、そんな父でした。

子どもの頃は厳格で、ちょっと怖い存在でもありましたが
私が結婚してからは、ずいぶん穏やかになって
一緒に買い物に出かけたり
実家に行っては、一緒にお茶を飲んだり
おやつを食べたり・・。

手先の器用な人だったので、大工仕事もお手の物。
ここが不便だから、どうにかならない?
と、言えば、大抵は、アラジンの魔法のランプのように
何でも作ったり、直してくれるのです。
お魚も上手にさばけたので、みんなが集まるたび
新鮮なお刺身が並ぶことも・・
時に行き違いもありましたが
案外と仲のよい 親子関係だったように思います。
孫たちのことも、それはそれは、可愛がってくれた父でした。

70代前半ごろからは、パーキンソン症候群と言う、
難病も抱えていましたが、
自宅にいた頃は、母と毎日リハビリ散歩をし
努力の甲斐もあって、比較的いい状態が続いて。
寝たり起きたりの日々ではありましたが、
子どもや孫に会えるのを楽しみに、
食べる事を楽しみに、
相撲を楽しみにしていた父でした。

転倒がきっかけで 入院してからは、
誤嚥(ごえん)の恐れがあったため、
食欲はあっても、口から食べ物が摂れず、
鼻から管を通し、栄養を入れてもらう毎日でした。
その状態が1年4ヶ月続きました。

せめてもの思いで、食べ物の代わりに
父の病床に 季節のお花を届けました。
持って行くたび、香りをかがせてあげると
鼻を近づけては、嬉しそうに微笑んでくれた
穏やかな姿を昨日のことのように思い出します・・

昨年の12月頃からは、目に見えて衰弱し
最後は、小さな肺炎を繰り返し、
1年4ヶ月の入院生活の末、静かに息をひきとりました。
自宅にいた頃から通算すれば、
思えば、長い闘病生活。
本当によく頑張ったと思います。
母は母で、本当によく支えてあげたと思います。



お葬式の日も、今日のように雪の降る寒い日でした。
たくさんの人に にぎやかに見送ってもらい
父もきっと喜んでくれてることと思います。

思えば、怒涛の年明けでした。
新年早々、私が39、7の高熱を出し、
インフルエンザにかかってしまい、
ようやくお見舞いに行けたのが、
父が亡くなる3日前の事でした・・。

もうすでに肺が真っ白になっていたと聞きました・・
自分だって、かなり しんどかったはずです。
けれど毎週、見舞いに来るものが 来ないことに、
父は父なりに、心配していたに違いありません・・
母から(インフルというと余計心配するので)
風邪で来られないようだと、聞いてからは
なおさらだったようです。

元気になった私の顔を見た瞬間、
しっかり目を見開き 私を確認すると
ホッとしたような、何とも言えない
安堵の表情をしていた父。
そこには、病人と言うよりも
娘を想う優しい父の顔がありました。

もう一週間、インフルがずれていたなら
父にも会えないどころか、
お葬式すら出られなかったかもしれません・・

きっと、私が治って会いに行くのを
今か今かと、ずっと待っていたんじゃないかと・・
元気な姿を見届けておきたかったんじゃないかと・・
私はそんな気がします。



身体も思うように動かせず、
肺も日に日に弱り、
筋肉も硬直して、思うようにしゃべれず、
だんだんと痩せ細っていく父でしたが
辛い床ずれや、リハビリにも文句ひとつ言わず、
素直に看護士さんに委ねていた父。
最後まで、精いっぱい頑張った父でした。

幸い耳の聞こえはよく、痴呆症状などもなかったので
こちらの言うことは、よく理解できていました。
状態がよかった頃は、ひらがなプレートを作って、
父とのコミニュケーションもして来ました。

その日にあったこと、孫やひ孫の話、
家族の話、仕事の話など・・
家族で代わる代わる時間を作っては
出来るだけ、お見舞いに通い 話しかけてきました。
自分が思うように話せなくても
そばで家族の話し声を聞くだけで
嬉しかったんだと思います。

母のマッサージを心地よさそうにしてた父。
孫や、ひ孫の手を握り、目を細めていた父。
私が選曲した懐かしのメロディのCDを嬉しそうに聞いていた父。

いくら やせ細ってしまっても
思うように体が動かなくなっても
食べる楽しみをなくしても

そこには、前向きに生きようとする
凛とした父の姿がありました

帰り際、
「じゃあ、また来るからね・・」

そう言うと、少し顔が曇って、寂しそうにしていた父。
それでも必ず布団の中から か細い腕を出して
バイバイのつもりでしょう。
精一杯の力を振り絞って、ゆっくりと手を振ってくれた姿が
今でも脳裏に焼き付いて、離れません。



今日で、亡くなって、四・七日になります。
いくつになっても親は親。
大切な人との別れは、悲しいし、
寂しいものです。
今でも思い出すたび、涙がこぼれたりもしますが

「もう、泣かんでもいいわい・・」
そう、遺影の父が笑ってるようで・・。

日常を取り戻していく中で、
お蔭さまで、日に日にみんなの笑顔も戻って来ました。
拝みに行くたびに、あれこれ、父の思い出話をしています。



思い出の中の父は、いつまでも変わることはありません。
こうして今の気持ちを ここに残しておくことが
父が精一杯生きて来た証でもあり、
供養にもなるのではないかと思っています。

一人になった母を思いやりながら
これからは、天国の父に向けて、みんなの元気と笑顔を
届けて行きたいと思います。

お父ちゃん、いっぱいいっぱいありがとう
天国からみんなのこと、見守っていてね。