あきここの豆だいふく

VIVA 日常の嗜好品

2019 北海道(14)北海道立北方民族博物館

2019年09月01日 | 
2019年7月31日(水)④

網走監獄は暑かった~!

屋外施設ということもあるのだけれど、たまにある屋内もエアコンがあるのかもしれないけど、効いているとは思えず。極寒の時に来て、囚人たちの気持ちになった方がいいのか、少し暖かい春や秋に来た方がいいのか。(春や秋だな)

19時発のフライトまでまだ時間があったので、北方民族博物館に行ってみることにしました。(天都山展望台の隣)



ここでは音声ガイドを無料で貸し出ししているので、ぜひ借りてみてください。

博物館はいると、北極から見た地球の地図があります。



北海道の民族には「アイヌ」と「ウィルタ」があることを知りました。それ以外にもイヌイット(カナダのイエローナイフはイヌイット民族(エスキモーともいう))やスカンジナビアのラップ民族(サミともいう)も北方民族です。



北方民族が使っていた道具、衣類、装飾品。

それがびっくりするくらい美しいんです。刺繍やビーズも凝っていて、うっとりするくらいでした。また、やはり極寒の地。動物の皮もとても重宝されていました。『ゴールデンカムイ』にも、りす・うさぎ・きつね・くまの皮の値段の話も出てきます。



また、アザラシの皮は防水性に優れていていいんだそうです。



住居にも工夫がありました。雪深いので、温度が一定になるよう土を掘って地中で暮らしていたようです。

古い映像が残っていて、イヌイットの人たちが小さな氷の穴から的確にアザラシをしとめるのを見た時は感心しました。え?どうやって?犬が見つけたの?それとも犬以上の嗅覚や勘???



北方民族の精神世界のブースでは、このトーテムポールを中心に広がっていました。

上から、オオワシ、クマ、シャチ、架空の動物。(オオワシは見えてないかも)







『ゴールデンカムイ』では動物は神様だと言っていました。

子熊を捕まえたら殺すのではなく、村で子ども同様に育て、大きくなっても1~2年は織の中で育て上質な食料を与える。大きく育ったら集落をあげての盛大な送り儀礼を行い、丸太の間で首を挟んでクマをし、解体してその肉を人々にふるまうという。(イオマンテというクマ送りのお祭り)

動物たちは皆、神様の化身であり、仕留められるときはすべて神様の御心でそうしてくださっているとのこと。だから、人間世界が怖いところではないように、敬って天に送り返すのだとか。

人間が「生きる」「生かされている」ということを考えてしまいます。

アイヌ民族が簡素な道具(ムックリ)で奏でる音楽の映像もありました。だんなの人とのん太郎がムックリ演奏を教えてもらってました。

音声ガイドも手伝っていろいろと知ることができました。



レンタカーを貸して、女満別空港へ向かいました。

小さな空港ではあるものの、お土産や飲食店もちゃーんとありました。(時間がつぶせるかかなり心配していた(笑))



家にたどり着くと就寝時間になってしまうので、空港でお腹を満たしておきました。
もちろん最後にサッポロクラシックをいただきました♪

 *

北海道もゴールデンカムイもそうとう素人なのにこんなにたらたらと書いてしまいました。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。
また次の旅で会いましょ~スイ ウヌカラアン ロー!

2019 北海道(12)網走監獄

2019年09月01日 | 
2019年7月31日(水)②

務めている会社が旅行業がメインだったころ、社員旅行を扱うことも多かったです。その社員旅行て網走がルートに入ると「網走監獄」に立ち寄るプランを多く目にしたのですが、なんでそんなに怖いところに行かせようとするんだろう・・・と心の隅っこで思っていました(笑)。(監獄=暗くて、怖いところ)

今回、ゴールデンカムイスタンプラリーの旅を企画した時に「行ってみたい!」に変わっていました。ミーハーですが、なんか面白そうって思ってしまったの。

たって、建造物として素晴らしい。



まずは、「監獄食堂」で監獄ランチをいただきます。



お店の雰囲気はウッディで明るい雰囲気。これが監獄フロントとは思えません(笑)。



券売機で購入します。(先に席を確保した方がいいです。)あたしは監獄食A(720円)のさんまランチにしました。(だんなの人は監獄食B(820円)のほっけランチ、のん太郎はまったく無視したラーメン(笑)でした。)

実際は味噌汁ではなく番茶が出されていたそうです。(味噌汁の塩分で脱獄した人がいたらしい。)



網走監獄ではたくさんの蝋人形たちが働いています。シニカルなのもあります。






なぜ、網走に監獄ができたのか。

ざっくり説明すると、時代が江戸から明治になり、それに抗った人たち(戊辰戦争や西南戦争で武士の時代に戻したい!と戦った人たち)は多くの国事犯(国の政治秩序を侵害する犯罪人)となりました。日本中はたくさんの罪人であふれかえった時代。監獄も日本全国にありました。
また、日本は鎖国から開国となり、海外の文化を早く取り入れようと躍起になっていました。追いつき追い越せ、富国強兵の時代です。そのためには肥沃な北海道の開拓が急がれました。また、北海道の開拓はロシアからの侵略を守るという意味でも重要なことでした。
しかし、開拓するには道すらない。道を作るにも莫大な資金がかかる。そこで、どんどん増え続ける罪人に明治政府は目を付けました。罪人なら、民間に頼むよりずっと安く済ませられるし、万が一亡くなったとしても悲しむ人もない(はず)、一石二鳥じゃんか!と。

そこで網走にたくさんの囚人たちが送り込まれました。

今、網走への道や鉄道の路線が開けているのも、魚を獲ることができる漁港があるのも、耕すことができる農地があるのもみんなこの網走監獄の囚人たちのおかげなのだそうです。



ちなみに、この偉そうにしている看守さんたち(実際、蝋人形を見ていると偉そうだなぁ~、囚人を人間とも思っていなかっただろうなぁ~と思っておりました。)

実は囚人の方が豪勢な食事をしていたようです。
一番重労働をする囚人は、麦:米=6:4のご飯を食べていたようですが、看守さんは一般と同じように配給されるものを食べていたので、米飯はほとんど口にしていなかったんですって。

それなのに、この極寒の地で、緊張を強いられ、時には囚人に脅かされるときもあり、割に合わない仕事だったのかもしれないです。

そして、「ムショ帰り」のムショは麦米飯の比率64でムショらしいです。刑務所のムショだとばかり思ってました。(刑務所という言葉ができる前から、ムショ帰りという言葉はあったんだそうです。)へー!







囚人たちが一番怖かったのは独房だそうです。



なんだかんだ言っても、仲間がいる方がいいよね。

網走監獄、ぜひ網走に行く際はプランに入れてみてください。