引っ越し

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

中国語の受け身表現

2012-08-07 05:13:46 | 学問

中国語の受け身表現は、いろいろある。

高校漢文の場合、必須なのが、「見・被・為……所」というものだが、「被」「見」は、今でも用いられる。
「先んずればすなわち人を制し、後るればすなわち人の制する所となる。」

(先即制人、後即為人所制。『史記』)
は、有名である。

「見」という動詞が、助動詞的に用いられるとなると、中国人も意味が分からなくなる。
だから、

年四十而見惡焉、其終也已。
(年四十にして惡まるれば、其れ終らんのみ。ー吉田賢抗訓読『論語』・大修館)

という論語・陽貨篇注(論語注疏)にも、

Img011

「爲人所惡」

のような注釈が必要になる。

 この「見」の受け身は、自己に対する受け身の場合が多いのである(『論孟虚字集釋』P226)。
後、この「見」には、方向性をもった「してもらう」という意味が派生して、現代の書翰文でも用いられる(『漢文の語法』西田太一郎・角川小辞典p225)。

 また、俗語としては、「喫」というのも受け身に使われ、現代の日本語でも「……を喫する」という表現があり、
「吃惊」という中国語も、のこっている。

 今回、「讓」という介詞・動詞にまつわる、ためになるものを目にした。
白水社の中国語辞典にあるものだが、

前置詞‘?’‘叫’の用法は‘被’と基本的には同じであるが、‘?’‘叫’は話し言葉に用い,公の席で厳粛に言うときは‘被’を用いる。

は、当たり前のことだが、以下のような文脈・場面で異なる意味合いを持つことを、明示していることは、ありがたい。

前置詞‘?’‘叫’の後に人を示す名詞や人称代名詞がある場合は前置詞用法と動詞用法の区別ができなくなるので、
たとえば
‘我?他?了几句.

は、
「彼に頼んで少し話してもらった。」
「彼に少し話をするよう許した。」
「彼に少ししかられた。」
などの意味が生じ多義的になる。

 日本語でも、「負けた」を「勝たせてやった」と表現する。
昔の平家物語などで使役の助動詞を受け身に使うようなものがあるが、
孤立語とされる中国語は、前後の文脈が判断の決め手となる。
その曖昧さを避けるためにも、中国語の膠着化は、進まざるを得ない。
http://www.seijo.ac.jp/pdf/falit/192/192-5.pdf

現代語では、「給」が、受け身に使われるが、

金魚給猫吃了(金魚は、猫に食われてしまった。)
金魚給吃了(金魚は、食われてしまった。 from 上野啓司『中国語辞典』白帝社)

「給」は方向性を与えるための言葉なので、同様に文脈の中で適宜解釈される。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿