人生黄昏時

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尚氏王統【6】

2020年05月01日 00時00分18秒 | 日記

 尚徳(1441~1469年)は1461年

琉球国中山王七代目に即位する

 

尚徳は泰久王の三男として生まれ

母親は側室でありながら

 

王妃の子長男富金橋や次男を退き

泰久王の後を、七代目王を継いでいる

 

それは母王妃の父親護佐丸が謀反の嫌疑を

掛けられたから即位出来なかったと言われている

 

尚徳は在位中多くの事績を残している

 

1466年に尚徳は、喜界島を征討するため

自ら二千余の兵を率いて出陣している

 

遠征前にこの戦いに成否を神にお伺いを立て

この戦いは義ありとしている

 

史書球陽によると

かなり前から喜界島に朝貢を促していたが

 

従わなかったので攻め落としたとある

奄美群島全域を配下に置いた

 

尚徳は仏教に帰依し信仰に厚く

天界寺や大宝殿、八幡宮などの寺院を建立している

 

また父王の代から仕えていた

臨済宗僧侶介隱承琥を使者として

 

室町幕府に派遣、将軍足利義正と謁見し

日本との関係を深めた

 

明国から暦学の導入

永楽通宝を変造し世高通宝を発行する

 

朝鮮王にオームや孔雀など寄贈し

返礼に方冊蔵経など送られている

 

尚徳は若くして王となったが強い指導力を発揮し

特に海外との交流事業を積極的に行った

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