人生黄昏時

 老いを心身ともに感じ

  日々の生活で思った事を記す
  

ジョン・マン

2023年07月01日 00時00分22秒 | 日記

   アメリカでジョン・マンと呼ばれた万次郎

 

万次郎はサバ漁、操業中嵐に遭い

6日間漂流後 無人島 鳥島に漂着

 

143日後捕鯨船ジョン・ハラウンド号によって

救助された万次郎と仲間4人は

 

アメリカの捕鯨船の中継基地

ホノルル(ハワイ)に帰港した

 

船長ウィリアム・ホイットフィールドから

アメリカ行きを誘われた ジョン・マン

 

万次郎は自ら望み4人に別れを告げ

アメリカへと向かった

 

捕鯨を続けながらアメリカを目指した

1843年 ジョン・ハラウンド号は

アメリカ最大の捕鯨基地

 

マサチューセッツ州ニューベットフォードに帰港する

万次郎たち救出されてから2年後の事である

 

ホイットフィールド船長の

故郷マサチューセッツ州フェアヘーブンで暮らす

 

スコンチカカットネック・スクールで英語

1844年ではフェアヘーブンのバートレット・アカデミで

 

数学・測量・航海術・造船技術など学ぶ 

万次郎は熱心に勉学に励み首席で卒業した

 

また民主主義や男女平等などの知ることは

新鮮であったが、一方で人種差別も経験する

 

卒業後も何度か 捕鯨船に乗り航海し

地球2周 航海したしたと言われている

 

ジョン・マンと呼ばれていた万次郎は

望郷の思いに駆られ

 

帰国する資金を得るため

当時ゴールドダッシュで沸いていた

 

カルホルニアの金鉱で金を採掘する職に就き

当時のお金で 600ドルを得た

 

この資金で日本に帰るため

小型船 アドベンチャラー号を購入

ホノルル(ハワイ)の漂流仲間もとへ

 

そうして帰国準備を整え 

宣教師の計らいで1851年ホノルルから

上海行の商船サラ・ボイド号に乗船した

 

1851年2月 沖合で2人の仲間共に

アドベンチャラー号に乗り移り

 

琉球(現在の沖縄県糸満市)大渡海岸に上陸する

当時琉球は幕藩体制の中 薩摩藩に付属していた 

 

万次郎達が漂流から10年後の事でした

 

 

 

リアクション、コメント頂き

      有難う御座います

   大変励みになります

コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 万次郎 | トップ | 中浜万次郎 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
月初め投稿のご挨拶~ (ひろし曾爺1840)
2023-07-01 08:44:16
👴>Akiさん・お早う御座いま~す!
💻先月中はコメントや👍ポチを有難う御座いました・感謝&✌で~す!
@☺@今日の「ジョン万次郎のお話・ブログ」を紹介して貰い有難う御座いました。👍&👏で~すネ!
☆彡今日の「人気ブログランキング」に>👍&😍&👏で~す。
*🎥*今朝もMyBlogはアップアップしてますので遊びにお越し下さ~い<welcome!>
*見て頂いた感想コメントも楽しみにお待ちしていますネ。
🔶大雨に注意して過ごしましょ~!👋・👋!

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事