屋上に貯水タンクの有る家々
私が住む集落は埋め立て地で 水釜6区と言う
1972年に宅地を購入
当時は まばらに住宅が建築されていた
1978年11月に 自宅を建築した
住宅を建築するにあたって最初に考えたのが
屋上に貯水タンクを設置する事だった
当時 沖縄は水不足で毎年のように
給水制限(断水)が行われていた
日本で唯一亜熱帯地域である沖縄は
雨量が多い地域であるが
地形的に大きな河川はなく 河川短く
降水はすぐに海に流れる
降雨を貯めるダムも少なく(当時4ダム)
降雨が少ないと 直ちに給水制限になる
埋立地水釜6区に住む1、682人が
住宅を建てるにあたって
ほぼ全ての人が 家の屋上に
貯水タンクを設置 私も設置した
形は違うが屋上に有るのは ほとんど貯水タンク
我が家の左右の家、前と後の住宅の 貯水タンク
我が家の貯水タンク
後に沖縄本島 全域に恐ろしい事態が発生した
1981年7月から326日間に亘って給水制限(断水)行われた
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1972年と言えば5月15日を思い出しますね。「核抜き・本土並み」という看板を引っ提げての沖縄返還。そしてこの頃は米兵に対しての抗議があった…ですよね。
1978年は7月30日の「ナナサンマル」
この時は、竹富島にいました。普段は警官なんていないのに、石垣から2〜3人やって来ていました。雨が降っていて、TVでは那覇の様子が放送されていました。
振り返ってみると、懐かしい事ばかりの様に思えて来ます。