鎌倉大仏の背中が猫背の謎 デザインに隠された
北条家の野望とは? 1192年源頼朝が征夷大将軍になる 平家との戦いで焼け落ちた東大寺の奈良の大仏の再建工事を支援しました。奈良の大仏をモデルに1250年頃鎌倉に誕生したのが鎌倉大仏。鎌倉大仏1252年造立開始 高さ11.3メートル重さ121トン今では鎌倉を代表する人気スポットですが、実は資料が少ない為誰が何の目的で造ったのか?いまだに謎とされています。謎を解明するヒントがデザインに隠されていました。一般的な仏像は背筋が伸びているが鎌倉大仏は猫背である。なんで猫背なのか?露座の大仏でしたが昔は建物に覆われていた。昔は大仏殿があったが災害で失われたとか。猫背は当時最先端の国宋・中国の仏像と比べると面白い。宋の仏像も猫背になっている.大仏が猫背な理由は宋の仏像を真似たからと云われている。宋とは960年~1279年
火薬や羅針盤を発明し世界をリードした中国の王朝
宋から取り入れたデザインは他にも・・・大仏の頭は中国に比べて低い。宋との交易を取り仕切って居たのが実はか鎌倉北条氏。頼朝の妻政子の実家北条時政に弟の義時 頼朝の死後鎌倉幕府№2を独占 1250年頃大仏が造られた 北条家は宋と貿易を行っていた鎌倉のシンボルは宋のデザインを取り入れることで独自性をアピールする狙いがあった。
大仏は宋銭を潰して造った 当時殆ど日本では銅が撮れなかった。それほど珍しくもなかった。
頼朝が死んでから北条家がどうやって権力を手に入れたか・・・次回にご期待
失われたとか失われたとか