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「旧横浜税関長室」(マッカーサー元帥の執務室)見学記

2022年12月05日 | 歴史探訪<市ヶ谷台・防衛省・東京裁判>

11月18~19日(株)富士国際旅行社催行『横浜の近現代史跡をたどる大人の体験学習ツアー知られざる「横浜」の歴史を探る旅 2日間』でガイドした春日恒男(文化資源学会・戦争遺跡保存ネットワーク)さんからのメールを転載します。

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「旧横浜税関長室」(マッカーサー元帥の執務室)見学記

春日恒男

 11月13日(日)、税関150周年記念イベントの一環のとして、横浜税関庁舎の3階の「旧税関長室」と7階の「展望テラス」が公開されました。敗戦後、横浜税関庁舎は占領軍に接収され、旧税関長室がマッカーサー元帥の執務室になったことは有名な話です。
 横浜税関庁舎3階フロアには4つの部屋があります。一番手前が旧特別会議室(約111㎡)、次が旧総務部長室(約56㎡)、その次が旧税関長応接室(約56㎡)、そして、一番奥に旧税関長室(75㎡)が鎮座しています。
 旧税関長室の床は「寄木造」フローリングで、様々な種類の堅木を組み合わせた美しさが目を引きます。これは、昭和52年、創建当時(昭和9年)の状態に復元したものです。しかし、このように部屋は創建時の面影を保存していますが、残念ながら調度品類は入れ替わっています。案内担当者によれば、税関長の執務机も最近のもので、マッカーサー執務当時のものではありません。当時の調度品でただ一つ残されているのは、税関長執務机の脇にある両袖机のみです。その上、この机に関しても明確な記録がないので、はたしてマッカーサーが実際に執務したものかどうか不明だそうです。
 連合国軍の日本占領は、1945年8月28日、先遣隊の厚木飛行場到着を露払いとして、その2日後、連合国軍最高司令官マッカーサー元帥の同飛行場到着をもって開始されました。彼はその日に厚木飛行場から横浜へ移動し、ホテルニューグランドを宿舎としました。そして、同時に、横浜税関に「連合国軍最高司令官前方梯団オフィス」と「米太平洋陸軍総司令部」を開設したのです。一般の歴史書では、横浜税関に開設したのが「連合国軍総司令部」だという記述を見かけます(現に、今回の旧税関長室の解説文もそう述べています)。しかし、これは正しくありません。マッカーサーが横浜税関に開設したのは「連合国軍最高司令官前方梯団オフィス」であり、この時点で「連合軍総司令部」はまだ成立していません。8月に横浜税関に開設された「連合国軍最高司令官前方梯団オフィス」が、9月に東京日比谷の第一生命ビルに移動し、10月2日付で正式に「連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)」として発足するのです(栗田尚弥編著『米軍基地と神奈川』有隣新書、2011年、35p参照)。
 マッカーサーが東京に去ったのち、横浜税関の主となったのは、米国陸軍の「第八軍総司令部」でした。朝鮮戦争が始まると「総司令部」は朝鮮半島に移動し、「在日兵站司令部」と名称を変えましたが、基本任務は一貫として日本占領の実働機関でした。1953年に撤収するまで8年間にわたり日本の占領支配を実質的に支え続けました。ご存知のように、日本の占領方式は軍政による直接統治ではなく、間接統治でした。それは連合国軍最高司令官が直接、命令を国民に発出するものではなく、覚書などの指令を日本政府に伝え、日本政府はそれを法律・命令・規則などの形式に直して都道府県庁に伝えるという方式でした。そして、占領政策が末端レベルまで順守されているかどうかチェックするために、利用されたのがこの「第八軍総司令部」軍政局でした。これは軍団軍政本部、地方軍政本部、府県軍政部からなるピラミッド型の組織で、日本各地の行政司法の津々浦々まで点検・監視しました。そのため、横浜は日本占領の実質的な中心となりました。使用可能な港湾施設や主要な建物はすべて接収され、米軍の様々な施設になりまました。港湾都市横浜の機能は停止し、横浜の復興は大きく遅れることになるのです。
 現在、横浜は完全に復興し、大繁栄しているように見えます。しかし、横浜港の一番北にある瑞穂埠頭(通称ノースピア)は依然として今も米軍の支配下にあります。ここは占領終了後も在日米軍の物資の陸揚げ港となり、相模総合補給廠(陸海空軍海兵隊の物資保管所)、横田飛行場(極東の輸送ハブ)と連携して米軍極東戦略を支える重要兵站拠点を形成しています。
 今回、旧税関長室と共に公開された7階の「展望テラス」にも上がることができました。おかげで横浜港の全景を眼下に一望できて、瑞穂埠頭に停泊する巨大な米軍輸送艦群をつぶさに観察することができました。朝鮮戦争、そしてベトナム戦争の時、ここから戦車など多量の武器や軍需物資が戦地に輸送されました。そして、今、北朝鮮のミサイル発射、台湾海峡危機の中、その役割はますます重くなりつつあるようです。横浜税関の歴史は過去のものではなく、現在のものであることを今回の見学を通じて改めて痛感しました。

旧税関長室

瑞穂埠頭に停泊する巨大な米軍輸送艦群

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(了)

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