京都新聞記事に終戦翌年の軍港、沈んだ艦船間近に 米軍撮影フィルム、朝鮮人犠牲の「浮島丸」も 京都・舞鶴
『浮島丸は1945年8月24日、青森県から朝鮮に帰国途中だった労働者や家族を乗せていたが、舞鶴湾の佐波賀沖で爆発して沈んだ。日本政府の発表では、朝鮮人524人と日本人船員25人が死亡したとされる。映像では、海上から突き出た浮島丸の白色のマスト2本やレーダー装置が周囲を旋回して撮影され、舞鶴湾に浮かぶ蛇島や佐波賀の集落も映り、浮島丸は「舞鶴湾で機雷に触れた」と説明されている。』
との記述がありますが、在日朝鮮人を本国に帰還させないために沈没させたという「謀略説」を聞いたこともあります。
靖国神社偕行文庫室で複写した「朝鮮の状況報告」の「一一 軍トシテ特二苦慮シアル件」と「一二 意見」に次のような記述があります。
一一 軍トシテ特二苦慮シアル件
1 在内地鮮人ノ引揚ゲ日本軍隊早期引揚ゲノ米軍ノ意思竝二北緯三十八度線ノ閉鎖二依リ心ナラズモ朝鮮軍ガ外地軍ノ第一二復員スル結果トナルコト(略)
十二 意見
1 (略)
2 留日鮮人ノ歸還二就テ
在鮮日本人ノ引揚ゲト在内地朝鮮人ノ歸還トハ十分調子ヲ合セ其ノ数ト時期的按配トヲ適切ナラシムル要アリ 一方的二早期二片付クコトアランカ内地二於ケル事態ハ悪化ノ虞ナカランシモ朝鮮在住日本人ノ迫害ハ生命財産全般二及グモノト恩ハザルベカラズ特二思想的ト謂ウヨリモ寧ロ不和雷同時局便乗財産奪取カ大体ノ傾向二シテ乱民的傾向ヲ示ス二於テ特二然リトス
3 北鮮日本軍ノ処理
対「ソ」現地交渉ハ既二電報セル如ク殆ンド望ミナク東京二テ善処セラレンコトヲ希望ス
4 鮮内日本人ノ私有財産及送金等困難ナル問題ナランモ東京二テ明瞭二シテ成ルベク速カ二通報セラレ度
(終)
8月9日ソ連軍が参戦した後、この報告書を提出する以前から、電報による状況報告と意見具申がなされていたと考えられます。「在鮮日本人の引揚げと在内地朝鮮人の帰還とは十分調子を合せろ。一方的に早期に片付けると内地に於ける事態は悪化の恐れがある。朝鮮在住日本人の迫害は生命財産全般に及ぐ」と具申していますので、浮島丸を爆破沈没させ、日本からの引き揚げを止めさせた「謀略」の可能性があったと推測しています。
(了)