靖国神社ガイド資料2024版に京土竜作「竹矢来」を掲載しました。
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竹矢来 京 土竜 「しんぶん赤旗」1989年2月4日付「読者の文芸」に初出
岡山県上房郡 五月の山村に
時ならぬエンジン音が谺(こだま)した
運転するのは憲兵下士官
サイドカーには憲兵大尉
行き先は村役場
威丈高に怒鳴る大尉の前に
村長と徴兵係とが土下座していた
--- 貴様ラッ!責任ヲドウ取ルカッ!
老村長の額から首筋に脂汗が浮き
徴兵係は断末魔のように痙(けい)攣(れん)した
大尉は二人を案内に一軒の家に入った
---川上総一ノ父親ハ貴様カ コノ 国賊メガッ!
父にも母にも祖父にも
なんのことか解らなかった
やっと理解できた時
三人はその場に崩れた
総一は入隊後一カ月で脱走した
聯(れん)隊(たい)捜索の三日を過ぎ
事件は憲兵隊に移された
憲兵の捜査網は二日目に彼を追い詰めた
断崖から身を躍らせて総一は自殺した
勝ち誇った憲兵大尉が全員を睨み回して怒鳴った
--- 貴様ラ ドウ始末シテ天皇陛下ニオ詫ビスルカッ!
不安気に覗き込む村人を
ジロッと睨んだ大尉が一喝した
---貴様ラモ同罪ダッ!
戦慄は村中を突き抜けて走った
翌朝 青年団総出の作業が始まった
裏山から伐り出された孟宗竹で
家の周囲に竹矢来が組まれた
その外側に掛けられた大きな木札には
墨(ぼつ)痕(こん)鮮やかに
国賊の家
---あの子に罪ゃ無ぇ 兵隊にゃ向かん
優しい子に育ててしもた
ウチが悪かったんジャ
母親の頬を涙が濡らした
---わしゃ長生きし過ぎた
戦争せぇおこらにゃ
乙種の男まで 兵隊に取られるこたぁなかった
日露戦争に参加した祖父が歎いた
---これじゃ学校に行けんガナ
当惑する弟の昭二に
母は答えられなかった
---友達も迎えに来るケン
父親が呻くように言った
---お前にゃもう 学校も友達も無ぇ
ワシらにゃ 村も国も無うなった
納得しない昭二が竹矢来に近づいとき
昨日までの親友が投げる石(いし)礫(つぶて)が飛んだ
---国賊の子!!
女の先生が 顔を伏せて去った
村役場で歓待を受けていた大尉は
竹矢来の完成報告に満足した
---ヨシ 帰ルゾ
オ前ラ田舎者ハ知ルマイカラ
オレガ書イトイテヤッタ
アトハ 本人ノ署名ダケジャ
彼は一枚の便箋を渡して引き揚げた
大尉の残した便箋は
村長を蒼白な石像に変えた
石像は夜更けに 竹矢来を訪れた
三日後 一家の死が確認された
昭二少年の首には 母の愛の正(しよう)絹(けん)の帯揚げ
梁(はり)に下がった大人三人の中央は父親
大きく見開かれたままの彼の眼は
欄(らん)間(ま)に掛けられた
天皇・皇后の写真を凝視していた
足元に置かれた 便箋の遺書には
「不忠ノ子ヲ育テマシタ罪 一家一族ノ死ヲ以ッテ
天皇陛下ニお詫ビ申シ上ゲマス」
村長は戸籍謄本を焼却処分した
村には 不忠の非国民はいなかった
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(了)