goo blog サービス終了のお知らせ 

葵から菊へ&東京の戦争遺跡を歩く会The Tokyo War Memorial Walkers

外交・政治・戦跡・鉄道・家族・絵画etc.

靖国神社ガイド資料2024版に京土竜作「竹矢来」を掲載しました

2024年02月19日 | 歴史探訪<靖国神社>

靖国神社ガイド資料2024版に京土竜作「竹矢来」を掲載しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

竹矢来  京 土竜 「しんぶん赤旗」1989年2月4日付「読者の文芸」に初出

  岡山県上房郡 五月の山村に
  時ならぬエンジン音が谺(こだま)した
  運転するのは憲兵下士官
  サイドカーには憲兵大尉
  行き先は村役場

  威丈高に怒鳴る大尉の前に
  村長と徴兵係とが土下座していた
  --- 貴様ラッ!責任ヲドウ取ルカッ!
  老村長の額から首筋に脂汗が浮き
  徴兵係は断末魔のように痙(けい)攣(れん)した

  大尉は二人を案内に一軒の家に入った
  ---川上総一ノ父親ハ貴様カ コノ 国賊メガッ!

  父にも母にも祖父にも
  なんのことか解らなかった
  やっと理解できた時
  三人はその場に崩れた
  総一は入隊後一カ月で脱走した
  聯(れん)隊(たい)捜索の三日を過ぎ
  事件は憲兵隊に移された
  憲兵の捜査網は二日目に彼を追い詰めた
  断崖から身を躍らせて総一は自殺した

  勝ち誇った憲兵大尉が全員を睨み回して怒鳴った
  --- 貴様ラ ドウ始末シテ天皇陛下ニオ詫ビスルカッ!
  不安気に覗き込む村人を
  ジロッと睨んだ大尉が一喝した
  ---貴様ラモ同罪ダッ!
  戦慄は村中を突き抜けて走った

  翌朝 青年団総出の作業が始まった
  裏山から伐り出された孟宗竹で
  家の周囲に竹矢来が組まれた
  その外側に掛けられた大きな木札には
  墨(ぼつ)痕(こん)鮮やかに

  国賊の家

  ---あの子に罪ゃ無ぇ 兵隊にゃ向かん 
  優しい子に育ててしもた
  ウチが悪かったんジャ
  母親の頬を涙が濡らした
  ---わしゃ長生きし過ぎた 
  戦争せぇおこらにゃ 
  乙種の男まで 兵隊に取られるこたぁなかった
  日露戦争に参加した祖父が歎いた

  ---これじゃ学校に行けんガナ
  当惑する弟の昭二に
  母は答えられなかった
  ---友達も迎えに来るケン
  父親が呻くように言った
  ---お前にゃもう 学校も友達も無ぇ 
  ワシらにゃ 村も国も無うなった
  納得しない昭二が竹矢来に近づいとき
  昨日までの親友が投げる石(いし)礫(つぶて)が飛んだ
  ---国賊の子!!
  女の先生が 顔を伏せて去った

  村役場で歓待を受けていた大尉は
  竹矢来の完成報告に満足した
  ---ヨシ 帰ルゾ 
  オ前ラ田舎者ハ知ルマイカラ 
  オレガ書イトイテヤッタ
  アトハ 本人ノ署名ダケジャ
  彼は一枚の便箋を渡して引き揚げた
  大尉の残した便箋は
  村長を蒼白な石像に変えた
  石像は夜更けに 竹矢来を訪れた

  三日後 一家の死が確認された
  昭二少年の首には 母の愛の正(しよう)絹(けん)の帯揚げ
  梁(はり)に下がった大人三人の中央は父親
  大きく見開かれたままの彼の眼は
  欄(らん)間(ま)に掛けられた
  天皇・皇后の写真を凝視していた

  足元に置かれた 便箋の遺書には
  「不忠ノ子ヲ育テマシタ罪 一家一族ノ死ヲ以ッテ 
  天皇陛下ニお詫ビ申シ上ゲマス」

  村長は戸籍謄本を焼却処分した
  村には 不忠の非国民はいなかった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(了)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« なんでも鑑定団「石川啄木の... | トップ | 【再掲】論考「生の靖国問題」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

歴史探訪<靖国神社>」カテゴリの最新記事