昨日、土曜日(16日)は長野県茅野市九条の会の36人をガイドしました。
午前10時45分に九段会館駐車場で待ち合わせをしてからまず初めにしょうけい館にお連れしました。しょうけい館の一階で「今日は満蒙開拓団と満蒙開拓青少年義勇軍が日本で一番多うかった長野バージョンでいきます」とご挨拶をしました。そして開架図書にある信濃毎日新聞の写真記者が発行した写真集「銃後の街-戦時下の長野1937-1946」川上今朝太郎著大月書店 をお見せししました。
参加者を半分に分けて「ゲゲゲの鬼太郎」の作者水木しげるさんの企画展を見ていただき、残りの半数は二階の展示をご案内しました。
しょうけい館を出てから旧千代田区役所前庭にある「愛国婦人会発祥の地」石碑をご案内した後、九段会館地下の「くだん亭」で昼食になりました。
昼食後、国指定の重要文化財「田安門」と九段坂の品川弥二郎子爵、大山巌元帥の銅像を車窓から説明をしながら国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑に到着しました。ところが駐車場のゲートが閉まっていましたので路肩に駐車して皆さんを降車してもらい墓苑内を案内し、追悼の意を表していただきました。
管理事務所に伺いましたら不法駐車が多いので閉めているが連絡をしてくれれば明けますとのことでした。
靖国神社境内入口で皆さんを降車してもらいガイドを始めました。
「長野バージョン」第二弾は駐車場入口にある石の鳥居と狛犬です。これは昭和8年に長野県諏訪にある「片倉同族」(片倉製糸)が献納したものです。落下傘用絹糸が軍需により企業が儲け始めた証左です。「長野バージョン」第三弾は昭和22年10月に善光寺に昭和天皇ご巡幸があったことを説明してお別れしました。
本日、下記のメールを受信しましたので原文のママアップします。
………………………………………………………………………
長谷川 順一様
昨日はありがとうございました。
帰るバスのなかで参加者から「大変よい企画であつた」「勉強になった」「こういう会の行事に次も参加したい」などの声をたくさんいただきました。これも一重に長谷川様の優れたガイドによるものと幹事一同心から感謝しております。
〝しょうけい館〟〝千鳥ヶ淵戦没者墓苑〟そして〝靖国神社〟と続く、案内順も理にかなったものであることが後で分かりました。
私自身のことで言えば、靖国には今度で三回目ですが、過去二回は主に遊就館を一人で見て回ったため、靖国の全体像を理解するには及びませんでした。今回初めて神社の隅々に秘められている仕掛けやその歴史的意味を知ることができました。
機会があってもう一度ご案内をいただければ、更に理解が深まるものと思いますが、資料も立派なものを揃えていただきましたので、後はこれをもとに学習に励みたいと考えております。
取りあえずお礼方々感謝の意をお伝え申し上げます。
長谷川様におかれましては、これからも平和案内人とし、お元気でご活躍されますことを衷心より祈念しております。ありがとうございました。
なお、帰りのバスのなかで参加者から聞きました感想など一部紹介いたします。まとまりはありませんがご承知おきください。
2008年2月17日
茅野市9条の会事務局
靖国神社見学ツアー幹事
◆改めて「国防婦人会」のことを知り、母の姿を思い出し、涙が出てきました。小学校三年生から、ろくに勉強もできず大変な時代を過ごしました。
◆父がニューギニアで死に、叔父さんもビルマで戦死しました。戦争は一度にたくさんの人が死にます。二度と戦争はイヤです。
◆祖母の兄弟が戦死しています。昨日位牌から明治28年に死んだことを確認してきました。日清戦争か日露戦争だったのか、いずれか分かりませんでしたが、今日靖国で確認して日清戦争であることが分かりました。そのため遊就館を皆さんより一足早く出て参拝してきました。内容の濃い一日でした。
◆靖国は今までのすべての戦争は、正しかったと描いていますが、これから孫たちのことを考えると不安で仕方ありません。ガイドさんがよく説明してくれました。
◆靖国のことは本で知っていましたが、今日実際に見て、そして説明を受け、大変勉強になりました。若い人がたくさん来ていて驚きました。
◆「しょうけい館」を見た上で靖国に行ったことがよかった。精神病に罹った兵士が8パーセントいたことにショックを受けました。もっとじっくり「しょうけい館」を見たかったです。
◆子どものころ傷痍軍人を見て何となく恐ろしかったことを覚えています。靖国では若い人が多かったが、何を目的に来ているのだろうか。
◆私は猫が大好きで飼っていますが、人と同じように大切な命、馬の命が戦争によって奪われことを思うと悲しい。(「しょうけい館」にあった短歌を紹介しながら)
◆「しょうけい館」はよかった。靖国では戦争は否応なし、止む終えなし、と言うモチーフになっていました。むごたらしい場面は全然ない戦争博物館でした。
◆一人の殺人でも、警察は捜査網を敷き殺人者を捜す。テレビや新聞は大騒ぎするのに大勢の人間を殺した人は出世しエラクなっていく。教育によって人は戦争を当たり前のように考えるようになります。「戦死とは自殺でも他殺でもない教育死、つまり教育によって人殺しを行なう。」こんな話を聞いたことがあります。教育の大切さを改めて知ることができました。
◆知っているつもりでいましたが、自分の目でたしかめなければならない。
◆知らなかったこと、忘れかけたことを思い出しました。子どものころ遊びながら、戦意高揚の歌を、何か良いことがありそうな、そんな気持で歌っていました。私がもう少し早く、もし男の子に生まれていたらどうなっていただろう。これからもみなさんといっしょに頑張りたいです。
◆テレビで武良茂さん(漫画家 水木しげる氏の本名)の話を聞いたことがあります。「しょうけい館」を見ることによって又知識が増えました。ガイドさんの話では兵隊は場所や傷を負った箇所によって待遇が違い、差別されるといた、と言う。今日は良い勉強になりました。
◆私は40年間空白の時を過ごしました。(こういうことに目を向けなったことを指し)
最近靖国を一度は見てみたいと思っていました。日本人310万人、アジアの人々2000万人の命を奪った戦争であったことは、靖国にはひとかけらもありません。
これからも皆さんといっしょに頑張ります。
◆今回二回目の靖国です。映画が刺激的で、戦争を鼓舞する内容だった。以前「戦争体験を語る会」である女性が「音楽教育が戦争を鼓舞した」と言っていましたが、本当にそうだと思いました。
◆人は弱いものです。教育によってどうにでもなります。今日は皆さんの意見を聞いて励まされました。次回は新しい人がたくさん参加するそんな会にしてください。
◆来るバスのなかでビデオ「NHK特集(焼け跡から生まれた憲法草案)」を見ていたので靖国の問題が良く理解できました。
◆靖国には戦争を仕掛けた側の姿はあっても、日本人あるいは戦争を仕掛けられたアジアの人々の痛苦の姿はまったくありません。こんな展示品を見て若者はどう感じるのだろうか心配です。ガイドが靖国の隅々までよく説明いただきました。ありがとうございました。
◆私たちは戦争を思うと心が痛むのに、靖国の人たちはどう思っているのだろうか。
◆私は名刺には「憲法九条を守る」ことと「環境を守る」ことを刷り込んでいます。これからの余生をいかに生きるか。又、何を大切にして生きるか、と自分に問いかけ、思いを込めてつくりました。
先日沖縄での慰霊祭に行ってきましたが、墓前で名前を呼び掛け、涙を流す人々の姿に私も涙を禁じえませんでした。