文在寅の自叙伝や評伝を読んだ後にまず浮かぶ印象は、彼がロマンティストであるということだ。基本的に、文系の世界で人生を開拓してきた彼のキャリアに大きな影響を及ぼした経験が2つある。
1つは、韓国南部の名門である慶南高校で4回も停学処分を受けたことである。その原因は大体、飲酒や喫煙であった。彼は、「成績は優等生だったが問題児に囲まれて」過ごした高校時代を、ある種の英雄談のように語っている。
もう1つは、法曹人としての彼の経歴を左右した出来事である。韓国で国家司法試験に合格することは人文社会系の人間にとって、出世の登竜門である。さらに、その合格者が受ける司法研修をトップクラスの成績で終えることは、法曹界のスターとして生き残れることを意味する。
彼は1980年、司法試験に合格、82年に司法研修院をトップの成績で終えたが、「当然の」コースである判事任用を拒否された。大学時代に反政府デモを主導した前歴のだめたった。そもそも法曹人を目指す人間が反政府運動を主導するという事自体が、当時の常識では、まるでドン・キホーテなのである。
判事も検事もなれなかった文には、弁護士になる道しか残っていなかった。なのに、その弁護士も一番きつくて「金にならない」、人権弁護士の道を選んだ。盧武鉉と一緒に人権弁護士の道を歩み、盧が大統領になって秘書官として政権に加わった文在寅の人生を貫くキーワードは「正義」だった。
正義の追求を人生の中心軸として置くことができる原動力は、利益の計算を超えて何らかの価値を求めるロマンである。いい換えれば彼の人生観の核心は「超越主義的」(transcendental)である。
現代ビジネス からの引用記事