昨日、江戸幕府が諸大名の勢力が増大して幕府に対抗する事態を防ぐために、「参勤交代」が生まれた、と言いました。
参勤交代は、諸大名の藩財政にとって膨大な出費を強いられるのに、何故理由をつけて断れなかったのでしょうか?
実は「病」という理由で怠った大名はいるのです。
それも、将軍家の身内です。
二代将軍秀忠の時、甥に当たる松平忠直が、又三代家光の時実弟忠長が、改易(左遷)されました。
いずれも、その身分からすれば惨めな最期を遂げたのです。
掟破りは、身内でも容赦はしない幕府の強い姿勢に、個々に分かれれば格段と力の劣る諸大名は忠節を誓いました。
その忠節の証が、江戸に一年勤め、国元で一年間国を治めるという参勤交代です。
参勤交代の大名行列はそれぞれの藩のプライドがかかってます。
見栄を張って美々しく目立つようにしたらしいです。
その道中すべて徒歩だったといいます。
さぞ時間がかかった事でしょう。
「下に~、下に~」と物々しく通る武士団、お籠の殿様、槍を持って舞う奴さん。
「へへえ~」と土下座する村民、町民。
時代劇で見た光景は実際にありましたが、実際の人数は出発と到着の時だけ藩の連中が応援して増やし、節約のため途中は質素にして、人数も減らしたそうです。
このように各藩がお互いに忠節度を(見かけだけでも)競い、途中の宿場町や街道にお金を落としたお陰で、江戸幕府は安泰となり、経済の流通もされていたのです。
この制度が確立されたのは、徳川秀忠の代です。
家康や家光の陰に隠れて、家庭的で地味なイメージの人は、実はかなりの能吏だったのですね。
三百年続いた江戸時代は戦いがなく、自給自足で人口の増減も少ない、日本にとって奇跡のような時代です。
世界がたいそう狭くなった今日、江戸時代の再来は望むべくもありませんが、その知恵はバカにしたものではありません。
無駄な労力と思われる作業の中に秩序を保つ為に大切な何かがあるように思えます。
追伸:無関係な写真ばかりでごめんなさい。