読書の森

紫姫の駆け落ち その8



高井飛雄馬が知りえたのは、紫姫の出生の秘密のみであった。
単純素朴な彼にとって、容子の気持ちのデリケートな推移はとても計り知る事が出来ない。

ただ、やはり容子が深い罪の意識から錯乱に陥ったのだと考えた。
そして残された紫姫への哀憐の情は止み難かった。

さて、その後ただ一人の跡継ぎである泰昌は誰一人反する者もなく戸田城主になった。

泰昌の妻、波子は頭の良い女で決して本心を人前で見せなかった。
しかし、妻の直感から夫の容子に対する思いが普通でないのを察している。
更に探って、夫が密かに所持している容子の恋文(未だ妃となる前である)を読んだ。
理屈も何もない、ただ憎かった。
この憎しみは執念深く内攻していった。



飛雄馬が重大な決意をしたのは、波子の企みを知ってからである。

隣国とは生産物の交流などで、仲が良かった。
その若殿が紫姫を側室として迎えたいと言う(母の美貌が隣国まで届き、その娘ならという事である)。
波子が裏で画策した事であった。
泰昌は渋ったが、結局妥協した。
若君は見た目は尋常な面差しと風采だが、実は魯鈍に近い知能なのだ。それを伝手にあわよくば隣国を手にしたいという下心がある。


「何と人をバカにした企てか!」
飛雄馬は激怒した。
泰昌にしても波子にしても、紫姫を政治の道具としてしか見ていない。戦国の常ではあるが、今迄の仕打ちと合わせて考えると、嫁にやった紫姫がたとえどのような目に遭おうと、寧ろ苦境に立つ程波子にとって心地良いのではないか?

紫姫を嫁にやってはいけない。
飛雄馬は唇を引き締めた。
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