日々想ヒ事生活

 旅が
やめられない!!
ムチャクチャで小心者なI'raの日々と、時々はなとの旅

1945.8.6

2012-09-25 22:57:34 | 日記
またずいぶん遅くなってしまったけど、ブログに残しておきたいコトをあげる

今年、広島に黙祷出来なかった

こちらに越してから、ずっと、戦争を原爆を身近に感じている


今年1月に、謎の火事で2階を焼失した広島のBAR swallowtail本通店

swallowtailに初めて行ったのは4年前の平和祈念式典前夜
それからちょこちょこ行きだした薬研堀店では、よくあるBARのそれと同じくカウンター(しかない)の繋がりで顔見知りもたくさん出来ていて、姉妹店の海辺のレストラン波輝カフェでは10日ほど体験スタッフもしたことが
本通店が出来てからは、たまにカフェする程度に

でも、マスター(社長)洋次郎さんの人柄や考え方、やってることが好きで、あたしの中で特別なお店だ
毎月6日には、原爆被爆者語り部の会を開いていて、平和資料館のピースガイドもしている
見た目はやんちゃで肝の座ったにぃちゃん

戦争反対と叫ぶより、隣にいる人を愛そう
そういう人

そんな洋次郎さんがスタッフと体現しているお店swallowtailが、火事を経て、8月16日に広島に帰還

長い間の休業に心配もしたし、待ち遠しくもしていたので、何とか行きたかった

どうせ行くなら、久しぶりに証言者の方のお話が聞きたかったので、9月6日に合わせて行ってきた

お帰りswallowtail

行きに寄った花屋で鉢植えを買っていく(かわいい花ものがなかった…)

8月を過ぎると語り部の会は途端に人が少なくなってしまうのだと洋次郎さん

今回は、中学1年の時に入市被爆した新井さんの証言

最近は話慣れてきてしまったと言われていたが
証言中に何度か込み上げてくる場面もあった

被爆し、生き残られた方それぞれの原爆がある

初めて知る事柄、その人の立場、目線

心がねじれて切れてしまいそうだった


お話ではない、本当にあの日、ここで起こっていたことの証言だ

終了後、一旦店を出て歩く

この道も、その道なんだ

堪えきれず、原爆ドーム前に行き
おいおい泣いた

赤焼けた皮膚を引き摺らないようにして垂らし歩く人々の波

母を自ら火葬する少年

顔の膨れ上がった幼い姉妹

水を求めた人々の頭が突っ込まれ溢れかえる防火水槽

身体中にガラスの突き刺さった両親

一瞬で灰になった同級生たち

自分たちだけ生き残ったという世間の目

全部全部、本当にあったコト

ここで起こっていたコト


ごめんなさい

何故かそればかり浮かんだ

被爆

被曝


竹原ピストルの『女の子』という曲を思い出す

原爆ドームを女の子と歌った歌

ライトアップされる原爆ドームを見上げると、また泣いてしまいそうだった

帰りがけ、原爆ドームをバックにピースしながら写メを撮るカップルがいた

なんにも知らないんだ…


けれど、そのうち、本当に誰も知らなくなってしまう

広島原爆投下から67年

証言者は皆、歳をとっていく

あの時ここで起こっていたコトを
伝える人々がいなくなっていく

人間は忘れてしまう生き物だから
この身に刻まれたコト以外は本当に忘れてしまう


現在、証言の継承者を育成するという講習が行われていると聞いた



過ちは繰り返しませぬから



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