三宅洋平が当時フロントマンをつとめていたバンド
犬式を知ったのは確か2008年のサンセットライブだった
そして広島でのライブを観て、どっぷりハマった
あんなに完璧で遊びのあるグルーヴを体感したのは初めてだったし、途切れることのない音の空気の中で語る彼の言葉の端々にいちいち衝撃を受け、帰ってからは彼のブログを読み漁った
三宅洋平という人はなんとも自分の欲求に忠実だ
欲求とは
本気で遊ぶこと
物事を多方面、多角的に知ること
実践すること
決して己のみの欲望を追及することではない
それは結局のところ欲求を満たしはしない
取り繕うだけだ
過去の見解が間違っていたら素直に訂正する
ストイックにもよく似たスタンスで、人生を最大限咲かせようとしている
そして、紡ぎ出される言葉は、人を魅了する説得力と美しさを持つ
犬式は解散してしまったが、三宅洋平は相変わらず前へと歩を進めていて、ソロでジャムで表舞台に立っていた
そんな彼と、原発闘争の現場が繋いでくれた
上関原発の建設問題を27年(当時。現31年)抱えている祝島そして田ノ浦に彼は来たのだ
無理言って繋いでもらい、後日、急きょ上関に再訪してきた時に連絡があり、ゆっくり話が出来た
ローカルに、現場に足を運び、誰にでも対等で、まっすぐに物事をみつめる
そんな三宅洋平を助手席に乗せ、(ものすごく)緊張しながらも、真剣な話も他愛のない話もしたら、益々ファンになった
彼のTwitterやFacebookを覗きたいが故にそれらを始めた
三宅洋平のみつめるモノを見解を知りたかったのだ
何故なら、彼が、学者でもなくマスコミでもなくミュージシャンだったから
ミュージシャンというブレない軸を持ちながら、時にジャーナリストに、時に教化に、時にオーガナイザーに、そして市民レベルで発言する一個人としてモノゴトを発信していた
それが、人間らしい感情と感性、そして愛に基づいた発信でることに、共感できたから
まるでチェ・ゲバラのようだ
と、思った
(あたしはチェ・ゲバラが大好きだ。大好き過ぎてキューバにも行った)
東日本が揺れて、原発が爆発してからも、彼は彼のネットワークを最大限に生かした発信と現場への行動をし始めた
被曝覚悟で、西日本の安全な食材を集め被災各地で炊き出しをして回った
発想を熟考し必ず実践する
「でも」「だって」はない
そして、音楽に対する情熱はブレない
常に人間くさい
そんな、三宅洋平が、ついに国政選挙に出ることを決めた
あたしは動かない訳を持ち合わせていなかった
政治の世界に飛び込むことが、どれをほど大変で面倒くさくて覚悟の要ることか、身近な選挙に3回関わって来て身を持って体験していたので、両手放しで万歳という訳にはいかなかったが、
こんなにたくさんのモノをもらった大好きな人がその腹を決めたんだ
全力で応援するに決まっていた
彼がにわかミュージシャンの思い付き立候補ではないこと
政策ビジョンが浅はかでなく、明確であること
対立ではなく対話というネクストレベルの必要性
それを周りにわかってもらうのはあたしの仕事だと思った
いつもどこかで言い訳を作って、100%出せていなかったが、その壁もぶっ壊す必要があった
それは自分に対して嘘をつかないということだ
だから、最後の最後まで出来ることをやる
さらに、そういう同士が自主的に声を上げて動き出していることは、本来の意味での草の根の力であり、強い
生身の人間である三宅洋平をマツリあげるのではなく、
三宅洋平にきっかけをもらった皆が、国を 選挙を マツリあげる
125万票
果てしなく思えるこの数字を得なければ、彼を国会に送り込めない
選挙を自分事に
クニツクリを自分事に
やりましょう、最後まで
三宅洋平
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