21日
3泊4日の沖縄から帰って来た
この度は旅行
レンタカーを借りて本島をぐるっと回る予定を組んでいた
が
初っ端から、飛行機に相次いで乗り遅れるという失態をしでかし、初日の予定はバー
破天荒あいらに翻弄されまくるはなとM氏
本当にすまぬ…
更に宿泊先の月光荘は、那覇自体、関東からの避難(?)民でごった返していて、ゲストハウス初体験のM氏は動揺したままチェックイン
はなは留守番で、3年前に八重山で出会った友人と飲みに出掛ける
残波のボトルを入れてくれ(私飲めません)友人と話が弾んでいる隙に、出来上がってしまうM氏
次第に音楽トーク全開で、月光荘に流れ込み
ゆんたく場で、酔っ払い達の妙な盛り上がりのなかにも原発震災の話題が上がる
ひとりで、家族で、東京から放射能から逃れて来ていた
19日
翌朝、何とか早起きし、農連市場へ
沖縄ローカルモーニング
食堂でそば(小)と味噌汁を頼みガッツリ食す
M氏、二日酔いで一人前食べれず
はなが「めし!」と鳴くので帰宿
首里城、北谷と周り、読谷のチビチリガマへ
ガマに逃げ込んでいた100数名の住民の内、83名が、自決、或いは我が子を殺して亡くなったガマ
上陸戦の恐ろしさは、最終日に訪れた平和祈念資料館で更に知ることとなる
残波岬、万座毛と周り、今帰仁村の夢有民牧場敷地内にある、ビーチロックビレッジへ
ここも3年前に宿泊した所
はなは牧場の動物の臭いに大興奮
しかし目玉のツリーハウスは改装中、ブランコも木が折れてしまいなかった
今夜はここで出会った知り合いが去年からやっているGHに泊まる
日の落ちたジャングルな山道を下り、本部YOSHIKAへ
昨日とは打って変わって静かな宿
しかも広い!
はなもエントランスフロアに入れてもらいそわそわ
疲れているのにまたまた語って盛り上がってしまう
20日
朝から古宇利島へ
ここの海は本島の中でも別格
あいにくの曇りだけど美しいエメラルド色をしていた
黒いノラの子犬がはなに絡んでくる
ノーリードで遊ばすと案の定ダイブ
まだまだ寒いっすよ!って関係ない
岩国でもこの時期川に入るのだから
お土産市場で海ぶどう他を購入
海ぶどうって15~25℃じゃないとダメなんだって!
じゃあ、持って帰ったらしぼんじゃうね~
それから国頭村の比地大滝へ
ペットダメという事ではなは留守番
有料遊歩道を歩いて川を登っていく
小さなイグアナみたいなイモリの仲間を発見
爬虫類好きにはたまらんね~
ジャングルみたいな山の空気が気持ちいい
本島最長の滝の後は、本島最北端、辺戸岬へ
小雨の中、柵も何もないビーチロックの絶壁から真っ青な海を見下ろす
しかしヤンバルは広かった
高江の座り込みテントに辿り着けたのは夕方
しかも、迷いに迷ってしまい…おかげで高江がどんなところか見て回れたのだけど
米軍基地ヘリパッドが造られようとしている、ヤンバルの東村・高江
2月中は毎日何百人もの地元の人を含む作業員を雇って、森を伐採
凄くシビアな状況で作業が強行されていたようだ
上関の戦場のそれと同じ
悲しい支配
更に住民が損害賠償をかけられるあくどい国のやり方も上関と同じ
そんな事、許されていいはずがない
途中、マングローブを観察して、辺野古に移動
もうすぐマングローブの花が咲く頃だ
3年前に来たときは有刺鉄線だった浜の国境(向こうは米軍基地)がどでかいコンクリートの壁へと変えられようとしていた(画像参照)
16時をとうに回っていたので、話を聞くことは出来なかったが、明らかに色々方面での作業が進められてしまってるのがわかった
でも埋め立ててない
まだまだ希望はある
もう基地は増やさなくていい
人殺しの為にジュゴンの海を壊さなくていい
4月に来たかったなぁ
そしたらきっと泳げた
また、このキレイな海に潜れた
買い物をして読谷のGH宿かりに着いたのは20時近かった
沖縄、意外と広いのね…!
夕ご飯は自炊
チャンプルーに海ぶどう、スパム、ジーマミー豆腐、島らっきょう
ミミガーを探したけどなかった
夜中に飲みに行った十八番横町で、東京からレゲエ陣が避難してきてることを聞いた
で
三宅洋平も来てるって…!
あぁ、ニアミス
チェックしたら今日は那覇でチャリティー路上ライブ
しかも月光荘の近く…w
みんな沖縄にゆっくりを求めて来てるのかな?
21日
早起きして南へ
平和祈念資料館へ
時間はなかった
でもここは必ず見ておきたかった
日本唯一の上陸戦を経験している沖縄
時代は琉球まで遡りみる必要があった
日本から受けてきた人種的迫害、言葉や文化の強要
米兵に怯える日々
内部での猜疑心、スパイ容疑
お国の為にと自ら命を絶った人々
我が子を殺す母親
精神を狂わされた人々
そして、戦後の米国占領
返還後も待ち構えていた支配
基地問題
爪痕は尚も残り、傷は癒えるどころが広がっていく
まだ闘っている
闘い続けている沖縄
しかし、時代がそれを押し流そうとする
忘れちゃいけない
葬っちゃいけない
沖縄は誰のもんだ?
今まで行った平和祈念資料館の中で、一番怖かった
時間的にひめゆり資料館にはいけなかったが、機会があれば映画を観たい
今回の沖縄行き
地震と重なり、正直楽しめるか不安だった
でも、あの海の青さや緑の美しさや市場の生活感はやはり、来て良かったと思わせる
次は泳げるときに来よう!
今回、沖縄に来て感じたことは
日本は広いということ
地震や原発震災の実感に距離感を感じた
必要なことなのかもしれない
そしてもう一つ
あたしたちは誰でも、好きな所に好きなように暮らす権利があるはずだと、強く確認した
もちろん、害することなく害されることなく
利権や国家権力で一個人がねじ伏せられていいわけない
沖縄でも、上関でも、福島でも、全国どこでも
だから、闘い続けている
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