日々想ヒ事生活

 旅が
やめられない!!
ムチャクチャで小心者なI'raの日々と、時々はなとの旅

沖縄から帰って

2014-03-10 02:31:10 | 日記
年末から行っていた沖縄
主に宮古を回り、伊良部でキビ刈りをしていたのだけど、最後に辺野古、高江、久高を目的に本島を回った

ダウンを引っ張り出す日もあるほど、冬の沖縄は寒かったが
こっちに帰って来て、
あ~指が悴むことはなかったなぁと、懐かしみながら凍えているのです

旅はどこか非現実的でいて、自分の本質をさらけ出して気がついたら`そのまま´になっている

余計なことは考えない
難しいことも考えない

そのまま、それ以上でも以下でもない`自分と´対峙を繰り返し、笑い合う

はなとあたし

それが全て

遠くにいて一番近い人の後ろ楯を感じながら、とってもシンプルに素直に日々が小さく輝いて


ところが帰ってきたらどうだろう

旅に出る前と何ら変わらないのだ

栞のようにあの歌は、しまったつもりの感覚を反芻させるし
誰にもできるだけ会いたくないのに、少しずつ変わってるまわりの人々に焦りを覚えてる


少しだけ少しだけ、この寒さに踞っていたい

犬連れヒッチハイク2013夏

2013-12-31 02:48:55 | 旅行

やーやー、はなは今年、5月で10歳になっちゃいました。
もうすぐ11歳。

ラブラドールの寿命は15年
でも出会ったラブラドール元オーナーたちに聞くと大概9~12歳で亡くなってる。

うーん、はなもご高齢という訳です…


さて、夏の犬連れヒッチハイクは一切ブログを書けなかった

書けないことの方が多い旅ブログだけど、夏の旅はかなり気持ちのいい流れ素晴らしい出逢いの旅で(寝込むこともなかったし)
ブログを書く暇がなかった

最初の目的地、山形県鶴岡市に入るまでも、犬連れヒッチハイクとしてあたしたちを知っている方に出会ったり、福島から山口へ半移住されてる親子の現地の驚くべき話だったり、「犬連れヒッチハイク」の看板を見てその場でググって声をかけてくれたドライバーさんだったり…

とにかくたくさんの方にお世話になりながら進んだ

ヒッチハイクの素晴らしいところは、日常生活では出会わないような方と会話し、その方の人生や情報、知識を聞けるところだ

記憶力の弱いあたしは、大抵の会話を忘れてしまう
でも、実体験していない聞いた話 というのはなかなか興味深いジャンルでとても勉強になることが多い

犬連れのいいところは、変に警戒されにくいところだ
世の中で一番恐いものは人間である
でも、無愛想なのに愛され犬の はなは、そんな警戒心を易々と解き、乗せてくれた方に安心を与えてくれる

はなは、本当のところ、連れ回されるのが迷惑かも知れない
ストレスになっていることだって大いにありえる
でも、絶対的信頼関係のあたしと寝食を共にし、24時間一緒にいられる旅は、留守番しているよりずっと嬉しいのではないか
というのは、あたしの勝手な考えかしら?


かわいそう

と、言われる事が極たまにでもある

そうかもね

でも、あたしははなを愛していて、はなに感謝している
はなだってきっとそうだ
捨てられて、あたしと出会って9年
あたしといられる事が何よりなのだ
もう、置き去りにされたくない

日々の行動からそれだけは断言できる

あたしは はなが生きている間ははなと存分に楽しみたい

犬と飼い主の関係性、飼われ方は千差万別

何が幸せで何が不幸かなんて、二人にしかわからないのだ



夏の旅の最大の難題は、暑さ

だから北に向かった
水分補給と日陰待機や休憩を取りながらの北上

雨にも何度も降られたが、幸いなことに、雨の中立ち竦むことはなかった


うちの近所の国道からヒッチハイクを開始し、二日目の夜に鶴岡市に入った

とにかく汗と湿気で体がベトベトだ
銭湯に入りたい!!
と地元の人に聞いた唯一の立ち寄り湯は、第一ホテルの大浴場のみ!!

この街の規模で銭湯がないのか…

一刻でも早く体を流したいあたしは、駅近くの公園に目星をつけ(あ、野宿のね!)
大きな荷物だけ隠して足早にホテルの最上階へ!!

チーン(エレベーター到着)

「あ、あの日帰り湯で利用したいんですけど…!」

「はい、2000円になります」

「え…?!2000円…ですか?!お風呂だけでいいんですけど?」

「…はい、2000円です」

「…じゃあ…、いいです…」

ちょ、2000円て、そんなん払えんでしょ風呂に


はい、風呂に入ってさっぱりして寝る計画は終了

大人しく、公園にワンタッチ蚊帳を広げ、ベトベトの気持ち悪さを受け入れながら、はなと野宿しましたとさ

で終わらない

ポツリ

ポツポツ…

夜中に、シュラフカバーに何が落ちる音で目を覚ました

はい、雨ですー(笑)

大急ぎでテントを広げ、この上ない手際の良さで設営

更に汗ばむのでありました


トホホ…



続く…

走り書きのような久しぶりの更新

2013-12-02 21:24:16 | 日記
ずっとずっと追いかけられていた
バタバタと
追い越されないように必死で走って
走っている振りをして

追いかけられていると思っていたものは
自身が作り出した自分自身のカゲ

光に向かって走っているつもりだったのか
いや、はじめは本当にそうだったんだろう

気がつけばどうだろう
大切なものをいつの間にか手離して
心踊ることも忘れ
張りぼての虚勢を美化して
誰かのせいにすらして

だから、いっそ
やめてしまうことした

明るみに出るときっと違って見えるだろう
はたまた、びっくりするくらい何も変わらないのかもしれない

でも、あたしはアタシの喜ぶ方へいかなきゃなんない

夏、選挙、相変わらずなあたし

2013-07-20 22:33:44 | 日記


今日の24:00まで選挙活動しようと思う

そうポスティングとかね

選挙を政治をタブー扱いし自主規制するなんて、あたしには考えられない発想だが、この日本の風潮はそうだ
理解できない訳じゃない、共感出来ないだけだ

特に住んで7年目になる岩国なんて、恐ろしいほど自主規制してファシズムに浸かってる

きっとこんな所にずっと住んでいたら誰もがそうなるだろう
実際、あたしも腐りかけていた

いや、岩国の人が腐っとるという意味ではなく、あたしがあたしの生き方に反して何かを覆い隠そうとしてしまっていた

違うだろ

ってそう思わせてくれたのは、近隣地域の三宅洋平応援者だった

ただまっすぐに心に忠実に
それを体現していた
笑いながら

岩国で出来ないことはないだろ、って

そして、岩国の友人たちも、少しずつ選挙フェスに乗っかってくれ、一緒になって住みたい世の中のために動いてる

三宅洋平の言葉は感動するんだ

あたしだけじゃない

友人を通して、ネットを通して実感出来てきたことによって、より動こうと思えるようになった
そういうとこ、相変わらず小心者なのだけれど

ともあれ、世の中は一人ひとりのうねりにより動き始めたわけだが

なんでかな?そんな矢先

車に跳ねられてしまった

という訳で毎日整骨院に通い、自転車が新品になった(オレンジのブリジストン♪)

で、なんでか穏やかな心持ち

地に足つけてるかい?
そうやって諭されてるようで
前より少し愛が大きくなった
近くの遠くの友に感謝を覚えた

あ、そういうことか


今年のテーマは
眉間のシワより笑いじわ

そんで今年の目標は
批判で終わらない

批判しないのは無理だ、人間だもの
でも、じゃあどうする?って所、きちんと考えて発していきたい

そしてそこにきちんと愛を携えたい

あ、なんか偉そう(笑)


まぁ、相方が三宅洋平の選挙フェスの動画見ながら寝落ちしてるのとか、愛しいワケです



また、旅にでますよ

行けてなかった岐阜、秋田、山形を上がってねぷたに行き、北海道のアイヌモシリ一万年祭に行ってきます

ありがとう、旅、させてもらいます


*画像
まもなく蝉になる
選挙立会人、やってきます
おnewのチャリ

三宅洋平という人

2013-07-17 03:54:35 | 日記



三宅洋平が当時フロントマンをつとめていたバンド
犬式を知ったのは確か2008年のサンセットライブだった
そして広島でのライブを観て、どっぷりハマった

あんなに完璧で遊びのあるグルーヴを体感したのは初めてだったし、途切れることのない音の空気の中で語る彼の言葉の端々にいちいち衝撃を受け、帰ってからは彼のブログを読み漁った

三宅洋平という人はなんとも自分の欲求に忠実だ
欲求とは
本気で遊ぶこと
物事を多方面、多角的に知ること
実践すること

決して己のみの欲望を追及することではない
それは結局のところ欲求を満たしはしない
取り繕うだけだ

過去の見解が間違っていたら素直に訂正する
ストイックにもよく似たスタンスで、人生を最大限咲かせようとしている

そして、紡ぎ出される言葉は、人を魅了する説得力と美しさを持つ

犬式は解散してしまったが、三宅洋平は相変わらず前へと歩を進めていて、ソロでジャムで表舞台に立っていた

そんな彼と、原発闘争の現場が繋いでくれた

上関原発の建設問題を27年(当時。現31年)抱えている祝島そして田ノ浦に彼は来たのだ

無理言って繋いでもらい、後日、急きょ上関に再訪してきた時に連絡があり、ゆっくり話が出来た

ローカルに、現場に足を運び、誰にでも対等で、まっすぐに物事をみつめる
そんな三宅洋平を助手席に乗せ、(ものすごく)緊張しながらも、真剣な話も他愛のない話もしたら、益々ファンになった

彼のTwitterやFacebookを覗きたいが故にそれらを始めた

三宅洋平のみつめるモノを見解を知りたかったのだ

何故なら、彼が、学者でもなくマスコミでもなくミュージシャンだったから

ミュージシャンというブレない軸を持ちながら、時にジャーナリストに、時に教化に、時にオーガナイザーに、そして市民レベルで発言する一個人としてモノゴトを発信していた

それが、人間らしい感情と感性、そして愛に基づいた発信でることに、共感できたから

まるでチェ・ゲバラのようだ
と、思った
(あたしはチェ・ゲバラが大好きだ。大好き過ぎてキューバにも行った)

東日本が揺れて、原発が爆発してからも、彼は彼のネットワークを最大限に生かした発信と現場への行動をし始めた

被曝覚悟で、西日本の安全な食材を集め被災各地で炊き出しをして回った

発想を熟考し必ず実践する
「でも」「だって」はない

そして、音楽に対する情熱はブレない
常に人間くさい


そんな、三宅洋平が、ついに国政選挙に出ることを決めた

あたしは動かない訳を持ち合わせていなかった

政治の世界に飛び込むことが、どれをほど大変で面倒くさくて覚悟の要ることか、身近な選挙に3回関わって来て身を持って体験していたので、両手放しで万歳という訳にはいかなかったが、
こんなにたくさんのモノをもらった大好きな人がその腹を決めたんだ

全力で応援するに決まっていた

彼がにわかミュージシャンの思い付き立候補ではないこと
政策ビジョンが浅はかでなく、明確であること
対立ではなく対話というネクストレベルの必要性

それを周りにわかってもらうのはあたしの仕事だと思った

いつもどこかで言い訳を作って、100%出せていなかったが、その壁もぶっ壊す必要があった
それは自分に対して嘘をつかないということだ

だから、最後の最後まで出来ることをやる

さらに、そういう同士が自主的に声を上げて動き出していることは、本来の意味での草の根の力であり、強い

生身の人間である三宅洋平をマツリあげるのではなく、
三宅洋平にきっかけをもらった皆が、国を 選挙を マツリあげる

125万票
果てしなく思えるこの数字を得なければ、彼を国会に送り込めない

選挙を自分事に
クニツクリを自分事に

やりましょう、最後まで

三宅洋平

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