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チリ:先住民族マプチェ族の500年戦争、国がなければ存在できない(IBTimes)

2013-04-08 10:45:00 | 先住民族関連
チリ:先住民族マプチェ族の500年戦争、国がなければ存在できない

記者: AVEDIS HADJIAN 翻訳者: 加藤仁美 | 2013年4月8日 10時45分 更新

 チリ南部の都市テムコでは、人々はゆっくりと歩くが、車の流れは速い。家並みは低く連なり、野生のバラが歩道と前庭に美しく花を咲かせる。先住民族マプチェ族が500年戦争を続けてきた舞台らしからぬ場所だ。

ロイター
2012年10月7日、マプチェ族がチリの首都サンティアゴ南部で横断幕を掲げてデモ行進を行った。デモは、警官の殺人未遂や武器の不法所持の罪に問われている2人のマプチェ族の受刑者、ダニエル・レビナオ(Daniel Levinao)氏とパウリーノ・レビパン(Daniel Levipan)氏を支援するために行われた。横断幕には「マプチェ族の政治犯を解放せよ」と書かれていた。

 日本から約1万7,000km離れたチリへは、飛行機の直行便はなく、北米経由でおよそ30時間ほどかけて行くことになる。この国の先住民族マプチェ族は、古くはスペインの侵略に対して長く抵抗を続け、現在はチリ政府に抵抗を続けている。

 チリ中南部からアルゼンチン南部に住む先住民族のマプチェ族(Mapuche)とは、彼らが話すマプチェ語で「大地」(Mapu)に生きる「人々」(Che)を意味する。生計を農業に依存し、ロンコ(lonco)と呼ばれる首長のもとで、血縁関係を単位とした社会を構成していた。

 同民族は16世紀後半から、侵略者・スペインに対し300年以上闘い続けた。そして1818年にチリがスペイン王国から分離独立した後、しばらくはチリとおおむね問題なく共存し交易を行っていたが、チリの人口増加や経済成長が進むにつれ、マプチェ族はチリに土地を奪われた。

 今年1月下旬に記者は、この地を訪問した。マプチェ族の権利を擁護するキャンペーンを展開している全国土地評議会(Consejo de Todas las Tierras)の本部となっている古い大きな民家の上を、鷹が大きく弧を描くように飛んでいた。

 およそ140万人のマプチェ族は、チリ中部渓谷の広大な土地や森林の所有を求めている。マプチェ族はビオビオ川南部流域は同民族のものであるとチリ政府に主張してきた。

 民家の中で、評議会の指導者アーカン・フィルカマン(Aucan Huilcaman)氏は親しみやすい一面を見せながらも、鋭い論争を展開していた。インタビューを通して、彼がシリアのアレッポで生まれたことを知り、遠く離れたシリア紛争に大きな関心を寄せているのもわかった。

 チリが国際社会で報道されるとき、マプチェ族の紛争はあまり話題にならない。全長4,270キロ、平均幅は180キロと、太平洋に沿う細長いリボンのような形をしているこの国は、上質なワイン、1990年代の民主主義への平和的移行、その経済的な成功により語られることが多い。人口1800万人で、2011年の1人当たりGDPは1万4,400ドル(約140万円)だった。チリ中央銀行によると、これはラテンアメリカでの1人当たり最高のGDPだという。

 しかし、マプチェ族はその富を共有していない。代表なき国家民族機構(UNPO)によると、その平均所得は非先住民の半分であるという。

彼らは富は持っていないが、歴史と誇りを持っている。「我々は南米でもひときわ優れた主権を有する独立国家である」とフィルカマン氏は語った。

 これまで締結されてきたスペインやチリとの条約は、16世紀以降継続してきた一触即発寸前の紛争を治めることはできなかった。スペイン人がチリに上陸して以来、マプチェ族を完全に掌握することはなかった。今後もそうだろう。

 「500年戦争である」とフィルカマン氏は言った。マプチェ族のカトリック活動家イゾルデ・リューク(Isolde Reuque)氏は、もっと長いもしれない、とインタビューの後で付け加えた。「スペイン人の前にこの地に来たインカ族も、私たちを征服することはできなかった」と彼女は述べた。

 マプチェ族は抵抗を続けてきたが、少なくともここ10年は冷戦状態だ。互いの軍隊を戦わせることはない。それでも人は死ぬ。

 ある象徴的な事件が、ビルクンの町で発生した。その町に暮らすチリ人の地主夫婦を追い出そうとした人々が、1月4日に放火し、高齢だったその地主夫婦は死亡したのだ。若いマプチェ・コミュニティ活動家が、地主夫婦のヴェルナー・ルクシンガー(Werner Luchsinger)氏と妻のビビアン・マッカイ(Vivian Mackay)さん放火殺人の容疑者として逮捕された。マプチェ族の指導者は容疑を否認したが、この事件にチリ政府が大きく関与しているのではないかという疑念を示した。

 死亡者が出たことは、論争が高まる契機になった。マプチェ族の集団行動に勢いがついた。1月、フィルカマン氏はセロ・ニエロで、サミット200をマプチェ族のリーダーたちに呼びかけた。

 チリ政府はオブザーバーの派遣のみを了承した。「チリ政府はここに参加しようとは考えていない。それが代表者を敢えて送らなかった理由だ。わたしたちは彼らを招待したのだが、彼らは単にオブザーバーを送ってきただけだった」とフィルカマン氏は述べた。

 セバスチャン・ピニェラ(Sebastian Pinera)チリ大統領率いる政府からの回答は混乱している。社会開発大臣のホアキン・ラビン(Joaquin Lavin)氏は、先住民国家とその過去を受け入れるために、チリ社会にマプチェ族受け入れ促進を呼びかけた。(なお、チリ人の80%以上は何らかの形でマプチェ族の祖先を持っていると推定される。)

 しかし政府は、反テロ法を適用し、抑圧を行ってきた。マプチェ族活動家の起訴はアウグストピノチェト(Augusto Pinochet)将軍の軍事独裁時代にさかのぼる。ピノチェト氏はチリの軍人であり、政治家で、第30代大統領(1974-1990年在任)でもあった。

 1月16日、セロ・ニエロでのサミットでフィルカマン氏は、マプチェ独立国家につながるか否かにかかわらず、まず独自の決定を行うことが第一歩になると語った。

 「われわれはマプチェ族政府を作る過程にある。共通意志を持ち、共に戦おう。そしてマプチェ族国家を形成しよう」とフィルカマン氏は述べた。

 多くのチリ人は、マプチェ族の公然とした異議を驚きをもって捉えた。「マプチェ族はここに存在している。しかし同時に、ここには存在できない。彼らの理屈は通用しない」とテムコ在住のマプチェ族の子孫ではない匿名希望の教師は述べた。「誰も気づいていなかったが、彼らはマプチェの土地で構築された富には関与していない」と同教師は述べた。

 マプチェ族が独立を達成できるかどうか、マプチェ族コミュニティ・スポークスマンのジェイミー・フェンチュラン(Jaime Huenxhullan)氏にはわからない。マプチェ族以外の人々を追放したくないと考えていると、同氏は述べた。テムコはマプチェ族にとって「外国の街」であり、触れたくない。しかし、マプチェ族には自分たちの土地が必要だ。土地がなければ人も存在できない。

 マプチェ族リーダーのフィルカマン氏は、主権国家を形成するために10の提案をまとめた。以下はセロ・ニエロで開催されたサミットで合意に達したものだ。

 1. マプチェ族コミュニティーはチリ政府との対話に熱意を持って応じる。

 2. マプチェ族自治政府はビオビオ川南部流域の所有を要求する。

 3. 条約を改正するための委員会を設定する。

 4. 憲法は両政府間が合意した場合のみ成立する。

 5. チリ政府に金銭による賠償だけでなく土地も要求する。

 6. 被害に対する謝罪を当局に求める。

 7. 地域の軍事占領を拒否する。

 8. 紛争地域からチリ警察軍の撤退を要請する。

 9. テロ対策法の適用を拒否する。

 10.国内安全法の適用を拒否する。

 フィルカマン氏は先住民族の権利に関する2007年9月の国連宣言に沿って、マプチェ族の要求の法的サポートも目指している。

 先住民族の権利に関する国際連合宣言が、2007年9月13日、ニューヨークの国連本部で行われていた第61期国際連合総会で採択された。

 同宣言は「文化、アイデンティティ、言語、労働、健康、教育、その他の問題」に対する先住民族の国際法に承認された人権の享受の権利と同様に、個人と共同の先住民族の権利を説明する。宣言は、自身の慣習、文化と伝統を守り、強化し、彼ら自身の必要性と目標に合わせて彼らの発展を続行するために、先住民族の権利を強調する。また同宣言は、先住民族に対する差別を禁止し、彼らを心配させる全ての問題への彼らの完全で有効な参加を促進し、彼らの権利を明確に保持し、彼ら自身が目指す経済・社会的開発の継続を促進する。

 「この宣言は、先住民族が自己決定する権利を認めるものだ。自己決定を行使するというのは、チリ政府を否定するものでもなく、現在の統治を受け入れるものでもない」とフィルカマン氏は述べた。

 では何を意味するのかと尋ねると、先住民族の国家が自らの政府システムを採用することだとフィルカマン氏は答えた。「チリの周囲に、外に、あるいは対峙した」形でだ。


 チリ政府に対する暴動を意味するのかと聞くと、マプチェ族は武力闘争を拒否しているとフィルカマン氏は答えた。「しかしセロ・ニエロで示した見解は、われわれが既にマプチェ族独自の政府形成への道程に乗り出しており、そこに関与するのはわれわれであり、チリ政府ではない」と彼は述べた。

 土地としての物理的な存在だけではない。ここで戦った戦士の子孫への文化面からも、この地を離れることを拒否している。テムカイカイへのバスの中で、10歳ぐらいの早熟な男の子に会った。兵士のようにきちんと刈り上げた髪型をしていた。その子は叔母さんに何度も何度も歌を復誦していた。2人の見かけや肌はマプチェ族特有のものだった。

 「チリは久しく愛おしい/チリは私の心/だからこそ私はチリの歌を歌う/この美しい歌を」とその子は繰り返し歌っていた。そして愛国心をこめて彼は別の詩を語り始めた。「ナウエル、私の故郷の花...」と言い始めたのだが、すぐに飽きてしまった。そしてまた最初の愛の歌に戻った。「チリは久しく愛おしい...」。

 *この記事は、米国版 International Business Times の記事を日本向けに抄訳したものです。


http://jp.ibtimes.com/articles/42604/20130408/767701.htm


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