65オヤジのスタイルブック

芸術とわいせつの境界線

現在愛知県美術館で開催中の「これからの写真」鷹野隆大氏の作品をわいせつ物にあたるとして愛知県警は撤去を命じました。美術館側は、作者と相談の上で作品の一部を紙で覆うなどして展示を続けることになりました。鷹野氏と美術館側の苦労がうかがえます。

先日も女性器アートで有名なろくでなし子さんが、自分の性器をスキャンして3Dデータとして配布して逮捕される事件が起きました。芸術には「わいせつ」と思われる作品は数多くあります。関係者の立場からみれば、「わいせつ」だと思っていないのですが、その境界線は極めて曖昧です。

今回愛知県美術館側は、年齢制限やカーテンや監視員などの配置などの配慮をしたにも関わらず、結局対処策を変更したことで、改善されたとみなされ展示は継続されています。個人的は強く抗議すべきかと思いますが、県警の対応も結局は「わいせつ」に対する基準が曖昧であることを露呈したことにつながったと思っています。

日本はわいせつの基準が曖昧にもかかわらず、表現の自由を過剰に反応する傾向があります。日本において猥褻罪は2種類あり、性的勘定に対する罪と性的自由に対する罪があるのですが、芸術に対するわいせつ罪の境界は前者にあり、過去に数々の裁判がありましたが未だ結論が出ず曖昧です。視覚的な概念から考えれば、隠さなくとも、年齢に対する制限や作品内容に対する告知で対処すれば良いと思っています。

芸術とは、人間のあらゆる感情を刺激するので観る人の主観様々です。権力による抑止は、作者の表現の自由に加えて観賞する権利を奪うことにつながると考えます。

ともあれ、今回の展覧会。自らその真意を確かめに出かけてみるのも一考かと思います。僕もこの問題に関わらず観賞したい展覧会ですので、後日観賞評を紹介する予定です。

 ※今回の問題に対してネットにて署名しました。賛同される方はこちらにて。


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