神さま、仏さま、稲尾さま、と言われた鉄腕稲尾さんが
亡くなった。
団塊世代にとって忘れることのできない、思い出の投手だ。
1958年の日本シリーズ、西鉄が巨人相手に3連敗のあと4連勝。
3連敗したあと、稲尾投手がインタビューに答えて、西鉄は勝つ。
とはっきり言った。ラジオにかじりついて聞いたのを昨日のように
思い出す、、実際その後4連勝した。痛快だった。
その際のインタビューでファンが期待を込めて、「神さま、仏さま、
稲尾さま」と言ったようだ。
家にテレビがない小学生の時代、電気屋の息子の家に行って、
テレビをみんなで見た。5戦目か6戦目に延長で稲尾投手が
ホームランを打って勝った。これでシリーズも勝ったな、と思った。
千切っては投げ、千切っては投げ、の鉄腕、豪腕。正確な制球力。
20勝なんて通過点で、30勝が当たり前、42勝した年もある。
三原監督率いる野武士軍団が都会派の盟主巨人を日本シリーズ
に3年連続で打ち破った豪放なプロ野球チーム「西鉄ライオンズ」。
1番センター高倉、2番ショート豊田泰光、3番ライト大下弘、
4番サード中西太、5番レフト関口、6番ファースト河野、
7番セカンド仰木(後の仰木監督)、8番キャッチャー日比野、和田、
9番ピッチャー稲尾和久、
これだけの豪華な陣容だ。
怪童中西太さんの大大ファンだったが、稲尾投手も好きだった。
他に天才大下、豊田泰光などなど、西鉄の黄金時代だった。
プロ野球、大相撲、六大学野球、今は昔、みんな花盛りだった。
稲尾和久投手のご冥福をお祈りします。
亡くなった。
団塊世代にとって忘れることのできない、思い出の投手だ。
1958年の日本シリーズ、西鉄が巨人相手に3連敗のあと4連勝。
3連敗したあと、稲尾投手がインタビューに答えて、西鉄は勝つ。
とはっきり言った。ラジオにかじりついて聞いたのを昨日のように
思い出す、、実際その後4連勝した。痛快だった。
その際のインタビューでファンが期待を込めて、「神さま、仏さま、
稲尾さま」と言ったようだ。
家にテレビがない小学生の時代、電気屋の息子の家に行って、
テレビをみんなで見た。5戦目か6戦目に延長で稲尾投手が
ホームランを打って勝った。これでシリーズも勝ったな、と思った。
千切っては投げ、千切っては投げ、の鉄腕、豪腕。正確な制球力。
20勝なんて通過点で、30勝が当たり前、42勝した年もある。
三原監督率いる野武士軍団が都会派の盟主巨人を日本シリーズ
に3年連続で打ち破った豪放なプロ野球チーム「西鉄ライオンズ」。
1番センター高倉、2番ショート豊田泰光、3番ライト大下弘、
4番サード中西太、5番レフト関口、6番ファースト河野、
7番セカンド仰木(後の仰木監督)、8番キャッチャー日比野、和田、
9番ピッチャー稲尾和久、
これだけの豪華な陣容だ。
怪童中西太さんの大大ファンだったが、稲尾投手も好きだった。
他に天才大下、豊田泰光などなど、西鉄の黄金時代だった。
プロ野球、大相撲、六大学野球、今は昔、みんな花盛りだった。
稲尾和久投手のご冥福をお祈りします。