当って砕けろ あおき公

団塊世代と若者世代のコラボレーションで
社会貢献、地域参加をサポート

「事業仕分け」

2008-07-28 03:27:41 | Weblog
構想日本(加藤秀樹代表)が市町村と一緒に行なっている、
「事業仕分け」が7月26日に町田市で実施された。
事業仕分けとは・・・自治体が行っている各事業の必要性や、
効率的に実施されているか等を外部の視点から評価を行い、
その評価を踏まえ効率的な市政運営に資するために
「事業仕分け」=事業の再点検をおこなうもの。
市民に公開の場で行う。
行財政改革の一環として協力する自治体も増えた。
東京都の26市は交付金不交付団体であり、町田市も含め
財政危機に陥っていない。
しかし今のうちに見直すことが肝心ということで、不要な事業、
民間で行なうべきもの、国が行なうべきもの、要改善のもの、
現状維持でよしとするもの、などに仕分けする。
現在の制度、状況は一旦脇に置き、「そもそも」から考える。
仕分け人(行政に知識のある人を選任)5人が市の事業担当者
に説明を受けたあと質問をし、会場の市民傍聴者よりも質問
を受ける。書記官もおり、さながら法廷のようでもある。
全体で34の事業の見直しについて朝から夕方まで議論が続いた。
市職員は事前に2回研修を行なったそうだ。
テーマの一部しか傍聴しなかったが、それなりに真剣な議論が
生じていたので刺激があった。リアルな質問が会場からも浴びせられ
その実は達したことだろう。
職員、市民、関係者、など併せて430人の入場があったそうだ。
事業仕分けの判定は、
不要な事業5、民間で行なうべきもの1、国が行なうべきもの3、
要改善のもの22、現状維持でよしとするもの3、であった。
直ぐに来年度予算に反映するわけでない。と主催者側から注釈が
あった。残念なことに市の議員を殆ど見かけなかった。
尚、国の「事業仕分け」もついに実施されるそうだ。

~国の「事業仕分け」ついに実施!トップランナーは文部科学省~
【日時】 平成20年8月4日(月)、5日(火) 午前9時~午後5時    
【会場】 日本財団ビル2階 大会議室(港区赤坂1-2-2)
【対象】 文部科学省の事業(30事業程度)
【参加者】 事業説明者:文部科学省職員
     「仕分け人」(評価者)
     コーディネーター:自民党「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」
     構想日本事業仕分けチーム及び外部有識者

ロッキー青木、死す。

2008-07-19 23:47:48 | Weblog
 アメリカで唯一といってもいいくらい成功した日本人のアントレプレナー。
まだアメリカでビジネスをやる人が少なかった時代に果敢に挑戦した人。
70年代~80年代、海外で一旗上げようと考えていた若者にとって
ロッキーはヒーローだった。
85年頃、日頃よく会っていたN氏に誘われて「ロッキー青木」に会いに
行ったことがある。場所は赤坂。
写真家のタッド若松氏(女優鰐淵晴子の夫君)、女優の宮下順子氏、某紳士
服メーカー社長、の変わった組み合わせだった。N氏はNYで若い頃からの
ロッキーの仲間であり、日本でのメディア代理人だった。
ロッキーは小柄なおとなしい人という第一印象だったが、NYでのエピソード
やヤクザと渡り合った話を聞くと、やはり凄味がある。目に威力があった。
まだ40代の中頃の働き盛りのときである。フロリダでエイに乗って泳いだ
り、気球での太平洋横断飛行など遊び心のあるチャレンジャーでもあった。
私の顔を見て、テンノーに似ていますね。?と言われてしまった。
最近の消息は聞かなかった。闘病生活を送っていたのだろう。
早すぎる死だったが、やりたいことを徹底的にやった人だった。
最近、こういう日本人がでてこないので残念。
ご冥福を祈ります。


米で鉄板焼きチェーン、実業家のロッキー青木さん死去
2008年7月12日

ロッキー青木さん
 【ロサンゼルス=堀内隆】米国で日本の鉄板焼きチェーン「ベニハナ」を成功させた実業家のロッキー青木(本名・青木広彰(ひろあき))さんが11日、ニューヨークで死去した。69歳。親族が12日、明らかにした。

 レスリングの全日本学生選抜の選手として遠征した米国で事業を興した。アイスクリーム売りなどで開店資金をためて64年にニューヨークに一号店をオープン。店名は父が東京・日本橋で経営していた洋食店「紅花」に由来する。鉄板を前にしたシェフのパフォーマンスが評判を呼び、グループ店舗はフランチャイズも含め世界に110店を数える。

 98年にはインサイダー取引で訴追され、会長職を退いた。気球での太平洋横断など、冒険家としての顔も持つ。

大ブレイクのキッザニアを仕掛けた男

2008-07-08 08:35:43 | Weblog
★★★★★★☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡★★★★★★☆★
      
         ★NPOフォーラム(例会No.99)
            挑戦する生き方
            60才退職後からの再挑戦。
            大ブレイクのキッザニアを仕掛けた男
          こども達が遊びながら職業体験のできる
           エデュテインメントタウン「キッザニア」

◎ゲスト:(株)キッズシティージャパン代表取締役社長 兼 CEO
      住谷 栄之資(すみたに えいのすけ)氏
◎日時:7月25日(金)6:45pm~9:00pm
              親睦会9:00pm~
◎会場:表参道 東京ウィメンズ・プラザ

◎主催:NPOアクティブミドル国際協会
     http://amia.jp/

★★★★★★☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡☆彡★★★★★★☆★

大ブレイクの「キッザニア東京」を仕掛けた男、住谷栄之資氏。
日本の若者の未来に不安を感じていた氏は、メキシコで「キッザニア」
に出合い、感銘を受け、そして誘致を決め、60歳退職後に起業。
60歳を超えてゼロからの再起業に挑戦!

住谷氏のパートナーとの会社WDIは72年に、「ケンタッキーフライ
ドチキン」のフランチャイジーとなって事業は軌道に。「ケンタッキー
フライドチキン」のフランチャイジーを30店舗くらい展開。79年に
オープンしたのが、「トニーローマ」。カリフォルニアキュイジーヌの
「スパゴ」、ロックンロールがテーマのダイニングレストラン「ハード
ロックカフェ」、カジュアルイタリアンの「カプリチョーザ」などを手が
けて、どの店も話題になり繁盛した。00年にWDIの社長に就任。
会社内規では60歳で退職するようになっていた。
漠然と日本はこのままで大丈夫だろうかという危機感。若い人たち
の目標が希薄というか、手応えがないというか……。今の日本は
成熟社会であり、物やサービスがあふれてハングリー精神がどん
どんなくなっていく。自分たちの若いときのように、明日のメシが
食えるかどうかという心配をする人なんて極わずか。
新聞などのマスコミをにぎわしている、ニート問題にも心を痛めて
いた。 やはり彼・彼女たちが物心ついたときに社会との意思疎通
ができなかったせいではないか。自分自身を振り返ってみても、昔
は家族や友だち、そしてご近所付き合いの中で、社会的な役割や
人間関係を自然に学べる環境があったように思う。「キッザニア」
のような施設が日本にもあれば、今の子どもたちに少しでもその
ような環境を提供できるのではないかと考えるようになった。

こども達が遊びながら職業体験のできるエデュテインメントタウン
「キッザニア」では、大人のようにいろいろな仕事をすることでお給料
を専用通貨「キッゾ」で受け取り、買い物や習い事などに使うことが
できる。99年にメキシコでオープンした「キッザニア」は、現地のこど
も達に大人気。
エデュテインメントは、エデュケーション(学び)+エンターテインメント
(楽しさ)という意味の造語。
06年10月豊洲にオープン。来春には関西にオープン予定。
約6千平米のスペースに、消防署、お菓子工場、劇場、病院、デパ
ート、テレビ局、建設現場などを実物の約3分の2の大きさで再現した
パビリオンが並んで、1つの街になっている。パビリオンでは、消防士
や医師、キャビンアテンダント、パイロットなど80種類以上の仕事を
体験することができる。各パビリオンには、それぞれスポンサー企業
がついているので、こどもたちは、本物と同じデザインの制服を着て、
それぞれの職業を限りなく現実に近い形で体験できる。
また、仕事をすると「キッゾ」という専用通貨を稼げる。キッゾで買い
物をしたり、銀行で自分の口座を開いたり、キャッシュカードでATM
からキッゾを引き出したりすることもできる。
対象年齢は2歳から15歳まで。メインは小学校の3、4年生くらい。

住谷氏にキッザ二アのコンセプトについて、また再起業に挑戦した
熱意とはなにか、を伺う。

   
◎ゲスト略歴:(株)キッズシティージャパン 代表取締役社長 兼 CEO
         住谷栄之資(すみたに えいのすけ)氏
1943年、和歌山県生まれ。小学校からは大阪へ。中学3年で、サッカー
部から一転、水泳部へ転身。高校からは水球を始め、大学時代には
全日本代表選手に選ばれる。慶応義塾大学商学部を卒業後、藤田観光
へ入社。香川県・直島の開発プロジェクトを任されるなど活躍。入社5年
目に、水球部の先輩に誘われて脱サラ起業。共同経営パートナーとして、
(株)WDIの経営に携わるように。1972年、「ケンタッキーフライドチキン」
のフランチャイジーとして六本木店をオープン。以後、30店舗ほどを展開。
その後も、「トニーローマ」「スパゴ」「カプリチョーザ」などのライセンスを
獲得し、飲食事業を幅広く展開する。2000年、(株)WDIの社長に就任。
2003年、60歳で同社を退職。同年、友人の紹介でメキシコの「キッザニア」
の存在を知る。視察に訪れ、ライセンスの獲得と日本への誘致を決意。
帰国後、スポンサー探しに奔走し、2004年9月、(株)キッズシティージャパン
を設立。約2年の準備期間を経て、2006年10月5日、東京都江東区のショッ
ピングモール「アーバンドック ららぽーと豊洲」内に、「キッザニア東京」
をオープンした。

●日時:7月25日(金)午後6時45分~午後9時
●会場:表参道 
詳細は http://amia.jp/