阿部卓馬ブログ

北海道新ひだか町サポート大使のシンガーソングライターです。ライブ告知、活動情報などを中心に更新しております。

悔しがる。

2010年12月04日 | 思索
それは小学校3年生の秋のことだった。

その年の春から始めた剣道。先に始めていた兄の影響だった。
これといった目的もなく、とりあえず始めてみた感じ。
練習で打たれる小手がとても痛くて、泣きそうになりながらやっていた。

その秋に、自身初めての大会。
一級下の、身長差は20cmにもなろうかという小柄な相手。

試合直前、何故だかそのとき自分は、

「可哀想だ」

と思ってしまった。

体の大きな自分が、その子に対して打ちのめす姿が、何とも不恰好に見えた。
それだけはしたくないような気がした。

試合が始まる。

試合前にそのように感じた僕は、自分の気持ちの通り、積極的に攻勢に向かうことはしなかった。
相手は小柄ながら、真剣に攻めてくる。

もみ合っているうちに、相手の竹刀が僕の胴を叩いた。

負けた。

でも、それでいいと思った。

試合後、見ていた人たちは、「なんでしっかりやらないんだ」と口々に言った。

それでも何も悔しくなかった。

その結果が本心だったから。

しかし、それはやさしさでも何でもなく、己と対峙することの放棄であることは、そのときはわからなかった。



次の春、僕は剣道をやめた。

そのことをその後家族からは「弱虫だ」などと、いろいろ言われた。
実はその方が悔しかったが、自分の心にウソをついてその「弱虫」を受け入れた。



この一件は、その後の自分の人生に大きな影響を与えた。

何と言っても、あらゆることに負けやすくなった。

学業、仕事、恋愛、趣味、などなど、問題が起こると、すぐに自分のせいにして負けた。
それが円満な解決方法だと信じて疑わなかった。

残念ながら僕は、高校卒業まで世間的に尊重される学業では負けることは無かった。
これがその後無駄なプライドとして、更に苦しみを複雑なものにしていった。

その小学校時代から思想の根底流れるものは、なかなか変えることが出来ない。

「あらゆる場面において、自分に正当性はない。相手が正しいだろう。」

しかし、それは何の解決にもならず、心の苦しみは日増しに増大することになる。
その範囲は、自分だけではなく、周囲の人を巻き込む形となることは時間の問題であった。

そして、それは歪曲された形で現実となる。

それは、何もないところで、自分が正当性を崩すことで、その形に当てはめるようになったことである。



満たされない不浄の心は、安易に実現可能な欲望を求める。
世の中には、そのような欲望を満たすことで、自分の正当性を崩すツールに溢れている。
刹那的な欲望を満たす生活は、ひとつひとつ、階段を下りるように人生に暗い影を落としていく。
いわゆる、「畜生道を中心とした餓鬼道、地獄道の三悪道」、である。



改めて、「負ける」ということはどういうことか?を考察する。
野生動物は繁殖期に、メスを自分のものにするために、オス同士で争う。
この争いに勝った者が修羅としてメスを受け、負けたものが畜生として野に下る。

人間社会はその社会の作り方によって如何様にもなるが、
現在の資本主義社会は、基本的に「修羅」の世界である。
畜生に落ちやすい人間は、途端に脱落する社会である。



再び、剣道の話に戻ると、スポーツとは擬似的な修羅の世界である。
ルールがある以上、勝敗が決まる。
勝敗が決まる以上、修羅と畜生が決まる。

しかし、試合前にはお互いは、勝つために行うのが修羅の世界である。

自分は小学校3年生のそのとき、どうだったか?

試合前から負けることを想定していた。

要するに、試合前から畜生の命が働いていたのである。



自分は何に負けていたのか?

「自分」にだ。

ルールがある以上、スポーツに取り組むなら修羅の命で望まなければならない。
そこで畜生の命で望むということは、すでに試合放棄していたことに他ならない。

これは資本主義社会でも同じことが言える。
社会のあらゆる場面で、勝負の前から畜生の命によって試合放棄することは、三悪道に落ちることを意味する。
物事に取り組む時には、まず自分というものに修羅の命を燃やしていなければ、あっという間に畜生に転落するということだ。

勝負の世界では、試合前に勝利することはコントロールできない。
しかし、負けることはコントロールできる。
畜生道の命がないのなら、試合前から負ける理由を探す必要はまったく無い。

このことを腹の中に落とし込んでおけば、あらゆる場面で自己に対する「悔しさ」という修羅の命が燃えてくるだろう。
これが無い、ということは、畜生の道を歩んでいると言っても過言ではないだろう。



自分の意図しない結果に対して、「悔しさ」があるか?

畜生道からの脱却には、これが不可欠な感情だと考えている。

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
アベタク (akkyan)
2010-12-05 00:16:27
優しいねんよ。

返信する
ありがとうございます (アベタク)
2010-12-05 02:32:34
> akkyanさん

何か救われたような気がしました…コメントと同時にakkyanさんの顔が思い出されて、あぁ会いたいなぁ、という気持ちになりました。いつかまた共演を!
返信する
残る (ユウキ)
2010-12-05 22:49:08

悔しさ。

同時に、

いつか追い越そうと努力する人間もいるものですね。

自分らしい地道な形で。


結構人は皆、同じ様な想いを抱いているものですね…
返信する
そうですね (アベタク)
2010-12-06 00:19:42
> ユウキさん

人それぞれの形があると思いますねぇ。
理屈ではないこの感じ…悔しくない選択は無感情に陥りますからネ。

感情誘発剤として歌が出来ればな、と考えております(^^)
返信する

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