阿部卓馬ブログ

北海道新ひだか町サポート大使のシンガーソングライターです。ライブ告知、活動情報などを中心に更新しております。

コラム:お芝居と現実

2012年01月04日 | ひとりごと
少々遅くなりましたが、皆さま明けましておめでとうございます!
本年もアベタクこと阿部卓馬をよろしくお願いいたします!

少し遅くなったのは、年末年始の暴飲暴食が祟ったのか、2日より丸二日間、急性の胃炎?によりほとんど寝込んでおりました…。
ちょうど読みたい本があって読書でも…と思ったのですが、痛みの中では読書も思うように捗らず…。
今年の抱負で「業を減らす」と言っておきながらいきなりの自業自得に、これは何かの戒めだろう…と思わずにはいられませんでした。
今はだいぶ体調も戻ってます(^^)

さて、しばらくこちらのブログでは業務連絡ばかりが続いておりましたが、超久しぶりに個人的コラムを。
「お芝居と現実」と題しましたが、昨年12月に市民劇団ど・こ~れ新冠という劇団に参加させていただきまして、いろいろと思うところがありましたので、少し書いてみようと思います。

皆さんも保育園から中学生ぐらいまでの間、お遊戯や演劇などでお芝居に関わった方は非常に多いと思います。
演劇とは、舞台を使ってそこには無い架空の現実を作り出して、観ているお客さんをその世界に引き込み楽しませる、というものです。
テレビドラマや映画というものも、二次元の媒体を使う演劇、と言えるではないでしょうか。

配役を割り当てられた人は、素人から著名な俳優に至るまで、その人の技量やそのお芝居に対する気持ちの度合いによって、意識的にその役を演じようとするでしょう。
そのお芝居を観ている人々は、熱演する俳優に魅せられると、あたかも現実を目の当たりにしているかのような気持ちでその世界に引き込まれます。
それとは逆に、演じる側が恥ずかしがったり、やる気のない風なお芝居をすれば、観客たちは自分たちの現実に引き戻され、そのお芝居には入り込むことができなくなったりします。
舞台の配役には、現実世界と同様に様々な役柄がありますが、その役柄によらず上手い役者のお芝居は人々を魅了します。

さて、私たちはお芝居に魅了されるとき、何に魅了されているのでしょうか?
もちろん、観客の役者に対する好き嫌いを含めると贔屓の部分があるのは否めませんが、それを差し引いて魅了するものとは?
それをひとつ、私の独断と偏見で申し上げると、それは「意識」を向ける姿、であるように思います。
その役者がその役柄に意識を集中して、なり切っている姿は、それがたとえみすぼらしい役であったとしても、人々を引き込むことでしょう。
演劇やドラマ、映画では、演じる側と観る側がはっきり分かれていますので、観客はその世界にさらに引き込まれ感情まで揺さぶられるでしょう。

一転、現実世界においても、同様のことが言えると思います。
簡単な例では、スポーツが良い例で、プレーに集中する姿は老若男女問わずに人々を魅了します。
また、非常に技巧的な職人技や、大道芸やサーカスなどの息詰まる演技なども、観ている人々を魅了するでしょう。
さらには、日常的な風景では、仕事に集中して取り組んでいる人や料理を手際よくこなす人なども、観る側が意識的に観れば魅了されると思います。
しかし、日常においては、多くの人々が自分のことに集中しているため、他人のことを意識的に観る機会が少ないので、日常的なものに魅了される機会を失っている、とも言えるかもしれません。
また、自分のことに集中している、と言っても、それが意識的な行為や動作で無い場合は、やはり他者を魅了することはないのではないでしょうか。

ではなぜ現代の日常では、自分の意識的な行為や、また他者を意識的に観ることが難しいのでしょうか?
私の尊敬する五井野正博士が、月刊「ザ・フナイ」2011年11月号で述べていらっしゃることを要約しますと、現代の社会は意識を保つのが非常に難しく、ほとんどの人の意識は大脳に移行して欲望と結びついてしまっているため、大脳による欲望でもって行為や判断を行ってしまっている、とのことです。
例えば、もうおなかは一杯なのに、美味しそうな甘いものが目の前に来ると、「甘いものは別腹」と食べてしまうのは、大脳の欲望が優先して判断して行為を起こしてしまっている、というものがあります。
それと関連付けて考えますと、例えばお芝居で、自分の演じたい役を選べるとして、「おなか一杯なのに、甘いものが目の前に来ると『別腹』と言って食べてしまう女性」という役を与えられれば、誰しもそういう役はイヤだと思い、断って別なもっとカッコいい役を希望するでしょう。
なぜなら、役を選ぶ段階は、自分がどういう役を演じるか?ということを意識的に考えている段階であり、そのようにしてしまうことを避けているからです。
しかし現実は、その意識的に役を選ぶ段階を経ずに、「おなか一杯なのに、甘いものが目の前に来ると『別腹』と言って食べてしまう女性」を演じきってしまっていたりします。
結果的にそういう姿は、周りから観ても意識的な行為ではなく欲望的な行為であるため、人々を魅了することなく終わってしまうでしょう。
また逆に、ものの見方が欲望的になってしまうと、他者やいろいろなものに対して自分の欲望に応じた好き嫌いのレッテルを貼ることになり、見境もなくガツガツ食べる人を見れば、自分も同じように食べたくなるか、その人に対して嫌悪感を持つかもしれません。
しかしそういう状態は、自分が見たものに少なからず影響されているわけで、意識的にそういった人を観れば、その出来事から何ら影響を受ける必要が無いことが分かるはずです(言わば、その人の業が観える?ということでしょうか)。
もし人や出来事を意識的に観ることが出来ないならば、そこに欲望があればそれにつられて欲望を起こし(または嫌悪感を催し)、怒りには怒りで返し(または内的な嫌悪感(暗い気持ち)となり)、いろいろなものに対する反射的な影響を受けやすくなる、とも言えるかもしれません。

…結局何が言いたいのか?というと、自己の内部(大脳)から欲望が現れたら意識的にそれを止め、また自己の外部(他者やいろいろなもの)から欲望(怒り)が来たら意識的にそれを遮断し、本来の人間的意識から来る行為を最優先に出来ないものか?という自問自答(?)でした。
その一つの取っ掛かりとして、お芝居と現実、ということを考えてみましたが、なぜお芝居かと言えば、意識的に活動する多くの人々で構成される社会というのは、それ自体が楽しいお芝居のように観えるそうで、過去のそのような社会といえば、日本の江戸時代がとても素晴らしかった、ということなのです。
なぜ江戸時代の人々が意識が高かったのか?リサイクル文化を作り上げた江戸の文化の魅力とは?といったようなことを、これからこちらのブログでも取り上げていきますのでどうぞお楽しみにです(^^)



さて、皆さんは今年どのような役柄を演じたいですか?
あなたが思う、意識的に、また継続的に演じ切れたら素晴らしい役柄とはなんでしょうか?
年の初めに、ちょっとしたコラムでした。

私はさっそく、「年末年始の誘惑につられて、暴飲暴食をしてお腹を痛めしばらく苦しむ役」を演じ切ってしまい、自戒しているところです(^^;)

日本人はすごいんです。

2011年01月27日 | ひとりごと
自分のことって、自分が一番よくわからないんですよねぇ(by 児玉清の人生相談)。

今日はそんな記事です。



■種田山頭火すごし!

今日テレビのNHK BS2で「あの人からのメッセージ『苦労の先に 花ありて~遠藤実と川谷拓三~』」を見たのですが、これが良かった。

Wiki 川谷拓三



川谷拓三さんは俳優になるべく若くして高知から京都へ向かい、殺される役など長い下積みを経て、その人間味溢れる演技で人気俳優になった方でした。

川谷さんは晩年、病床で多くの書を書いていたそうですが、その中で以下の種田山頭火の句を最も多く書いていたそうです。



「ふまれてたんぽぽ、ひらいてたんぽぽ 種田山頭火」

Wiki 種田山頭火



長い下積みの中でも希望を捨てず、見事一流の俳優となった川谷さんの気持ちがこのひとつに句に凝縮されているように感じました。

さらに深く感じたのは、このたった17文字の中にものすごく多くのことを詰め込んだ山頭火の感性と、「日本語」の表現力の素晴らしさですね。

自分は他の言語の文化の事情をよく知っているわけではありませんが、俳句や短歌、川柳など、決められた文字数の中にいろんなことを詰め込んで、読む人に無限の解釈を与える文化があるというのは、誇りに思っても良いのではないかと思います。

小学校のとき教科書に載っていた、「分け入っても分け入っても青い山」を、何か変な句だな、と思っていた当時の自分の感性の鈍さを今更ながら悔しく思います(苦笑)

遠藤実さんの奥様との死別のお話も良かった。泣けました。

最近はテレビをあまり見ない自分ですが、こんな番組だったらどんどん創って放送してほしいですね!



■華麗の国

これは興味深く閲覧しているブログでの記事のタイトルです。

記事はこちら↓(とても長い記事ですのでお暇なときにでも)

煩悩くん フルスロットル 華麗の国



世界中のいろいろな不思議から韓流POPまで、様々な話題を楽しい文章で綴っているブログなのですが、内容によっては深い研究や洞察を行っているところがこのブログの魅力です。

この「華麗の国」という記事は、日本のカレーライスの素晴らしさから始まって、韓国の日本食ブーム、芥川龍之介、さらにはキリスト教など、日本という国の特質である「異文化を輸入してさらに良いものに創り変える力」について面白おかしく、そして深く力強く記述しております。

言われてみれば確かに…カレーももともとインドですが、カレーをご飯にかけて食べるというものが家庭料理の定番になるぐらいまで受け入れて昇華する力はすごいですよね。

宗教に関しても神道や儒教、仏教などたくさん日本には外来の宗教がありますが、それをごちゃ混ぜにして良いとこ取り!みたいな形まで昇華しておりますね。

クリスマスをやって初詣行って仏壇を拝む、なんてことは他の国では考えられないのでは(笑)

かといって何でも良いわけでもなく、キリスト教の宣教師はこれまでたくさんやってきましたが、なかなか浸透しないのは、一神教は肌に合わなくて、神道のような多神教のほうがしっくりきている、ということなのでしょうか。

多神教ならば、キリスト教の神が一人ぐらい増えたからってたいしたことはない、だからクリスマスも良いよね~という太っ腹なお国柄?!(笑)

しかし自分も含めてですが、最近の日本人はそのような信仰から遠ざかっているのも事実です。

自分も神や仏を意識し出したのは最近ですし、この日本国民の流れによりやはり国家としての意識を維持するのはかなり難しくなっているのが現状でしょう。

グローバリズムが世界的な流れとなっておりますが、タイトルにもありますように、今一度日本に住む我々は日本人としての素晴らしさの自覚を取り戻しても良いと思いました。


日本人はすごいんです!!!

短編小説:階段の果て

2011年01月11日 | ひとりごと
その男は、はるか遠くにかすむ階段を見上げて、汗を拭きながらぼやいた。

「いったいどこまであるんだよ…。」

どのくらい上ってきただろうか。途中足にかからないぐらい小さな階段もあれば、精一杯手を伸ばしてやっと届くような階段もあり、上り易い階段が長く続いたことは一度も無かった。

ついに男はその足を止め、手ごろな階段に腰を下ろして一息ついた。

「まったく…なんだってこんな階段を上っているんだ…いつ上り切るかもわからないし…。」

あたりを見渡せば、やはり天空は漆黒の闇に包まれており、しかしながら階段だけは明るい。巨大な円錐のようなつくりの山で、男の階段の両側には、ずらずらと誰かの階段が無数に並んでおり、数え切れないほどの人々の上っている姿が男の視界にも確認された。

「うわぁ、あいつはスゴイ勢いで上っているな。」
「あの階段はでかいなぁ、上れるのか?」
「あの階段のほうがいいな、楽そうだし。」

それぞれの人々に目をやると、いろいろな想いが浮かんでくる。

かつて男の階段の傍らには、妻と子供の階段が続いていた。3人で共に歩く階段は、様々な色を放ちながら緩やかに果てしなく続き、そのときは皆が一緒に頂上までたどり着けるのだ、と信じて疑わなかった。

しかしあるとき、男はなんでもない階段につまずいてしまった。その階段に倒れこんだ瞬間、それまで色を放っていた階段は急に暗く険しくなり、傍らにあった妻と子供の階段は、なんともいえないようなスピードで、男の階段から遠ざかっていった。



男はひとつ首を振り、また一歩ずつ階段を上り始めた。

しかし先ほどよりその足取りは重く、再び湧き出る想いが頭を掠める。

「いったい何のために…。」
「どこまで続くんだ?」
「あいつら、元気かな…。」
「さっきのヤツ、笑いながら上っていたな…。」
「オレにも笑いながら上れるときがくるのだろうか…。」
「あの楽な階段だったら上り易いのに…。」
「…もうやめてしまおうか…。」

男は再び歩みを止め、今度はがっくりと頭を落とし座り込んだ。

「あぁ…せめてこの階段の意味がわかれば…頂上に何があるのかさえわかれば…。」

そうため息をついたとき、男は、はっ!となった。



かつて妻と子供と3人で歩いていたとき、子供にこう聞かれたことがあった。

「お父さん、この階段は何のためにあるの?」

男はそれがわからなかったから、その場でてきとうにごまかした。

「この階段とはそういう余計なことは考えずに一生懸命上るものなんだ。おじいちゃんも、そのまたお父さんもそうやって一生懸命上ってきたんだよ。」

子供は不思議そうな顔をしながら、また聞いてきた。

「じゃあ、どこまで続いているの?」

男はそれもわからなかった。

「子供には言ってもまだわからないから、大きくなったら話そうな。」

子供はつまらなそうな顔をしていたが、再び3人は階段を上り始めた。



「誰か…誰か本当のことを教えてくれ…オレは今まで何もわからなかった…」

そう念じて目を開けると、目の前に白い衣に身を包んだ、女性とも男性とも区別の付かない人間が立っていた。

これまでその男が歩いてきた階段に、誰一人として足を踏み入れた者はいなかったのだ!

「おわっ!誰だ?!」

その人は静かに語り始めた。

「やっと気付いたのですね。何もわからない、ということがわかったんですね。それを待っていたのですよ。」

その表情はやや微笑んでいるようにも見えた。

たじろぐ男をよそに、再びやさしい口調で話し始めた。

「ではこの階段についてお話しましょう。この階段はそれぞれの人々に用意された階段です。その形や段数は人それぞれ違いますが、頂上では一つに繋がっています。そこにたどり着けば、これまでのすべてのことが理解できるでしょう。」

男は身を震わせながら、その次の言葉を待った。

「ただし、先ほどのように、あなたの想いが、あなたの先の階段や後ろの階段、そして周りの人々やその階段に移ってしまった場合には、あなたのその歩みは遅くなります。それはあなた自身が経験しているように。人々にはそれぞれの歩みがあり、その速さの違いや迷いによるつまづきは、誰にでも起こりうることなのです。そういったことに心を奪われず、あなたの階段を、あなたの出来得る速度で一歩ずつ歩みを進めなさい。」

そういって去ろうとするその人に、男はあわてて問いかけた。

「では私の階段の頂上まで、あと何段なんでしょうか?」

その人は振り返ってこう答えた。

「あなたの階段の残りは、56億7000万段です。」

「56億?!」

あっけにとられる男に、その人は再び語り始めた。

「これは方便です。あなたのその想いや歩み次第でその段数は変化するでしょう。ただここでしっかりと心に留めてほしいことは、頂上までの段数は必ず有限であることです。始まったものは必ず終わる。すべてのものは無常であり、常住不変のものはひとつも存在しない。あなたの思い煩いもそのひとつ。そういったものに振り回されずに、あなたの道を歩みなさい。いつか終わりが来ることでしょうが、それはまた始まりでもあるのです。そのことを心に留めておきさえすれば、またその次の始まりを、喜びをもって迎え入れることができるでしょう。」

そう言った瞬間、その人はすーっと目の前から姿を消した。



「…始まったものは、必ず終わる…か…。」

不思議と落ちついた心で見上げた階段は、規則正しい形で、わずかながら色味を帯びているように見えた。

男は静かにその次の一段を踏みしめながら、また一歩ずつ、その男だけの階段を上っていった。



(完)

168回。

2010年10月21日 | ひとりごと
夕食後、夕涼み(というには寒いけど)、で外に。
さすがに最近の寒さからか、虫たちの声はクライマックス。
耳を澄ませても、3,4匹の音色だけ。

なんとなく、気になる音色の回数を数えてみた。
途中からだったけど、1,2,3,…と数えてみる。

休みなく響くこと、168回。
突然、その音色が止んだんだ。

良い相手が見つかったのかな。
それとも、疲れちゃったのかな。

どちらにしても。
僕はその168回の音色をずっと聴いていたよ。

たぶん、そんなことは気にもかけず、
また次の音色のために、いろいろ考えを巡らしているんだろうな。

君の音色がこの秋に、素敵な出逢いがあるように。

憧れの種

2010年09月30日 | ひとりごと
最初は何に憧れたのだろう。



透き通るような、どこまでも広い青空だったか。

手が届きそうな、夜空に散りばめられた無数の星たちだったか。

あわただしく始まった一日に、仕事に向かう父の背中だったか。

ときに鼻歌を歌いながら、手際よく料理を進める母の背中だったか。



最初は何に憧れたのだろう。

時の流れの中で、

あの空に憧れ、この美に憧れ、

あの人に憧れ、この人に憧れ、

そして今、

あなたに憧れている。



この憧れが、

いつか消えてしまわないように、

静かに目を閉じて、

あなたの名前を呼ぼう。



それだけで、

私の胸が熱くなる。



私の心の中にある、

憧れの種に、

生命を吹き込むように。

慈悲の瞑想

2010年07月05日 | ひとりごと
〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

転載:困ったときはダンマパダ

ダンマパダとは…

Wiki 法句経

『法句経』(ほっくきょう)、または『ダンマパダ』は、原始仏典の一つで、釈迦の語録の形式を取った仏典である。語義は「真理の言葉」といった意味であり、原始仏典の中では最もポピュラーな経典の一つである。『スッタニパータ』と共に原始仏典の、最古層の部類とされる。

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この慈悲の瞑想、一見するとキレイゴトのように見えますが、四六時中この気持ちでいられるか、というとなかなか出来ない。

出来ない理由は何?と言われると、いろいろ理由付けをすることになりますが、その理由が理路整然たることはないと思われます。

というのも、どうしても利害意識が入ってしまう。何の利害かといえば、「自分が得をしていない」「相手が得をしてずるい」、そしてそれが「イヤだ」という気持ちがある限りは、この慈悲の瞑想から離脱していることになるのでしょう。だから出来ない、ということになっているのだと思います。

自分も出来ない部分が多々ありますが、忘れないように記事にしておきます。


60億×70年

2010年05月27日 | ひとりごと
今、地球で同じ時間を共にしている人。

仮に60億人。

それぞれの生きている時間。

仮に70年。

60億人×70年=4200億年。

この4200億年の中で、想像しうる限りの、最高の人生の時間と、最低の人生の時間があるとする。

最高の人生の時間は、自分の時間でありたい。

最低の人生の時間は、自分の時間ではないほうがいい。

普通、誰しもそう思うだろう。



しかし、今も誰かがその最高の人生の時間にあり、誰かがその最低の人生の時間にある。

自分であったり、他人であったり。

喜んだり、苦しんだり。



その最高の時間も最低の時間も、どの時間も受け入れる用意がある人。



その人に出逢うと、誰しも自然と涙が出るだろう。


第3話 創造の想像

2010年04月28日 | ひとりごと
一応、続きモノになっています。
第1話 覚悟の祈り
第2話 理由探し

街に着いてから、男はあの手この手で仕事を探し、ようやく古く大きな建物の清掃の仕事を手に入れた。

口ひげをはやした気さくなオーナーは、素性の分からない男を快く雇ってくれた。

オーナー「そんなにたくさんお給料あげられないけどね…まぁ、しばらくやってみてちょ。

で、仕事はこちらの方にいろいろ教えてもらってちょ。」

と、やや腰の曲がったおばあさんを紹介された。おばあさんはジロッと男を見たが、口元だけニヤリと会釈?をして、スタスタと歩いていく。

慌てて男はおばあさんのあとを追いかけた。

男「よろしくお願いします!」

おばあさん「あぁ、よろしく。じゃあさっそくやるかい。

まずは全館ほうきで掃いてくよ。」

と言いながら、掃き掃除を始めた。男も見よう見まねで掃いていく。

男は自分のエネルギーを信じて、無我夢中で仕事に没頭した。そのスピードはおばあさんよりも速く、次々に廊下を綺麗にしていった。そのことに男は少し得意になりながら、さらに仕事を進めた。

と、おばあさんが男に言い放った。

おばあさん「うーん、ダメだね。やり直し。」

その言葉に男は少々面食らい、怪訝な顔をしておばあさんを見た。

おばあさん「なんだい、その顔は。

じゃあ、わしの仕事をしばらく見ていなさいな。」

そう言って再びおばあさんは掃除を始めた。男はばつを悪くしながらも、おばあさんの掃除を眺めた。

最初男は、少々いらだちながら眺めていたが、ふとあることに気付いた。

何度見てもそのおばあさんの動きはとてもゆっくりなものだった。しかし、廊下のホコリはみるみるうちに綺麗になり、その綺麗になった廊下を見ているうちに、気付けばおばあさんはずっと向こうまで掃除を進めていた。

男が自分の掃除した廊下を見てみたら、あちこちにホコリは残っており、目に見える大きなゴミまで残っていた。

おばあさん「なにやっているんだい、あんたも早くやりなさいな。」

ずっと遠くに行ってしまったおばあさんの声がする。男はあわてて掃除を再開したが、今度は丁寧にやっているせいか、おばあさんとの距離はどんどん開いていく。

男はとにかく出来る範囲でがむしゃらにやりながら、おばあさんについていった。



ひと段落し、晴れ上がった空の下、おばあさんとお茶を飲みながらの休憩。

おばあさん「まぁ、なんだかんだよくやってるよ、あんた。

あのときと比べたら随分変わったねぇ。

まぁ、安心しな。あんたはまだまだ変われるから。」

あのときの老人と同じく、初対面のおばあさんの言葉に驚きを感じたが、この一言は男にとって素直に嬉しいものだった。

男「おばあさんはゆっくりやっているようでいて、とても仕事が速いですね。

何かコツとかあるんですか?あれば教えてほしいのですが…」

おばあさんはお茶をひと口すすって、遠くを見ながら言った。

おばあさん「コツ?んなもん、ないねぇ。

なんたって50年もこの仕事してるから、そんな若い衆に負けられんワイ。

まぁ、強いて言えば…あんた、仕事してるとき何を考えながらやっとる?」

男は少し考えて、

男「特に何も考えないで、一生懸命にやるようにしています。

没頭、集中、やっぱりこれが一番でしょう?」

おばあさんはまた、口元だけニヤリとして、こう言った。

おばあさん「まぁ、それはそれでいいワイ。

だけども、それだけじゃあ、なかなか大変なのじゃよ。

どんなに一生懸命にやっても、なかなかうまくいかないことが続くと、イヤになって投げ出したくもなろう。

そうなっては、元も子もなかろうが。」

男は不思議そうな顔でおばあさんを見つめる。

おばあさん「あんた、人間と動物の決定的な違い、って何だかわかるかい?」

男はしばらく考え込んだあと、

男「知能を持っている、ってことですか?」

と答えた。すると、おばあさんはうなずきながら答えた。

おばあさん「まぁ、そういう風にも言えるかの。

しかし、知能は他の動物も少なからず持っておる。

生きるための知恵、とでも言おうか、そうやってしっかり子孫を残しておる。

知能など、それだけあれば十分ではないかの。

ここであんたに教えておこうかの。

人間と動物の決定的違いは、『想像力』じゃ。

もちろん、動物にも想像力はある。

しかしそれは、直近の危険の察知や、今日の餌場探しにしか使わん。

人間の想像力は、それがずーっと延長したようなもんじゃ。

過去と未来に。

本当にずーっとじゃ。

自分の生を通り越すほどずーっとじゃ。

これに、どんな意味があると思う?」

男は、深く考え込んで、ためらいがちに口を開いた。

男「よくはわかりませんが…それが色んな技術の進歩を生み出したりする、ってことですか?」

おばあさん「いいとこついとるナ。

過去の他人の想像による創造を膨らませて、さらに大きな想像をする、それが新しい技術、創造となる。

人間にはそういった無限の想像力というものがあるのじゃ。

そうやって、これまで陸を走り、海を渡り、空を飛んだ。

それらも初めはとんでもない空想、妄想から始まったのじゃ。

しかしこの想像力は、はじめっからふたつに分裂していたのじゃ。

それは『恐怖の想像力』と『希望の想像力』とでも言おうかの。

この二つの想像力が溶け合い、ときにはぶつかり合い、そうして発展してきたのじゃ。

人間にはこのどちらの想像力も持ち合わせておる。

あんたのこれまでの人生を観ると、恐怖の想像力を多用していたようじゃの。

ろくな想像をしてこなかったみたいじゃの、かっかっか。」

男は何となく気分を害して、残りのお茶を一気に飲み干した。

おばあさん「まぁ、それも過去のこと。

紛れもなく、あんたもいまだにどちらの想像力も持ち合わせておる。

ただ、いままで恐怖の想像力しか使ってこなかったのだろうヨ。

まぁ、その話は置いといて、希望の想像力について話してみようかの。

あんた、今この掃除のお仕事について、どれだけの希望を想像できるかの?」

男「うーん、掃除して、綺麗になって、オーナーが喜ぶ…かな?」

おばあさん「まぁ、それぐらいかの、あんたの希望の想像力では。

さっきも話したが、人間の想像力は無限じゃ。

もっともっと希望の想像が出来るのじゃ。もっとやってごらんなさいな。」

男は眉間にしわを寄せて、口を尖らせながらしばらく考え込んで答えた。

男「…綺麗になった廊下をお客様が気持ちよく歩いている、とか、

子供たちが遊んで走って転んでも汚れない、とか…うーん。」

おばあさん「おぉ、なかなか良いではないか!

そうそう、そうやって真剣に希望の想像を働かせるのじゃ。

あんたが仕事をするとき、それを常に意識して仕事をするがよい。

常にじゃぞ。

常に意識して行動していれば、その意識はゆっくりとではあるが無意識に落ち込んでゆく。

あんたの今の無意識は相当汚れとるからなおさらじゃ。

無意識の想像力は強力じゃ。

この過程で、あんたは無意識の恐怖の想像に操られるかもしれん。

『うまくいかなったら…』とか『自分には無理では…』とか。

その恐怖の想像に常に気付いてすぐさまやめて、意識的に希望の想像をするのじゃ。

いずれその希望の想像力が無意識に落ち込めば、

そこから本当の学びがやってくるであろうの。」

男はいまいち意味がわからないまま、おばあさんの次の言葉を待った。

おばあさん「今はお仕事について話したけども、

このことはお仕事だけではないぞ。

日々の生活でも、常に希望の想像力を使うこと。

あんたは手も足も十分動くであろう?

顔も動くんなら表情も作れるだろう?

言葉も喋れるだろう?

考える脳も持っておろう?

それらを動かすとき、逐一希望の想像力を働かせなさい。

あんたの手を動かすとき。

そう動かすことにどんな希望があるのか。

あんたの足を動かして移動でもするとき。

そう動かすことにどんな希望があるのか。

あんたの表情を作るとき。

その表情をすることでどんな希望があるのか。

あんたが言葉を話すとき。

そう言葉を放つことでどんな希望があるのか。

あんたが考え事をするとき。

そう考えることでどんな希望があるのか。

常に希望の想像力と共に、行動するのじゃ。

そうすれば、めったなことは出来なくなるぞ。

まぁ、出来なくなることはほとんどムダなことばかりだから、

生きることがだいぶスリムになるかの。」

男はわかったような、わからないような気分で聞き返した。

男「そんなことって可能でしょうか?

生きていると色んなヤなこともあるし、

そうなったときでも希望を想像するなんて…。

そして、恐怖の想像力ってそんなにムダなことばかりなんですか?」

おばあさん「可能かどうかは、周りを見渡せばわかること。

ようく探してごらん。

活発で笑顔で活動している人は、希望の想像と共にある。

他人から見てイヤなことも、平気でやっているように見える。

そういう人を探して、いろいろ教えてもらえばよい。

学ぶことはたくさんあるだろうヨ。

そして、恐怖の想像力について。

それはあんたが一番知っておろうが。

今まで多用して生きてきたあんたの人生はどうだった?

自分の胸に聞いてみるがよい。

まぁ、あんたの人生がムダだった、と言っているわけではないぞ。

あんたのしてきたことがムダだった、ということじゃ。

恐怖というのは防衛じゃ。

自分を守るために人はどうする?

財産を守るためにセキュリティでもつけるだろう。

権威を守るために規則でがんじがらめにするだろう。

命を守るために武装でもするだろう。

その先にあるのは争いじゃ。

争いが先にあって守るのではない。

守ろうとするから争うのじゃ。

人間の想像力は無限じゃから、

こちらもどうしても過剰になるのう。」

男は胸をえぐられる気持ちになりながらも、その目は真剣な眼差しだった。

男「もう少し教えてください。

希望の想像をしながら行動すると、どうなるのですか?」

おばあさんは穏やかな表情で男に向かって言った。

おばあさん「希望の想像が現実になるんじゃよ。

それを創造、ともいうかの。創り出すのじゃ。

あんたも普段意識していないかもしれないが、

きちんと希望の想像を使っておる。

朝、寝床から起き上がる。

コップ一杯の水を飲む。

朝食を作って食べる。

全部望みどおりになっているではないか。

それが創造というものじゃ。

しかし、頭の中でただ大それた夢を描くだけではいかん。

常に体の動き、行動と共に描くのじゃ。

この腕の動き、この足の動き、この表情の先に、

あんたの描く希望の想像があることを常に意識する。

意識して、意識して、ゆくゆくは無意識で想像する。

そして、いつか目の前に想像の結果が創造されて現れる。

それの繰り返しじゃ。

ここで大事なことを言うぞ。

希望の想像をするときは、初めにまず自分や他人、環境の現状を認めてやることじゃ。

良いときも、悪いときも。

それを完全に受け入れたあとに初めて、希望の想像が沸き起こるであろう。

受け入れないままでは、恐怖の想像が膨らむままじゃ。

受け入れる、とは許すこと。

あんたは宇宙で起こるすべてのことを許すことが出来る。

自分も、他人も、その他生物も、無生物も。

良いことも、悪いことも。

過去も、未来も。

今はただ、あんたがそれらを限定的に選んで許しているだけじゃからの。

許すのにもエネルギーがひつようじゃが、

あんたも持ってる愛、ってやつなら許せるんじゃないかの。

さぁ、長くなってしまったの。

仕事、仕事。」

男は、最後の言葉に身を引き締めながらも、

スタスタ歩いていくおばあさんを尊敬の眼差しで追いかけた。

理由探し

2010年04月26日 | ひとりごと
教会を出た男は、爽やかな日の光の中、街の中心部へ向けてその軽やかな足を進めていた。

ふと、道端に腰掛けている一人の老人と出会った。80代と思しきその老人は、穏やかな微笑をたたえて、遠い目をしながら腰掛けていた。

男は気分に任せて、やさしく挨拶をした。

男「こんにちは。」

老人はゆっくりと視線を男に移し、微笑んだまま返した。

老人「少しは目覚めたようじゃの。」

男は、その言葉の意味に少し驚きながらも、逸る気持ちのまま答えた。

男「そうなんです!僕はこれから愛の力で生きていこうとしているのです!」

その言葉を聞いた老人は、その微笑みの顔を急に険しくして、こう言い放った。

老人「何が愛だっ!!愚か者め!わかったようなふりをしてからにっ!!!」

それまでの晴れやかな顔から一転して、男の顔はにわかに以前の翳りのあるものへと変わっていってしまった。

それを見た老人は再び微笑み、今度はやさしく喋り始めた。

老人「ほれみろ、お前の愛の力はそんなものか。

ワシのたった一言にイラッときてしまったであろう。

確かに、おぬしにも愛の力はある。

しかし、こう簡単にその力を手放してしまうのでは、何の意味も無かろう。」

男は、神妙な面持ちで老人の話を聞いている。確かに、図星であった。

老人は続ける。

老人「おぬしは、ワシから一喝されたとき、何を考えた?

一瞬にいろんなことを考えたであろう。

『なぜオレがこんなことを言われないといけないのか?』とか、

『なぜ見ず知らずの老人がこんなことを言うのか?』とか…。

どちらにしても、イヤな気持ちになったであろう。

そして、なぜ自分はイヤな気持ちになったのか?と考えているのじゃ。」

男は首をかしげながらも、考える風に老人の話を聞いている。

老人「人間というものは、いろいろ意味や理由をつけたがる。

特にイヤな気持ちになったとき、というものはとかく理由を探したくなるものじゃ。

目の前で起こったイヤなことに対して、

『自分が悪いのでは?』『相手が悪いのでは?』などと考える。

自分が悪いなら、『過去が悪いのでは?』と後悔し、

『こんなことしなければ…』と自分を責める。

相手が悪いなら、『お前が悪い』と直接言ったり、

『だから言っただろう』と相手の過去を責める。

自分や相手を責めることに何の意味がある?

今までのおぬしのことなら、このことをようく理解しておろう。」

男は、その過去をえぐられたような気分になり、少々いたたまれなくなってこう言った。

男「そりゃ人間ですもの。イヤなことだってあります。

イヤなことだったらそれなりに理由があるでしょう。

自分が悪かったり、相手が悪かったり…当たり前のことじゃないですか!」

老人「ほう。当たり前、と申したな。

そこじゃな。おぬしが抜け出せないでいるところは。

では聞いてみよう。おぬし、『ありがとう』という言葉は知っているかな?」

男「当たり前じゃないですか!知ってますよそれぐらい!

感謝の気持ちを伝える言葉じゃないですか!」

老人「ほっほっほっ。おもしろいのう。

知っているのが当たり前、ときたもんだ。

ではさっきの話に戻るが、イヤなことがあったときにも『ありがとう』と言えるかな?」

男「そんなことできるわけないじゃないですか!

イヤなことがあったら、気分も悪くなるし、

ましてや相手が悪い場合だったら、ますます『ありがとう』なんて言えないですよ!」

老人「ほっほっほっ。元気が良いのう。

しかし、おぬしは『ありがとう』の意味を知らぬようじゃの。

『ありがとう』という言葉は、本来『有難し』というところからきたのじゃ。

めったにない、マレである、という意味じゃな。

普段使う、良いことがあったとき、誰かに良くしてもらったときに、

『ありがとう』というのは、そういうめったにないことを自分にしてもらったから、その感謝の意味で言う言葉じゃ。

しかし、良くないこと、悪いことが起こったときも、

それはめったにないことだ、と言えないかね?

だから、それに対しても『ありがとう』と言っても良いんではないかな?」

男は少々混乱しながら、しかめっ面で老人の話を聞いている。

老人「とにかく、この世で起こっていることはすべて、めったにないことばかりじゃ。

当たり前、ということは断じて、ない。

おぬしはそのことにまだ気付いておらぬようじゃ。

一瞬のうちに良いこと、悪いこと、当たり前のこと、など判断しておる。

良いこと、悪いことならまだしも、

当たり前だ、と思ったことに対しては、理由など探しもしないであろう。

そういう心構えでいると、必ず大事なものを見落とすことになるぞよ。」

男は何かを閃いたように、その表情を変えて老人を凝視した。

老人「ほっほっほっ、良い顔つきになったの。

心して聞くがよい。

この世で起こることは、すべてめったにないことじゃ。

すべて『有難し』。その気持ちで受け止めることじゃ。

良いことも、悪いことも、当たり前のことも、じゃ。

そうすれば、人間というものは理由探しを始める。

なぜ『有難し』なのか?

他者にしてもらった良いことならば、すぐにその理由はわかるであろう。

良くないこと、悪いことならば、素直に反省し学ぶ気持ちにもなるであろう。

これまで当たり前に感じていたことを、そう受け止められれば、

おぬしの心は飛躍的に成長するであろう。

常にそのことを感じて、日々励むがよい。」

そう言って老人は、教会に向かって歩き始めた。

男はその背中に向かって、とっさに叫んだ。

男「ありがとうございます!」

老人は背を向けたまま、右手をかすかに挙げて、ゆっくりと歩いてゆく。

男は深呼吸をひとつして、再び街に向かって歩き始めた。

覚悟の祈り

2010年04月22日 | ひとりごと
静かな朝のこと。

とある教会に、一人の男が迷い込んだ。

ふらついた足取りで、誰もいない聖堂の中を、焦点の合わない視線をあちこちに落としながら歩いてゆく。その重い足取りは、傍目から見ても極端に遅く、それでも何かに突き動かされるように、右、左とゆったりとした周期で、しかし正確にその歩みを進めている。

祭壇の前で立ち止まり、ほんの数秒十字架を見上げ、崩れ落ちるようにひざまずいた。
萎れたひまわりのように前方にがっくりとうなだれた首は、その上方斜め45度の十字架を見つめ続けることが出来るほどの余力が残されているようには見えず、それでも重力には負けじとその胴体にかろうじてぶら下がっているだけであった。

前方のステンドグラスから差し込む光に照らされながら、しばらく男はその状態のままであったが、訪れる人影もなく、ときに教会の屋根の軋む音が、その静寂を静かに引き裂くように響き渡っていた。

男は体勢を変えないまま、その痩せこけた両手を胸の前に組み、うつろな目を見開いたまま、ぽつり、ぽつりを言葉をこぼし始めた。

男「…私…私は、これまでたくさんの罪を犯しました。

…そして、さっきもまた、大きな罪を犯してきたのです。

罪?…罪でしょうか?…罪でしょうね…。

もう、すべてに疲れました。

罪を犯すことさえ、もう疲れました…。」

また、しばらくの沈黙が訪れた。差し込んでいた光は、雲がさえぎったのだろうか、いつの間にかぼんやりと聖堂を照らすだけで、四隅はその奥行きさえもわからないほどの暗黒に包まれている。

それらの変化に反応するでもなく、男は何かを諦めたように再び語り始めた。

男「…もう、どうすることもできなくなりました。

もし、これまでの罪が許されるなら、

どんな地獄に落ちていっても、それで良いんです。

もし、これまでの罪を償うことが出来るなら、

どんな試練でも、どんな苦痛でも、受ける覚悟があります。

しかし、どうすれば?

過去の罪を、どうすれば償うことが出来るのでしょうか?

それがわからないまま、これまで愚かな罪を重ねてしまっていたのです。

いったい、どうすれば…」

男はそのうなだれた首を、よりいっそうもたげて、再び沈黙の世界に埋没していった。

すると、どこからともなく、聞いたこともないような、懐かしいような、そんな声が男の心の中に響いてきた。

謎の声「…わかりました。あなたの望みを叶えて差し上げましょう。」

男「?!」

謎の声「あなたは、罪が許されるなら、どんな地獄へ落ちてもよいと言いました。

あなたは、罪を償えるなら、どんな試練、どんな苦痛でも受ける覚悟があると言いました。

あなたのその言葉を、どんなに待ち望んでいたか…。本当にありがとう。

それでは、あなたに、私から力を与えます。

その力を使って、これから生きてゆきなさい。

あなたには、これから度重なる試練や苦難が訪れるでしょう。

しかし、私のこの力を使えば、必ずやその試練や苦難に打ち勝つことができるでしょう。

そして、私の力を使って、これまでの罪を償いなさい。

私の力を使うだけで、罪を償うこととなるのです。」

男のうつろな目に精気が宿り、うなだれた首を振り上げ十字架を見上げた。しかしそこには先ほど見上げて見た十字架があるばかりであり、何も変わってはいなかった。

また同じ声が聴こえる。

謎の声「ただし、ひとつだけ覚えておいてください。

あなたが、心の中だけでもこれまでの罪と同じようなことを考えたり、した場合。

残念ながら、私の力はあなたから離れることになるでしょう。

そして、あなたはそれから起こる困難な状況に打ち勝つことは出来ずに、再び苦悩に打ちのめされることになるでしょう。

しかし、もしそうなったとしても、今日私に告げたあなたの祈りを、もう一度思い出してください。

そうすれば、私はいつでも力を授けます。

私は、あなたが生まれてから、いえ、あなたが生まれるずっと前から、その言葉を待ち続けていたのです。

今日、その日が来たことを、心から歓迎いたします。

さぁ、行きなさい!

わたしの与える力は無限です。

あなたが今日の祈りを忘れない限り。」

男「ちょ、ちょっと、待ってください!

あなたはいったい誰なのです?!」

謎の声「ふふっ、気になりますか。

私は、あなたです。

あなたの中で、ずっと待ち続けていました。

そうですねぇ…あなたの中の"愛"、とでも名付けましょうか。

いつでも、どこでも、あなたと一緒ですよ。」

男「!!」

男はしばらく、狂ったように聖堂のあちこちを見渡してみた。しかし、そこには何もなく、先ほどから差し込み始めた光に照らされただけで、来たときと変わらない様子だった。

そして、その声は再び聴こえることはなかった。そのかわり、男の全身に何かが一瞬駆け巡り、静かな幸福感に包まれた。

男「愛…」

男の顔には、その人生の中で、したこともないような微笑みが表れていた。

男は、幸福な違和感に戸惑いながらも、もう一度十字架を見上げ、振り向いて出口へと向かっていった。

しっかりとした、エネルギーに満ち溢れた足取りで。

無宗教

2010年04月13日 | ひとりごと
僕は本来、無宗教だ。

最近は仏道の教えにヒントを得たりしているが、ずぼらなもので求道者まではいっていない。



昔、カルト教団による無差別テロがあった。

テレビや新聞の報道を見て、

「おぉ、宗教は恐いね。自分は無宗教だから関係ないか」

などと考えていた。



あ。



気づいた。



自分はその教団について、詳しいことは何も知らない。

自分はその加害者や被害者がどんな思いで関わっているのか、詳しいことは何も知らない。

知っているのは、テレビと新聞の情報だけ。



それで「宗教は恐いね」と。



直接自分の目や耳で、見たり聴いたりしたものの中から、自分で考えることをしていなかった。



なんだ。



自分は無宗教なんかじゃなかった。



「知ったかぶり教」



に入信していたんだ。

渡り鳥

2010年04月07日 | ひとりごと
空にひとつの矢印。

リーダーの声にしっかり従って。

遅れるやつも必死。



行く先は決まっている。

春を待つ北の大地。

一気に海を越えていく。



着いたら、何をしようかな。

あの娘と一緒になれるかな。

なんて。

考えているのかな。



空にひとつの矢印。

切ない鳴き声とともに。

海の向こうに消えていく。

砂場

2010年04月02日 | ひとりごと
かつて、そこが世界のすべてだった。



ただ山を創るだけで、

ただトンネルを掘るだけで、

ただそこに水を流すだけで、

歓喜と驚嘆をもって、すべてを受け入れた。



すべてを司る者としての自覚を持って、

我が世界を歪める部外者に、頑強に抵抗した。

「私がルールである。その他の者は黙って従うべきである。」



ときに、このルールは他者の世界を歪めた。

ときに、このルールは我が世界をも歪めた。

ときに、このルールは成すすべもなく歪められた。



自分も他人もなかった。

すべてを思い通りにしたかった。

この四角形の世界が、我が世界であることを、証明したかった。





今、私の目の前にある砂場。

そこには、歓喜と驚嘆、抵抗と隷属、あらゆるものの残骸が横たわっていた。



ひとつずつ、拾い集める。

それぞれを凝視し、吟味する。



そして、私は気付く。



これまで、

壊れやすいものばかり、

集めてしまっていた。

そのガラクタの中に、

その最も見つかりづらいところに、

それは、あった。



それは、

誰にも、

壊せなかった。



自分にも、

壊せなかった。





もう一度、

この砂場で遊ぼう。

そして、

あのとき出来なかったことをするのだ。



この四角形の世界が、

我が世界であることを、

証明する。



この四角形の世界に、

壊れやすいものは、

もういらない。

ふたりの海

2010年03月15日 | ひとりごと
言葉だけではないものを 君は教えてくれた
僕は僕のまま 君は君のまま 素直にそう感じられた

闇雲に駆け抜けた 1人だけの森から
抜け出して 広がった光景は 果てなき水平線

やっと気づいたよ 君がこんなにも大きな海だと
どこまでも泳がせてよ 愛の源まで



人と違うことは楽しいことだと あなたは教えてくれた
忙しい合間をぬって 待ち合わせた 北の大地の真ん中で

些細なことだけでも 荒れゆく心の波を
楽しげに 乗りこなせるあなたは かけがえのない出逢い

ずっと待ってたの 私の心の波を静める人
いつまでも泳いでいて 穏やかでいられるから



1人じゃできないことも 2人でできる喜び
かみしめて 見上げた山の向こう 2人だけの太陽



ぐっと抱き寄せて ふたりの海が今ここ きらめく
誰にでも分け与えよう この海の恵みを

尽きることない恵みを



この曲、YouTubeで聴けるようにしました。

YouTube「ふたりの海」

信じる

2010年03月11日 | ひとりごと
僕は次の瞬間、呼吸ができることを信じている。

僕は次の瞬間、そのタバコに手が届くことを信じている。

僕は次の瞬間、そのタバコを口元にくわえることを信じている。

僕は次の瞬間、そのライターに手が届くことを信じている。

僕は次の瞬間、そのライターに火を点けられることを信じている。

僕は次の瞬間、そのタバコが吸えることを信じている。

そして僕はタバコを吸っている。



僕はあらゆる瞬間に、あらゆることを信じている。



これだけ信じる力がある。



こんな僕に、



何かを信じられないということがあるだろうか。