最近ブログの記事が固い感じで申し訳ありませんが。
こんな感じでも、実はシンガーソングライターであることをお忘れなく(笑)。
といいつつ今日も固い記事、覚悟してください(またかよっ!ってツッコまないでくだされ(笑))。
ここ2年ぐらい知り合いにくい同世代の友人に恵まれて、そのそれぞれが素晴らしい人たちでとても感謝しております。
それらの友人といろいろ話していくうちに、どうしてもぶつかる話がある。
それは家族のこと。
外側から見たらうまくいっているような家族でも、その家族なりの問題を抱えている、ということを最近切に感じる次第でございます。
自分も精神の闇の原因として家族の問題もあげていた時期がありましたが、それを割り引いてもいろいろな家族で抱える問題の複雑さを考えずにはおれません。
またそれとは別な話になりますが、仏教にも似たような問題がありまして、思い立ったのである記事を転載します。
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ブログ「みんなの仏教」より転載↓
キサーゴータミーと呼ばれる女性がいた。
彼女は何不自由なく暮らし、やがて一人の男の子を産んだ。
しかし、かわいがっていた息子が突然死んでしまう。
それまで身近な人の死を見たことがなかった彼女は悲しみ、
冷たくなった我が子を抱きかかえて、「この子に効く薬はないか」と一軒一軒探した。
「キサーゴータミーよ、落ち着きなさい。
死んだ子に効く薬を探し回るなんて…」
人々は彼女を哀れんだり笑ったりしたけれど、
薬を探すのをあきらめようとはしなかった。
彼女を救ってやりたいと考える人が次のように言った。
「キサーゴータミーよ、わたしはあなたのお子さんを救う薬は知らないが、
その薬をご存知の方なら知っている」
「本当ですか?一体それは誰ですか?」
「ブッダです。ブッダならその薬を知っているでしょう。
ブッダのもとに行って尋ねてみてはどうか」
そうしてキサーゴータミーはブッダのもとへ向かった。
「ブッダよ、あなたがこの子の病を治す薬を知っていると聞き来ました」
「そうです。わたしは確かに知っています」
「では、その薬とは何でしょうか?」
「白いケシの実をひとつまみもらってきなさい」
「はい、どこからもらってくればいいのでしょうか?」
「キサーゴータミーよ、今までに死者を出したことのない家からもらってきなさい。
死者を出したことのない家ですよ」
「分かりました」
そうして彼女は子どもを抱え町に戻り、一軒、二軒と家を訪ねた。
「こちらの家に白いケシの実はあるでしょうか?」
「ありますよ」
「あなたの家では誰か亡くなったりしたことはないでしょうね?」
「何を言っているのですか?この家では生きている者はほんの少しで、
死んでいった者のほうが多いのですよ」
どの家に行っても同じ答えが返ってきた。
そして、彼女は疲れきってしまった。そして、ブッダのもとに再び向かった。
キサーゴータミーにブッダが話しかける。
「どうでしたか?白いケシの実を手に入れることができましたか?」
「いいえ、かないませんでした。死人のほうが生きている者より、
はるかに多いということが分かりました」
「生きている者は必ず死ぬのです。これは永遠に変わることのない法則です。」
その後、キサーゴータミーはブッダのもとで出家し、
修行に励んだとのことです。
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自分が感じた「家族の問題」とはまた違うのですが、このような「死」の問題は、現代社会における核家族化・孤独化と切っても切れない原点の問題があるように感じたので、ここにアップしました。
死を乗り越える、ということに比べればはるかに簡単な家族不和。
それぞれが本質的な問題に向き合って思考するようになれば、その解決はもうすぐ目の前にあるように感じます。
こんな感じでも、実はシンガーソングライターであることをお忘れなく(笑)。
といいつつ今日も固い記事、覚悟してください(またかよっ!ってツッコまないでくだされ(笑))。
ここ2年ぐらい知り合いにくい同世代の友人に恵まれて、そのそれぞれが素晴らしい人たちでとても感謝しております。
それらの友人といろいろ話していくうちに、どうしてもぶつかる話がある。
それは家族のこと。
外側から見たらうまくいっているような家族でも、その家族なりの問題を抱えている、ということを最近切に感じる次第でございます。
自分も精神の闇の原因として家族の問題もあげていた時期がありましたが、それを割り引いてもいろいろな家族で抱える問題の複雑さを考えずにはおれません。
またそれとは別な話になりますが、仏教にも似たような問題がありまして、思い立ったのである記事を転載します。
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ブログ「みんなの仏教」より転載↓
キサーゴータミーと呼ばれる女性がいた。
彼女は何不自由なく暮らし、やがて一人の男の子を産んだ。
しかし、かわいがっていた息子が突然死んでしまう。
それまで身近な人の死を見たことがなかった彼女は悲しみ、
冷たくなった我が子を抱きかかえて、「この子に効く薬はないか」と一軒一軒探した。
「キサーゴータミーよ、落ち着きなさい。
死んだ子に効く薬を探し回るなんて…」
人々は彼女を哀れんだり笑ったりしたけれど、
薬を探すのをあきらめようとはしなかった。
彼女を救ってやりたいと考える人が次のように言った。
「キサーゴータミーよ、わたしはあなたのお子さんを救う薬は知らないが、
その薬をご存知の方なら知っている」
「本当ですか?一体それは誰ですか?」
「ブッダです。ブッダならその薬を知っているでしょう。
ブッダのもとに行って尋ねてみてはどうか」
そうしてキサーゴータミーはブッダのもとへ向かった。
「ブッダよ、あなたがこの子の病を治す薬を知っていると聞き来ました」
「そうです。わたしは確かに知っています」
「では、その薬とは何でしょうか?」
「白いケシの実をひとつまみもらってきなさい」
「はい、どこからもらってくればいいのでしょうか?」
「キサーゴータミーよ、今までに死者を出したことのない家からもらってきなさい。
死者を出したことのない家ですよ」
「分かりました」
そうして彼女は子どもを抱え町に戻り、一軒、二軒と家を訪ねた。
「こちらの家に白いケシの実はあるでしょうか?」
「ありますよ」
「あなたの家では誰か亡くなったりしたことはないでしょうね?」
「何を言っているのですか?この家では生きている者はほんの少しで、
死んでいった者のほうが多いのですよ」
どの家に行っても同じ答えが返ってきた。
そして、彼女は疲れきってしまった。そして、ブッダのもとに再び向かった。
キサーゴータミーにブッダが話しかける。
「どうでしたか?白いケシの実を手に入れることができましたか?」
「いいえ、かないませんでした。死人のほうが生きている者より、
はるかに多いということが分かりました」
「生きている者は必ず死ぬのです。これは永遠に変わることのない法則です。」
その後、キサーゴータミーはブッダのもとで出家し、
修行に励んだとのことです。
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自分が感じた「家族の問題」とはまた違うのですが、このような「死」の問題は、現代社会における核家族化・孤独化と切っても切れない原点の問題があるように感じたので、ここにアップしました。
死を乗り越える、ということに比べればはるかに簡単な家族不和。
それぞれが本質的な問題に向き合って思考するようになれば、その解決はもうすぐ目の前にあるように感じます。