阿部卓馬ブログ

北海道新ひだか町サポート大使のシンガーソングライターです。ライブ告知、活動情報などを中心に更新しております。

黙って座ったまま 作家・星野智幸 (北海道新聞8月16日朝刊 各自核論より)

2013年08月16日 | 思索
今朝の北海道新聞朝刊でふと目に留まった記事がすこぶる秀逸でしたので、引用として全文転載させていただきます。

ライターは作家・星野智幸さん。私は名前も知らず著作を読んだこともないのですが、この本文に関しての深い洞察は素晴らしいものを感じました。
しかし、作家の方々は得てして問題提起に留まるまでで、その先の問題解決の道筋まで述べられる方はあまりいないのではないかと思っております。
それでもこの本文には、日本人と外国人の違いについてなど、今後の日本を読み解く上での重要な部分に触れていると感じましたので、こちらのブログをご覧の皆さまもぜひご一読ください。



黙って座ったまま 作家・星野智幸 (北海道新聞8月16日朝刊 各自核論より)



東日本大震災が起きたとき、首都圏に住む私の友人のアルゼンチン人は病院の診察室にいた。あまりの激しい揺れに、「先生、逃げていいですか?」と断り、待合室を抜けて建物の外に出た。驚いたのは、待合室にいた人たちが誰一人逃げるでもなく隠れるでもなく、じっと座って揺れに耐えていたことだったという。

大きな揺れの時に外へ飛び出すのがいいかどうかはともかく、友人は、身の危険に対しすぐに対応しようと動いた。「誰も何もしないことにびっくりした」と彼女は語っていた。

震災とはまた別の話だが、日本に留学していた韓国人の友人は、ある晩、帰宅を急いでバス停に向かったものの、終バスの時刻を過ぎてしまった。ところがバス停には何人かが座って待っている。バスが遅れているのだろうか、と彼も少し待ってみたが、来る気配はない。まわりの人に尋ねたが、わからないと言う。結局、彼がバス会社に連絡して、もうバスは終わっていることを確認した。

「普段は韓国の激しさが肌に合わず、日本の穏やかさやおとなしさのほうが物静かな自分には合っていると思っていたけれど、あのときは自分が韓国人だなぁって実感した。わからないのにただ座っているっていうことはありえない」と彼は語っていた。

先月の参院選、さらに昨年末の衆院選で、私が想起していたのはその光景だ。今も日一日と、私たちの生活に直結する重要な政策が決められていく。生活保護は基準が引き下げられ、消費税増税とセットになっていたはずの社会保障改革は骨抜きにされる。沖縄で米軍ヘリが墜落し、墜落現場に地元の自治体が入れもしないといった事態を目の前にしても、当事者以外は屈辱を感じることもない。

この社会は、自分たちが自分たちの意思で生きることを、諦めてしまったのだろうか。私にはそのように見えてしまう。雇用環境の激しい悪化や、震災、原発事故によるダメージを前に、その苦境を乗り越えよう闘おうという意思を放棄してしまったかのように映る。来ないバスを待って、ただ座っているかのように。まわりが座っているから自分もただ何となく座っているかのように。でもバスは来ないのだ。

私が絶望を感じるとしたら、この意思のなさについてである。例えば、各種の世論調査を見ると、憲法を改正するべきだと答えた人のうち、九条を変えるべきだとする人はまだ多くはない。では、憲法のどこを改正するべきだと考えているのだろうか。それとも具体的な意見はなく、何となく変えたほうがよさそうな雰囲気だからそう答えるのか。

正規軍化して徴兵制を敷いて近隣諸国の脅威を芽のうちに摘み取るべきだ、と考える人は、まだ少数派だろう。だから、その点だけについて多数決を採れば、今のところ現状が維持されると思う。けれど政府が、軍は国内外で戦えるように決めました、これはもう決定事項です、と一方的に宣言すれば、はっきりと異を唱える人は少数になり、マジョリティは黙るだけでうなずきも首を振りもしない。私にはそんな光景が浮かんでしまう。

国防関係だけではない。自由な言論の保証、基本的人権の保証、自己決定権など、より根本的な個人のあり方についてまで、黙ったままの人たちがマジョリティを占めている。現状の社会が続くようであれば、TPP(環太平洋連携協定)であれ何であれ、マジョリティの沈黙を利用して、権限を持つ者の思い描いたとおりに社会は作り替えられていくだろう。

私たちは今、黙って座ったまま、主権という強大な権力を放棄しつつある。本当にそれでよいのだろうか。

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