阿部卓馬ブログ

北海道新ひだか町サポート大使のシンガーソングライターです。ライブ告知、活動情報などを中心に更新しております。

日本人の諦念

2013年09月16日 | 思索
台風18号の影響が日本列島の広範囲に及び、こちら北海道でもめったに無いほどの豪雨に見舞われました。

少し水害のお手伝いをしたのですが、うっかりマンホールに落ちて全身ベシャベシャになってしまいました(--;)

それでも、京都などの被害よりはまだましだったようです。自然の猛威にはとにかく呆然とするのみで、あとは淡々と片付けることぐらいですね。

被災された方々にお見舞い申し上げます。



さて、ちょっと間が開いてしまいましたが、前回の記事「日本人の特性をたどる」に続けて書きたいと思います。

「逝きし世の面影」からの引用文中に、江戸時代の民衆の人々には独特な諦念がある、とありました。

今回はこの諦念について、私の個人的な見解を中心に考察してみたいと思います。



日本は島国であり、歴史の教科書で示されるように、弥生時代より基本的には定住型農耕民族として発展してきました。

定住するということは、そこにある自然とともに生きることであり、自然は人類に大きな恵みをもたらしますが、それと同時に地震や大雨などの天災ももたらすため、自然の状態とともにそこに生きる苦楽を味わうことでもあります。

そのような自然観の中で、万物に神が宿るという神道や、中国より伝来された仏教が受け入れられて神仏習合という形となり、日本の独特な宗教観が醸成されていくことになります。

そのような本来持つ宗教観を背景にしながら、江戸時代は、激しい戦国時代が終わり、下は一般市民から上は将軍徳川家康まで、「もう戦はコリゴリだ」ということで、すべての人々が平和な世を創り上げるという意思を持ってスタートした時代です。

徳川家康が後代の人々に残した言葉に、「戦だけは絶対にするな」ということがあったそうです。後代の将軍たちは最後の将軍徳川慶喜までこの言葉を重く受け止めて、国内外問わず争いを避けることにとても慎重に対応し、実際に大きな戦争を起こすことは一度もありませんでした。

「鎖国」という言葉は非常に閉鎖的な感じを受けますが、江戸時代初期には徳川幕府は様々な外国の国々と貿易を行ってきたそうで、しかし一部の国(特にスペイン)は貿易に際しても非常に好戦的で、安全な貿易ができないと判断した徳川幕府は、比較的安全な国々(オランダなど)に絞って長崎の出島で貿易を行うようにすることで、無用な争いを避ける政策を選び、それがいわゆる「鎖国」となったことは、現在の日本人の間ではあまり知られていないのではないでしょうか。

このようにして出来上がった江戸時代は260年にもおよび、現在の世界の歴史の中では単独の政権として最も長い平和な時代を築き上げたことは、あまり現在の日本人には知られていません。



では話を戻して、日本人の諦念について考えてみます。

前回の記事では、江戸時代の日本人は不運や不幸に対する独特の諦念や心構えがあった、と引用しました。

定住型農耕民族は、大雨や旱魃、地震、津波などの天災はどうしても避けられないものでした。

そのような自然災害に対する諦念というものは、江戸や現代の日本人に問わず、世界的にもそれぞれの諦念のあり方があると思います。

しかし、前回の記事で引用したとおり、江戸時代の人々には、人災の一つである火災についても、独特の諦念を示していたということです。

前回の「逝きし世の面影」より引用した部分でも、日本人の大火に際しても動じない様子は、当時日本を訪れた外国人にとっては奇妙であり、また救われるような気持ちを持ったという記録を残した人までいたようです。

天災だけでなく、火災などの人災に対して見せた江戸の人々の、ある種異様とも思える気楽さとは何だったのか?



そのひとつは、「焼け跡の立ち直りの早さは、火事慣れした江戸っ子の伝統だった」とあるように、江戸の人々にとっては火災は当たり前であったことが挙げられると思います。

それゆえ、住人も家が焼けたそばから新しい家屋が建てられていくことを知っていたがゆえの気楽さというものがあったのだと思います。

当時の外国人たちも、その光景は奇妙に感じられたと記述されておりますが、このような話を聞けば、現代の私たち日本人にも、当時の光景は奇妙にさえ感じることと思います。

なぜなら、現代の私たちは、もし近所で火事のようなことがあれば、野次馬になることはあれ、あの家は火災保険に入っているのだろうかとか、自分の家が燃えたらどうだったろうかとか、下世話な心配をするだけで、気楽な感じを受けることもないからです。

その感覚は、おそらく当時日本を訪れた外国人が感じた感覚と同じで、それゆえ江戸の人々の気楽な態度に驚かざるを得ない、ということかもしれません。



さて、「天災」は過去・現在・未来問わず存在するものとしておいておいて、「人災」というところから、江戸と現代を比較してみます。

江戸時代における人災とは…私が考える範囲では、やはり火災程度のものしか想像できませんでした。

馬から落馬する、などの交通事故?もあることはありますが、当時馬に乗っていたのは偉い役人ばかりで、民衆はもっぱら徒歩であったことを考えると、一般的ではないかもしれません(人通りの多い江戸の大通りでも荷押し車などの事故が起こりづらかったそうで、実はそこにも重要な理由がありますが、そのあたりはまたいつか引用します)。

たしかに天然痘などの疫病は頻繁に発生していたとのことですが、それは人災というよりは天災の部類に入ると考えれば、江戸時代における人災とは火災ぐらいだったと思われます。

では、現代における人災とは?

ちょっと考えてみてください…無数に思いつきすぎて数え上げるのも大変なくらいになりませんでしたか?

最近汚染水問題でも話題の福島第一原発事故や、工場排水や排気による海水汚染・大気汚染などによる公害、炭鉱やアスベストなど化学物質による労災や病害、車や列車・飛行機などの交通事故、肝炎ウィルスやエイズ、ワクチンなどの薬害問題、戦争はもちろん、エジプトのデモ弾圧などの政治的争い、火災ももちろんあるなど…これらは全部人災です。

これらの解決といえば、根本的な解決はほとんどなく、訴訟などによる金銭的な解決に留まり、それらでさえも数十年がかかるものなど大変な労力を伴うものばかりであるといえます。しかも、物理的・金銭的な解決はみても、被害者の精神や人生に深い傷を残すものも少なくはありません。

それでも私たちは何とか日々を過ごしており、自分が当事者とならない限りは、日々それぞれの多忙な中でそれらの問題に対して関心を持てない、あるいは持たない、という形で、「しかたない」というある種の諦念を抱いているようにもみえます。



私が思うに、現代の日本人は、江戸時代のご先祖様より、災害による不幸や不運に対する諦念という、素晴らしい道徳観を引き継いではおりますが、ここまでの記述をまとめると、どうやら人災までも天災と同じような諦念感を持ってしまっているような感じを受けます。

江戸の人々が火事という人災を前に暢気で気楽にいられたのは、建て替えれば済むということを江戸の住人すべてが共通認識として了解していたからで、それに基づいて大工たちが速やかに建て替えを行っていたのです。

私たちが現代の様々な人災に対して暢気で気楽にいられるためには、それらが解決される見通しを国民が共通して認識している必要がありますが、現代の私たちが感じているように、現代のそれぞれの人災に対してそのような解決されるという共通の認識は何もありませんし、政府から学者から経済人から私たち一般人まで、それらの根本的解決方法が何もわからない状態にあるとも言えると思います。

いたずらに不安を感じ過ぎてもいけませんが、これらの人災に対しても「しかたない」と諦めてしまっては、いづれ自分が当事者となるような人災に巻き込まれてしまうかもしれません。

というよりも、もはや巻き込まれている?かもしれません?

そのような例を、次回ワクチン問題について記述したいと思います。

9月14日 三石本桐 本桐神社祭演芸会

2013年09月15日 | 過去ライブ
先月の港まつりに続いて、地元のお祭りにお誘いいただき歌ってまいりました。

事前にイベントの詳細はあまり聞かされていなかったのですが、主催の橋本さんと出番前に少しお話をさせていただいたところ、とても心に染みるお話でしたので勝手ながらご紹介させていただきます。



この演芸会のイベントは今年で5年目ほどだそうで、地元の若手の人たちによってすべてボランティアで運営されているそうです。

さかのぼること20数年前、当時子供であった橋本さんは、地元の人たちで作ったお祭りが大の楽しみで、その日だけは子供たちは夜遅くまで外で友達と遊べる特別な日でした。

しかし、20年ほど前にそのお祭りのイベントがなくなってしまいました。

その後大人になり子供を持った橋本さんは、当時自分が大の楽しみであったお祭りのイベントが、今の子供たちには無いというのは可哀想だ、という想いで、子供たちが楽しめるイベントをつくろう、と5年前に始まったのがこの今回のイベントだそうです。

また、地元でも仕事以外での若者同士のつながりの場がなかったそうで、このイベントで世代を超えて若者たちが協力する空間が生まれ、最初乗り気でなかった人も、やっていくうちに楽しみながら取り組むようになったりで、なんとこの5年で参加者同士で2組のカップルが生まれ結婚までたどり着いたそうです。

過疎化の只中にある田舎町で、このように若者同士がつながり活性化に取り組む姿がとても素晴らしく感じました。

このような素晴らしいイベントに参加させていただいてありがとうございました。

微力ながら、少しでも協力できたことをうれしく思います。

大変かと思いますが、今後も素敵なイベントを続けていってください!



余談ですが、控え室まで用意していただきまして、そこで待つ間、隣で同じく出番を待つ地元小学生が、練習で合唱していたとても元気のいい「ふるさと」の歌声が、とても心に染み渡りました。

気持ちでつくる空間の心地よさを感じさせていただいた、とても良き日となりました。