「生長の家」の熱心な信者であった祖母には3人
の子がおりました(尚、私も母も無宗教です)。
女・女・男で、母は次女となります。余談ですが、
親族が言うのも何ですが、長女の伯母は本当に綺
麗な人でした(傾城と言うほど)。母ととても仲
良しでしたが、残念ながら、60早々にしてクモ
膜下で他界してしまいました(母の悲しみは如何
ばかりか、と)。
サテ、私の叔父ですが、戦前、三和銀行員(今は
三菱UFJ)のまま徴集され、当時、玉砕報道がた
くさん流されていた(ガダルカナル、ペリリュー、
マキン、タラワ・・・)南方の戦地に赴きました。
祖母にとってはたった一人の大事な総領息子です。
毎日、朝晩、神仏にひたすら、息子の無事な帰還
を祈念しておりました(この事は、子供の時に母
から良く聞かされていました)。その祈りが通じ
たのか、叔父は、戦後直ぐ、五体満足で無事復員
して来ました。
話はズ~ッと下って、私が大阪転居後のことです。
叔父が我が家に逗留した際、戦地での驚くべき体
験話をしてくれたのです。ある時、10人程でトラ
ックに乗って移動中、トラックごと谷底に転落し、
一人を除いて全員死亡。叔父だけが助かった!
しかも無傷で!!! と言うのです。
この時、私は、祖母の祈りは決して無駄ではなか
った、「至誠天に通ず」 とはこのことに相違な
いと確信したわけです。
こんな奇跡は(五体満足で直ぐ帰国したことも含
め。これが満州なら、ソ連に5~6年も抑留され、
更に苦しい重労働が待っていた)、偶然であるは
ずはなく、祖母の祈りが奇跡を呼んだ、と思うほ
うがヨッポど自然と思うからです。
ついでに申しますと、私の父は強健だったお陰か、
本土決戦要員として、戦地には行かず、日本に温
存されました。代わりに内地で徴用され、軍事工
場の「日本鋼管」で働きました。当時、日本「鋼
管」は命の「交換」と揶揄されたほど(笑)、厳
しい仕事だったそうです。
戦地に赴けば、否応なく人を殺すことになります。
私は、この世に生まれる際、どの人を父親に選ぶ
かにあたり、やはり、人を殺していない人が良い、
と言うワケで父を選定したものと思われます<死
後、ハッキリするでしょう(爆)>。
話かわって、私には秘かな自覚があります<記事
にした時点で秘かではありませんが(笑)>。
毎朝、水シャワーを浴びていますが、前々回、書
きましたように、これは現代版 「水垢離」 だと
確信しました。人類70億として、毎朝、水シャ
ワーを浴びている人は一体何人居るでしょう?
(そもそも、水ごりを取る民族は日本人以外に居
るのでしょうか?) しかも、『水ごり』 と自
認した時点で、単なる水シャワー(健康や趣味な
ど)を離れ、崇高な使命感(志)もが湧き上がっ
て来る気がするから不思議です(世のため人のた
め、のような)。
このように『志』 をもって水ごりする人は更に
絞られ(限られ)、つまりは今日、全人類中、使
命感を持って水ごりする人間は、ほとんどいない
ワケで(宗教家などプロを除いて)、正に「天の
恩寵を受けた人だけが出来る行為」 と思わざるを
得ないのです<ですので私は、天の配慮を受けて
いると(勝手に)思い込んでいるので、この世に余
り怖いモノは無いのです。命も惜しいとは思いま
せん>。
天の支援・了解・指導等がなければ、たとえ水ご
りしたいと思っても、風邪を引いたり、体を壊し
たりで、継続は困難かも知れません。この点、早
や3年に亘って、風邪一つ引くことなく元気に続
けられるのは、天の援助(恩寵)あってこそ、と
思っています。
近頃の寒い朝など、時に挫けそうになりますが、
この自覚のお陰で、何とかガンバッテいる次第
です^^;
次回は、『私の身に起こった数々の符牒(仮題)』
です。