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たずさんのブログ

福岡近郊の風景を中心に撮っています。最近は山登りの写真が多くなっています♪ since2004~

天神ソラリアの飾り山(D600,12-24mm)

2013-07-18 | 博多山笠
おはようございます。
相変わらず、暑い日々が続いております。
こんなに暑いと、昼間は外にでたくないですね
博多祇園山笠は、15日の追い山で終わってしまいましたが、飾り山を撮っていたのでご紹介します。
この天神ソラリアでは、夏のバーゲンで、若い女性が大挙して買い物に殺到しておりました。
おじさんは、この飾り山を撮っておりましたが、場違いな雰囲気がありました


-表 標 題-  黒田決戦石垣原
 九州における関ヶ原合戦ともいえる石垣原合戦黒田官兵衛孝高(如水)は家督を長政に譲り九州・豊前国中津城にて隠居していたが、上方で関ヶ原合戦が行われようとする報を受けるやただちに挙兵し、九州平定に動きだし、まずは小大名が多く配されている豊後を抑えて自領の背後を固めようと考えた。しかしそこへ朝鮮の役にて敵前逃亡したため秀吉の怒りを買い周防国(山口県)に改易されていた大友宗麟の子、豊後国の旧主大友吉統が旧領奪回に燃え、家の再興を賭して西軍として挙兵し、関ヶ原合戦の二日前に当たる慶長五(千六百)年九月十三日、豊後石垣原(現大分県別府市)において黒田官兵衛孝高は実相寺に、義統は立石に陣を敷き、ここに広がる「石垣原」にて七度に渡り戦ったと言われる。この合戦で、井上周防之房は、旧知の間柄であった敵の主将吉弘加兵衛統幸と槍を合わせ討ち取り、如水の勝利に貢献した。

-見送り標題-  呑取名槍日本号
 黒田長政の遣いで、豊臣秀吉の家来である福島正則のもとへ出た母里太兵衛友信に、正則は大盃になみなみと酒を注ぎ、太兵衛に勧めた。断る太兵衛に対して、飲めば望みの品をやると言ったため、見事その酒を飲み干し、正則が秀吉から頂いたという名槍日本号を貰い受けた。母里太兵衛友信の主君黒田長政は秀吉の没後、石田三成と対立するようになり、徳川家康に接近、千六百年に起きた関ヶ原合戦では、豊臣系大名の事前の説得工作や合戦での活躍により筑前国ほぼ一国を与えられ、福岡市東区の名島城に入った後、福崎という新たな城下町を築き、先祖発祥の地にちなんで福岡城と名付けた。名槍日本号は、その後慶長の役で太兵衛の窮地を救った、母里太兵衛友信と並び称される豪傑後藤又兵衛のもとに渡り、現在は福岡市博物館に収蔵されています。 ..






























飾り山については、博多山笠の公式hpをご覧下さい。

博多祇園山笠追い山。飾り山が豪快に走る(D600,24-85mm)

2013-07-15 | 博多山笠
こんにちは。
先ほど、博多祇園山笠のフィナーレの追い山を見てきました。
早朝、3時半に家をでて、4時に博多駅近くの駐車場をようやく見つけて祇園交差点の先で1時間前にスタンバイ。
30分前には、どこからともなく、たくさんの人たちがやってきて、沿道はぎゅうぎゅうづめの状態でした。
今回は、とりあえず、一番最後に走る上川端の飾り山をアップします。
重量感があって、豪快かつ勇壮に走るので迫力がありますね
ものすごい人手でしたが、なんとか足台を持っていってようやく撮れました


1 7番山笠が走りぬけたら、みんないっせいに移動したら、こんな状態でした


2 ゆっくりとやってきました


3 重量感があって、かつ、高さが高いので迫力があります


4 一段下からまた飾り物と旗がでてきて、さらに高くなります。


5 あっと言う間に行ってしまいました。付いていきたいですが、移動することもままならないです

博多駅、夜の飾り山(オリンパスペンE-PL3)

2013-07-14 | 博多山笠
こんにちは。
今度は、博多駅の飾り山をご紹介します。
ようやく、呉服町から中洲、川端、櫛田神社、キャナルシティと一回りしてきた感じです。
今日は、不安定な天気のようですが、雨が降るなら降るで、ささっと降って涼しくして欲しいところですね




-表標題-   女戦士 八重のさくら
 慶応四年(一八六八年)鳥羽・伏見の戦いを皮切りに戊辰戦争が勃発。やがて戦火は会津へと移りました。会津藩砲術家山本権八の娘八重は、鳥羽伏見の戦いで負傷し、江戸で死去した弟三郎の形見の装束を着て、肩には最新七連発のスペンサー銃を担いで、一つは主君のため、一つは弟のため、命の限り戦う決心で入城した。











-見送り標題- サザエさん
 テレビ西日本で毎週日曜日夕方六時三十分から放送中のアニメ「サザエさん」。長谷川町子先生原作の「サザエさん」は昭和二十一年四月二十二日から「夕刊フクニチ」で連載が開始されました。テレビアニメがスタートしたのは昭和四十四年十月五日、放送四十四年は日本で最も長く続くテレビアニメです。














サザエさんを見ていると、なんとなく癒されますね


キャナルシティ博多から飾り山3/3(オリンパスペンE-PL3)

2013-07-14 | 博多山笠
こんにちは。
キャナルシティ博多からのラストです。
夜の飾り山もなかなか見応えがあります。
飾り山、今日までですから、まだ見ていない方はお早めに









































夜のキャナルシティ博多からおおくりしました
次回は、博多駅の飾り山をおおくりしますので、またよろしくです

キャナルシティ博多から飾り山2/3(オリンパスペンE-PL3)

2013-07-14 | 博多山笠

おはようございます。
福岡、キャナルシティ博多の飾り山からおおくりしております。
ちょうど、飾り山を見ていたら、噴水のショーも始まり、ラッキーでした











4 孫悟空が雲の上を飛んでいるような感じですね





6 飾り山があるところまで降りていきます。


7 そばに来るとやっぱり大きいですね。

キャナルシティ博多から飾り山1/3(オリンパスペンE-PL3)

2013-07-14 | 博多山笠
おはようございます。
追い山も、いよいよ明日ですから、飾り山のご紹介も急いでアップしております
キャナルシティ博多の飾り山のご紹介です。


-表標題-    勧進帳
 歌舞伎十八番の一つ。兄頼朝と不知になり、山伏姿で奥州へ落ちる源義経一行が安宅の関守、富樫左衛門に見とがめられる。
弁慶は機転で偽りの勧進帳を読み上げ、さらに主君を打擲する。弁慶の苦衷を察した富樫は一行を通す。


-見送り標題-  西遊記
 主人公の孫悟空は、天界で大暴れした為に罰として大きな山の下敷きにされていました。お釈迦様の「三蔵法師のお伴をし
天竺へお経を取りに行くならば、罪を許す」というお言葉に、孫悟空は、猪八戒・沙悟浄らと三蔵法師を守りながら、多くの
苦労を乗越えついに天竺に辿りつきました。 ..





























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今回の写真は、見送り側からばかりで、西遊記の表標題は見えませんね。
次回、おおくりします。
今回は、西遊記は説明のみと言うことでごめんなさい

福岡、キャナルシティ博多から(オリンパスペンE-PL3)

2013-07-14 | 博多山笠
おはようございます。
いよいよ、明日は博多祇園山笠の追い山となります。
飾り山は、追い山が終わる頃には片付けられてしまいますので、まだ見てない方はお急ぎ下さいね。
今回からキャナルシティ博多の飾り山です。


上川端商店街からこの通路を渡ってキャナルシティへと移動します。
オリンパスペンのアートフィルター、ドラマティックです。
























櫛田神社界隈(オリンパスペンE-PL3)

2013-07-14 | 博多山笠
こんばんは。
今日から明後日にかけて、博多山笠の舁き手であふれる櫛田神社ですが、このときは、7月1日、ほとんど人は
いませんでした。
明日から明後日の晩は、一晩中、舁き山を担ぐ人と見物客であふれることとなります




櫛田神社界隈


櫛田神社








櫛田神社、常設の飾り山


櫛田神社裏手から出たところ。


同じく



博多祇園山笠、中洲と上川端から(オリンパスペンE-PL3)

2013-07-13 | 博多山笠
こんばんは。
暑い暑いと言ってもどうしようもないですが、やっぱり暑いですねェ
ちょっと陽に当たっているだけで、ボーッとしてきます。
博多山笠、今日は、集団山見せでした。
今日も、たくさんの人が来ていたんでしょうね。
集団山見せは、去年見たので、今年は、追い山に行くつもりです。



オリンパスペンのドラマティックにて5枚

中洲の宵の口から







上川端商店街から











-表標題-     軍師官兵衛
 織田信長が褒め称え豊臣秀吉が頼りにし、徳川家康が恐れた戦国最強の軍師黒田官兵衛。如水と号して水の如くしなやかに生きあくまで信義を貫き通したその姿に敵さえも信頼を抱いたという。秀吉は官兵衛に九州征伐を命じ根白坂の戦いで島津義久を撃退した。












-見送り標題-   正木宗七博多人形献
 黒田官兵衛、長政と共に播州から福岡城の鬼瓦の瓦師として博多入りした正木宗七は瓦町(博多)に住み瓦の粘土で人形を作って長政に献上したのが博多人形のはじめである。その後中の子家、白水家と共に博多人形の祖を築いた。聖福寺の仙崖和尚とは最も親好厚く宗七は陶製の仙崖和尚を作った。









博多祇園山笠、中洲流の飾り山から(オリンパスペンE-PL3)

2013-07-13 | 博多山笠
おはようございます。
朝から、うだるような暑さですね
今日は、暑い中、ソフトボールの応援で海の近くに行きます。
選手ではないですが、暑くて溜まらんでしょうね
熱中症にならないように、帽子を被って、しっかり水分補給をしないといけませんね。
さて、博多山笠は、今日は那珂川を渡って福岡に山がはいる「集団山見せ」が行われます。

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-集団山見せ-
 福岡市の要請で昭和37年から始まった。
当初は昭和通りで行なわれていたが、昭和58年からは明治通りの呉服町交差点~天神(福岡市役所)間
約1.3kmが「舞台」だ。
 この日に限り、知名士が台上がりを務め、棒さばき役の各流総務ともども舁き手を叱咤激励する。

去年の様子


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さて、暑いのでどうしようか、考え中です

今回は、中洲流のご紹介です。
今回も博多山笠公式ページよりの抜粋です

-表標題-  合戦石垣原
 黒田如水は軍師として秀吉に仕え、その功績により豊前豊後六郡を与えられ中津城を築城した。石垣原の合戦は一六〇〇年九月、元豊後の国主だった大友の義総が旧領回復を目指して戦う。(大友宗麟の息子)大友義総は、秀吉に不始末をとがめられ、所領を没収され、その後、毛利輝元に預けられ、蟄居の身であった。西軍の名目上の大将、輝元は義総に九州の東軍方の勢力を軌切り崩す様要請し、その見返りとして豊後の国の返還を約束した。義総は豊後に帰国し、大友の旧臣と糾合して、東軍方の如水の前に立ちはだかった。如水は義総に対し、東軍に味方するように説得を試みたが、出来なかったので大友勢との対決を覚悟した。石垣原は、大友義総が本陣をおいた「立石」と黒田如水の布陣した「実相寺山」との間に広がるなだらかな傾斜地で戦いを繰り広げた。開戦当初は大友勢は大いに善戦する。しかし勢力の差は明らかで、主要な武将が次々と討ち死にし、黒田勢の重臣は大友勢を滅ぼす事を如水に進言したが、如水は大友家に対し私怨はないし、敵陣に使者を出し義総はその使いの道を通して降伏を申し出た。
























-見送り標題- 関が原の合戦
 慶長五年(千六百年)九月徳川家康率いる東軍と石田三成を中心とする西軍によって美濃国関ヶ原で行われた「天下分け目の戦い」。慶長三年(一五九八年)豊臣秀吉が死ぬと石田三成は五大老・五奉行の制度を設けて 家康に対抗させようとした。益々対立が深まり、かねてより挙兵の機を伺っていた三成はこの機をとらえ軍を発した。東西両軍が関ヶ原にて激突。黒田長政の攻略と黒田軍の活躍により吉川・小早川の裏切り、島左近、石田三成を追い詰めた。九州博多の縁深い福島正則、加藤清正をも飾山に登場させ臨場感有る合戦の場面とした。


















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11 お祭りの当事者も写真をよく撮っています



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14 舁き山。今日も暑いですが、この舁き山が博多から福岡天神まで走ります。



15 中洲の夕暮れ、ドラマチックトーンにて2枚



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博多祇園山笠、博多リバレインの飾り山(オリンパスペンE-PL3)

2013-07-12 | 博多山笠
おはようございます。
暑いですねェ。
ほんとに。
どうしようもなく暑いですが、みなさん、体調崩さないようにがんばりましょう



博多山笠のhpより

-表標題- 知勇誉軍師
 智勇誉軍師黒田勘兵衛(黒田孝高/黒田如水)を題材にしました。
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。豊前国中津城主。孝高は諱で通称の「官兵衛」や出家後の「如水」の号で有名。豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。竹中重治(半兵衛)と双璧をなす秀吉の参謀であり、後世に「両兵衛」「二兵衛」と称された。キリシタン大名でもあった。長男は黒田長政(筑前福岡藩初代藩主)。



















-見送り標題- 祭博多之賑
「祭博多之賑」長谷川法世さん原作の「博多っこ純情」の登場人物で博多の3大祭である「博多どんたく」、博多祇園山笠、「放生会」を題材にしました。..










ここから4枚は、上川端商店街の様子です。


舁き山の駐車場みたいなところです。このときは、まだ舁き山はいませんでした。








博多祇園山笠、東流の見送り編(オリンパスペンE-PL3)

2013-07-09 | 博多山笠
こんばんは。
東流の見送り側(要するに裏側です)の飾り山をお届けします。


博多祇園山笠のhpより抜粋

見送り表題 -天孫降臨高天原-
 今年は、日本の神々の集うとされている伊勢神宮の式年遷宮のとしにあたり、飾り山笠では日本の神話の世界を描いています。天照大神の弟、素戔嗚尊の神をも恐れぬ愚業を重ねる姿に怒り、天照大神は、天の岩戸に身を隠します。光を失った世界に光を取り戻すため思兼神などが中心となり、天鈿女命が舞う舞台を用意しています。外での何やら楽しげな祭りごとに誘われて、その姿を岩戸より現したことで再び世界に光が差し込むという有名な場面です。現在世界規模で起こる様々な不安が日本神話のようにあまねく平和に光が当たるように願いを込めて制作しました。






































博多祇園山笠、東流の表表題編(オリンパスペンE-PL3)

2013-07-08 | 博多山笠
こんばんは。
梅雨が一気に明けたら、今度はめちゃ暑い日となりました。
空をみるとモコモコとした入道雲、汗が朝から、ポアポタと流れ落ちますね
まあしかし、これが日本の夏なんでしょうねェ
しかし、それにしても、ちょっと暑いと思いますが。
というところで、祇園から歩いて一番近い呉服町の東流の飾り山をご紹介します。

博多山笠のhpより

-表表題- 天下取戦陣之誉
 時は戦国時代の乱世の世、場面は山の合戦天正十年(一五八二年)を舞台に描いています。時の天下人織田信長が重臣であった明智光秀の諜反を受け、その生涯を本能寺において閉じてしまいます。主君の死去の知らせを受けた羽柴秀吉は、高松城水攻めの最中、毛利輝元と講話を果たした後、京都に急ぎ軍を返した中国大返しを実行し、主君の仇となった光秀を山において討ち果たす。飾り山笠では、本能寺から秀吉が天下人となるまでの流れを表現しています。博多の待ち割りで町の流名にもゆかりのある秀吉の勇姿を是非ご覧下さい。


1 夕方、左側から夕陽が照って撮り難かったです



2 夕陽がやっぱり強いです











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舁き山の弁財天様

 弁財天は、物神の一つである大黒天や毘沙門天と同様元々は、インドのヒンドウ教の神様です。弁財天信仰は、奈良時代に始まり唐からもたらされた金光明最勝王経には、仏教の御法神の一つとして説かれています。平安時代に本来の楽器を持った水の女神という姿が伝えられ、琵琶を弾く美貌と艶やかな姿の女神像が一般化したようです。この女神は、人の穢れを払い、富貫・名誉・福寿・愛嬌・縁結び、それに子孫を恵む神であると言われる一方、学問と技芸、雄弁と知恵の保護神であるとも言われています。

-天女降臨払暗雲-

12 弁財天さま。この弁財天さまは、東流の舁き山に登場するようです。女性はこの東流だけだそうですよ。
  建物の中に鎮座されてました。舁き山の出番を静かに待っているかのようです。



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博多祇園山笠、上川端の飾り山からp3(オリンパスペンE-PL3、9-18mm)

2013-07-07 | 博多山笠
おはようございます。
ようやく梅雨の終わりが見えてきました。
関東地方は、すでに梅雨明け、それとともに猛烈な暑さとなっていますね。
暑いのも嫌ですが、ジメジメした梅雨も、ごめんこうむりたいものです
というところで、上川端の飾り山のラストです。
広角のショットが多めです







































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博多祇園山笠、上川端の飾り山からp2(オリンパスペンE-PL3)

2013-07-07 | 博多山笠
こんばんは。
博多祇園山笠の上川端の飾り山の続きをおおくりしております。
いろんな人形師の方がいらっしゃって作風が違うのが面白いですね。
博多山笠のhpに人形師の名前も載っております。






































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九州風景写真