記憶鮮明、文章不明

福祉は権利。平和こそ最大の福祉。保育なめんな、子どもなめんな、保育士なめんなです。

死のロード? 愛車との別れ

2005-07-31 | 合研とその思い出
家族で合研に参加しよう。それも、自家用車で。で、その足で高知まで帰省しよう。そんな計画をたてたのは、長野合研のときでした。

山之内を飛び出し、各地を回っていた合研が、冬季五輪の翌年長野に里帰りしました。
湯田中温泉ではなく、長野のオリンピック施設を使用できるようになったのが大きかったようです。会社の保養所を予約し、親は合研の学習会へ、子どもは臨時学童保育所へ、と期待に胸膨らませ・・・・。

しかし、天は我が家に試練を与えたのです。


首都高を抜け、順調に中央道を走っていた愛車(アトレー)が、石和の手前でなんとオーバーヒート。排気口からモクモク煙が出て、エンコ。動けなくなってしまいました。不幸中の幸いはなんとか、パーキングエリアへたどり着けたこと。炎天下、JAF(JFKじゃないよ)の救援を待ちました。うえ、したは無邪気に遊んでおりました。

修理したら走れるよねって楽観的だったおっと&おりがみでしたが・・・。

颯爽と救援のお兄ちゃんがきてくれて言うことには
「ぼく、この仕事長いことやってますけど、こんな立派なオーバーヒート初めてです」

それって、再起不能ですか??

「はい、もう、走れません。この近くに僕の知ってる工場ありますから、そこまで引っ張っていきますね。高速の上で事故らなくてよかったですよ」




そりゃ酷使しましたよ。うえちゃんが生まれて一歳になる前、やっとこさ免許取ったおりがみです。そのころからの付き合いですから。仕事に、買い物に、保育園の送り迎えとフル回転。アトレー君、ナンバーがめでたい「8888」ですよ。よりによって8月8日に使命を終えるとは・・・・。ぼろ車でしたが、まさかこの旅が最後になるとは・・・。

おっととうえむすめがアトレーに乗り、おりがみとしたが救援車に乗せていただいて、高速道路を一走り。目立ったの何の。
石和の修理工場につくとお休みだったご主人が、「たいへんでしたねー」と駆けつけてくださって、レンタカー屋さんに連絡をしてくださいました。
「いい、ナンバーだったんですね。末広がりが4つも」

うん、うん、きっとそうだ。4つの8のおかげで高速道路上での事故にならずに走りぬいてくれたんだね。なんだか涙が出てきました。アトレー君はここで解体されるんだと思うと・・・。


ナンバープレートをはずしてもらう前に家族と別れの写真。そしてレンタカーに乗り換えて一路長野を目指しました。

「おれ、疲れたわ。運転頼む」とおっと。「ちょっとまって、これ、カローラだよねー(汗)」とわたし。高速道路をオートマの普通車で走る!!全て初体験でした。
エンジンを焼き尽くして走ってくれたアトレーを思えば、「なにくそ」と運転出来ましたよ。

予定なら昼過ぎに着くはずだった長野についたときは、既に一日めの日程が終わった6時を回っていました。

ハッピーロードになるはずだった長野への道は波乱の死のロードとなったわけで・・・・。(以下続く)








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