記憶鮮明、文章不明

福祉は権利。平和こそ最大の福祉。保育なめんな、子どもなめんな、保育士なめんなです。

野球盤の思い出

2004-11-17 | 野球のこと
ある雨の降る日
父と私ははげちょろけた絨毯に紙切れで作ったベースをセロテープでくっつけて並べた。
オモチャのトランシーバーの折れたアンテナをバットにして
ビー玉をはじいて「野球ごっこ」して遊んでいた。

父がビー玉をはじく、私がバットではじく
転がるビー玉
そのうち
新聞の活字を組む鉛の板が「野手」として登場。
内野に四枚、外野に三枚。置き方も凝らして。

「野手」にビー玉が当たればアウト

たわいないあそびだった。

ところがそれから何日かして、我が家に巨大な野球盤が現れた。
1メートル四方のベニヤ板と細い角材(フェンス)、外野は緑色ウール生地が張ってある。内野は土色のデニム生地。外野手の守備範囲を表すため丸くウールを切り抜いてあり、そのエリアに入ったボールはフライ、即ちアウトということになる。
マウンドはなだらかな傾斜がついていた。ご丁寧にビー玉をはじくガイドがついている。
バッターボックスはスイッチができ、しかもゴムの反発力を利用して指一本でボールをはじける仕掛けになっていた。バットは菜ばしを7、8センチに切り、なめらかに削って作ってあった。
鉛の板の上には紙で作った選手が捕球や送球のポーズを取り、両面を透明フィルムで補強してある。
ランナー用の人形まである。
むすめが寝静まった真夜中にこつこつと父はこんなものをこしらえていたのだ。

雨の降る日は野球盤でよく遊んだ。

当時エポック社の野球盤が売られていたが
ひいきめでなく、私は父の作った野球盤の方が凄いと思った。
ただ、あまりの大きさに、遊ぶときは部屋をちゃんと片付けないと置けないという欠点もあった。
普段は箪笥と壁の隙間に立ててしまっていた。


後に洋裁をやっていたおば(父の姉)から聞いたのだが、
「いらなくなった緑色の生地はないか」と訪ねていったそうだ。
「何を作るのか」ときいたら
「おりがみがよろこぶもの」といったそうだ。
「てっきりお人形の洋服でも作るのかとかと思ったわよ」とおばはわらっていた。

もう跡形も無い野球盤。





2005・11・4追記

現存しておりませんが、わたしの野球の原点がこれなんだなあと思うので、「宝物」とさせていただきたいと思います。

現存するものでは、「セッキーの直筆サインいり、週べのカード」「豊田さんのサインボール」でしょうか・・。


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4 コメント

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すてきなおとうさまですね (サンタパパ)
2004-11-18 00:41:48
バフン紙(って、今は言わないか?(^^;)で貼り合わせて作った小さな野球盤で弟と遊んだことはあります。球は銀球鉄砲の玉。

今でも無ければ作ればいいって発想があるのは、子供の頃の影響が多いです。

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うれし、はずかしです (おりがみ)
2004-11-18 09:41:12
父への言葉、ありがとうございます。





無ければ作れば!!素敵な言葉です。



そうなのです。

おりがみの保育の発想はまさにそれです。



おこたちを喜ばせようとこっそり作っているうちに

自分が一番幸せになっています。



お誕生日会や節分、ひな祭りや劇ごっこで思いっきりはじけるのが大好き。



野球好き以外にも父は「こういう性質」をおりがみに残してくれていたのかと今更のように気がつきました。

反発しまくっていたむすめ時代。

もっと優しくしてあげればよかった。

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手作り (ハムぞー)
2005-11-05 13:04:38
たしか父親が竹馬を作ってくれた覚えがあります。

さすがに昔でもスチール製のが売っていましたので、竹製は目立ちましたねえ。

でも手作りは愛着がわいて、いいもんですね。



さて、野球盤は御馴染みエ○ック社製を買ってもらいました。

長嶋文化功労者が箱に印刷されてましたが、阪神びいきの所長の手にかかり、マジックで落書きの餌食になってしまいました。
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野球盤大好きそして・・・ (おりがみ)
2005-11-06 00:37:48
当時はジャイちゃん全盛期。父の作る人形ときたらタテジマです。当然この野球盤は「甲子園」。わたしがトラちゃんを好きにならないわけがない。グレーのジャイちゃん人形も作ってもらって、梅雨時は毎日一人で「伝統の一戦」をやってました。
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