記憶鮮明、文章不明

福祉は権利。平和こそ最大の福祉。保育なめんな、子どもなめんな、保育士なめんなです。

第55回日本母親大会 全体会レポート〔7月25日〕

2009-08-01 | Weblog
全国から集まるおばさんの波。
近畿圏はアリーナ席へじかに座る。
外は大雨なのでまるで避難所のようにも見える。

ステージを二階席からのぞむと

こんな感じ。

開会です。

歓迎の合唱は「京都のうたごえ」指揮はおお・・・山本チューやんではないか・・。



今年の「日本のうたごえ祭典」は京都でおこなわれるんだっけ・・。

守っていきたい 伝えていきたい京都のまーちーをー♪




現地歓迎挨拶。



記念講演は
有馬 底さん


臨済宗相國寺官長・金閣寺&銀閣寺の住職でもアル。

「国宝を二つ持ってるのは多分私くらいです」
「しかし、相國寺がどこにあるか・・皆さんわかりませんよね?」
「あはははは末寺金閣・銀閣のほうが有名です」


お坊さんジャン!というなかれ。

社会福祉や京都の景観問題にも取り組む。
「憲法9条京都の会」の呼びかけ人のお一人でもあります。

有馬さんのお話は「戦争反対」で貫かれている。

「今、仕事も無く生きがいのない若者が
『特攻隊があれば志願する』などと言っています。
間違ったことを教える大人達がおるんですわぁ・・・」

「死んだらもうおしまいやということがわからんのです」

「核兵器・・あんなもん、ちーともいらんのと違いますか?」



やわらかいもののいいかたですが
ちゃんといけないことはいけないと発言されてます。


仏の道が平和に通じると信じ
核兵器の廃絶や
カンボジアの学校づくりなども取り組まれてきました。

有馬さんのお母様についても触れられました。

「うちの父と母は男と女の結婚じゃなかった。
家と家の結婚でした。
父親は家にめったに帰ってきませんでした。
私は3人兄弟ですが、みんな3つ違い。
だから、オヤジは3年ごとに帰ってきては・・・というわけです・・。」

「ある日、私は母に連れられて転校の挨拶に行きました。
もういよいよ両親が別れるコトになってましたんですな。
担任の先生が『がんばれよ』と励ましてくれました。
ふと見ると深々とお辞儀をした母の足元の床にポトポトと涙が落ちているんですね。
見てはいけないものを見たような気がしました。・・・だから僕は今でも一人なんです。母以上のお方にまだめぐり合えない・・・」


お母様の愛情を受けて育った有馬さん。
さらりと話されていましたが
情の濃いかただなぁと思いました。
母親を恋うお気持ちがジーンと伝わりました。


仏様と平和と言うパートナーを見つけなさったということでしょうかしら・・。


「いのちの輝き それは平和であればこそ」演題どおりの熱いお話でした。




さてさて休憩時間。

どこもかしこもオバチャンであふれかえっていましたが


コッソリ買ったお昼ご飯。


鳥獣戯画のバック高くて手が出なかった・・・

九条の文字が嬉しいTシャツ。



友禅のお店ではこんなポップがあったけど・・
ご主人よりもやっぱ自分でしょう??なんて・・あはは


むすめたちには友禅の端切れで作ったがま口を買いました。

さらに会場を散歩して高知の母親連絡会のお席へ行ってみました。
知ってる方がいるかなぁ・・・?


残念ながら知り合いはいませんでしたが
安芸(タイガースのキャンプ地ですよ)の退職教員のオバチャンとちょこっとお話できました。



沖縄代表のタペストリー。





ステージ正面の二階席は九州と東北の人がいました。
最上段から全体会の会場を見下ろします。
すごい人人人...

休憩終了

第二部は

京都市交響楽団 有志による金管五重奏で幕開け。

サウンドオブミュージックからエーデルワイスとドレミの歌
いつも何度でも
ある日の草競馬

良い選曲です。
アンコールは「さんぽ」でした。
会場も一緒に歌ってもりあがりました。


自治体直営交響楽団があるのは日本で京都市だけ。

さすが、歴史と文化と・・・・革新の京都・・。


続いて各地の母親連絡会の活動報告
構成劇風に。

テーマは

くらしといのち、環境・農業を守り、憲法が息づく毎日を
子どもたちに笑顔と希望を
女性の地位向上・核兵器も基地もない平和な世界を

固い??
いえいえいえ


わたしたちの母親達の世代が
がんばってくれたからこその
今の日本です。
戦前は
参政権さえ与えられず家に縛られ
子産みの道具とされ
生まれた子を
「お国のため」と差し出して
死んだ我が子は骨さえ帰ってこなかった

そんな母親達の慟哭が「もう戦争はイヤだ」となって

今の笑顔につながっているとおりがみは思っています。

現在も

仕事がない

医療にかかれない

介護が辛い

保育所が大変だ

子育てが辛い


いろいろ、いろいろ苦しみはつきません。


だからこそ結び合う手が必要なんだとおりがみはおもう。


だからこそ歴史を学んだり話し合ったりすることが大事だとおりがみはおもう。




教育の問題
新しい歴史教科書についての発言
戦争賛美の教科書を子どもに使わせてよいのでしょうか?


農業のおかーちゃん達
米価の切り下げを止めてと訴える
環境を守ってとも




高校生が公立高校の定員を増やしてと訴える
教育に競争を持ち込み
コストを追求する
そのおろかさ、むごさ

発言する人は一人では無い。
後ろにたくさんの支える仲間がいる。

神奈川からは男性が発言した。


彼が壇上に進み出ると最初は「え?何で男の人?」
と言う会場の空気だったが・・・
彼の第一声は
「私は・・妻を米兵に殺されました」だった。

ピーンと会場の空気が変わった。

彼は去年うえむすめが出ていた憲法劇でも訴えをされた方だ。

彼、山崎正則さんは
愛する人を米兵の暴行によって失った。通勤途上の早朝の横須賀。
朝まで酒を飲んでいた米兵が
金欲しさに出勤のため駅に急いでいた女性を路地に連れ込み熾烈な暴行を加えた。
防犯カメラにはその犯行が映りやがて米兵が捕まるのだが・・

それ以前になんと山崎氏が疑われ警察に足止めされていたとは・・初めて知る事実。容疑者扱いされたのか・・。なんて言うこと・・。

会場は息を殺して彼の発言を聞き

引き続きの裁判の支援をお願いします!の結びの言葉に大きな拍手が沸きあがった。

記憶に新しい横須賀で起きた米兵の犯罪。

詳しくは米兵による女性強盗殺人犯罪を糾弾し山崎さんの裁判を支援する会


彼の戦いは
長く辛い道だとおもう。
でも、戦わないわけにはいかないのだろうなぁ。
戦争は・・身近なところにある・・。
沖縄についで米軍基地の多い神奈川県にすむことを実感します。
他人事とは思えません。







壇上には次々に発言者が登場し
拍手、涙、笑を誘う。

一人ぼっちは弱いけれど
集まったらすごいパワーだ。

アメリカからは
退役した女性軍人の人が参加した。
二日目の国際シンポジウムのために来日した
元米国陸軍大佐アン・ライトさんだ。

30年ペンタゴンでご飯食べてた人が
「アメリカのやってることはいけない!」と辞表を出して平和活動を始めた。

おお・・自由の国。







大会のスローガンは55年経っても変わらず。

「生命(いのち)を生みだす母親は 生命を育て守ることをのぞみます」


大会決議とアピールを採択して全体会は終了。
二日目は分科会だ。
体育館の人ごみを縫って外へ出てみれば雨の上がった夕方の円町界隈。
タクシーを捕まえて次の会場へ向かう。


「運転手さん、立命館大学へお願いします」

この続きは
「月光の夏」のココロだー♪


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