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「定年後にやっていること」です

東京国立近代美術館常設展を観る

2024年09月10日 | 美術館・博物館

竹橋にある国立近代美術館の常設展を観ようと思って行ってみた、入場料を払おうと500円を用意すると、チケット売場の窓口に「65歳以上無料」と出ていた、美術館に入ったところにある館内検札の係りの人に運転免許証を出して無料で入場したが、ホントこんな老人優遇はやめるべきだ、そんな金があったら現役世代の減税に回せと言いたい

常設展のある美術館は好きだ、一番よく行くのは国立西洋美術館だが、ここ国立近代美術館も常設展があったのを忘れていた、企画展に来るときに一緒に常設展も観るが、とても観きれない、時間があるときにゆっくり、何度でも観るべきだろう

常設展を説明するwebページには、「1952年の開館以来の活動を通じて収集してきた13,000点超の所蔵作品から、会期ごとに約200点を展示する国内最大級のコレクション展」と宣伝している

今期のみどころは、「4階5室では「シュルレアリスム100年」と題し、20世紀芸術における最重要動向の一つであるシュルレアリスムをご紹介しつつ、マックス・エルンストの新収蔵作品を初公開します。3階8室では、1950年代に脚光を浴びた芥川紗織の生誕100周年企画をご覧いただけます。2階ギャラリー4の「フェミニズムと映像表現」では、1970年前後を起点に、ヴィデオなどを用いた映像表現の重要な担い手となった女性アーティストをご紹介します」とある

順路は4階から始まって、3階、2階と降りてくるルートだが、とても全部は観れない、何回も来るべきと言ったのは、そのためもある、では観た順に、それぞれの部屋で良かったと感じた絵の一部を紹介したい

4階(1-5室 1880s-1940s 明治の中ごろから昭和のはじめまで)

1室 モデルたちの生誕・没後数十年


オスカー・ココシュカ、アルマ・マーラーの肖像、1912年

アルマはグスタフ・マーラーの妻、グスタフの没後、7歳年下の画家ココシュカと恋愛関係になるが、そのあとバウハウスの創設者になる建築家ヴァルター・グロビウスと再婚、ココシュカはショックを受ける、美しいとも怖ろしいとも見えるこのアルマの姿


ピエール・ボナール、プロヴァンス風景、1932年

9月20日から仏映画「画家ボナール ピエールとマルト」が公開されるそうだ、そんなこともあってボナールの絵をよく観ておこうと思った

2室 明治時代の美術


青木繁、運命、1904年

最近読んだ森村泰昌氏の「生き延びるために芸術は必要か」の中で、「海の幸」で画壇に大きな衝撃を与え、短時間で走り抜け、29歳で亡くなった青木を、年齢も故郷など似たものどうしの坂本繁二郎と対比して紹介していたので興味を持った(その時のブログはこちら)

3室 開発される土地


坂本繁二郎、三月頃の牧場、1915年

森村泰昌氏の本では坂本繫二郎の「牛(うすれ日)」を紹介していたが、この絵も同じ牛を描いたもので、本で紹介された「牛」とよく似ている描き方だと思った


木村荘八、新宿駅、1935年

4室 夢想と自由と―谷中安規の世界


谷中安規、夢の国の駅、1935年

彼の版画はどの作品も独特の雰囲気を持っている、素晴らしいと思った、光と影のコントラストのなかで、夢とも現実ともつかない幻想的な世界が広がる谷中作品、と紹介されていた

5室 シュルレアリスム100年


福沢一郎、四月馬鹿、1930年

3階(6-8室 1940s-1960s 昭和のはじめから中ごろまで、

6室 「相手」がいる


藤田嗣治、ソロモン海域に於ける米兵の末路、1943年

私は戦時中に戦意高揚のための絵を描いた藤田を責めない、国家の危機にあっては国家に貢献したいと考えるのは当たり前だからだ

また、美術館の説明の中には、「日本軍の残虐行為や迫害、捕虜に対する非人道的な扱いは、のちに東京裁判やBC級戦犯裁判などで戦争犯罪として裁かれました」とあるが、関心しない、戦時中の残虐行為はすべての戦争当事国であった、原爆投下や東京大空襲は明白な戦争犯罪である

8室 生誕100年 芥川(間所)紗織


芥川(間所)紗織、女(Ⅰ)、1955年


桂ゆき、ゴンベとカラス、1966年


川原温、孕んだ女、1954年

川原氏については後出参照

10室 アール・デコの精華/歴史の描き方


安田靫彦、保食神(うけもちのかみ)、1944年

2階(11–12室 1970s-2010s 昭和の終わりから今日まで)

11室 Lines and Grid


河原温、JUL 15 1970 Todayシリーズ、1970

昨年旅行したミュンヘンのモダン・ピナコーク美術館で観た唯一の日本人展示作品が河原温氏の同じような作品であった(こちら参照)、それが今回の常設展で、この作品だけでなく、他にも多く展示されていたのを見つけてうれしくなった(上の8室参照)、この日付だけの作品は奇異な感じを受けるが、「TODAY」という作品で1966年1月4日から始められた、その日の0時から書き始めその日のうちに完成させる、その日に河原が生きていたことを表す、その真正さは作品を表す箱の中に当日の新聞などが入れられていることで証明される

美術館で鑑賞しているとなぜか1時間くらいで非常に疲れてくる、集中して観れるのは1時間半くらいだ、この日は1時間15分くらいいて限界に達した、しかし、勉強になった、また来たい


虎屋茶寮赤坂店に行く

2024年09月09日 | カフェ・喫茶店

一度機会があれば立ち寄りたいと思っていた虎屋茶寮赤坂店に行ってきた、ホームページから混雑状況がわかり、それほど混んでいないと知り、寄ってみた、最近、銀座店もできて、一度行ったらすごく混んでいたので諦めて帰った

赤坂見附の駅から徒歩15分弱、赤坂警察の前の交差点角に虎屋茶寮赤坂店はある、中にお菓子の製造場所もあるようだ

3階建ての建物で、外観からしてユニーク、1階の入口から入ると直ぐに係りの人から声を掛けられ、「喫茶です」と伝えると「3階です」と言われ、その場にあった受付画面で受付番号を印字した紙を出してもらい、エレベーターで3階に向かう、待ち時間45分と出た

3階はすべて喫茶室であり、ウェイティングスペースに案内される、このスペースも広々して上品な感じで、椅子がいっぱい置いてあった、数名の人が待っていたが、備え付けられている和菓子の本などを読んで待っていると10分くらいで呼ばれて、喫茶室に案内された

室内は全体的に木目調の調度品で和風の雰囲気を存分に出している、喫茶室から見える外の景色はちょうど赤坂御所であり、その木々の緑が目にまぶしい、室内の木目調の内装と窓の外に見える木々の緑とが実にしっくりとマッチしている

メニューを見て、「千里の風」という赤坂店だけの羊羹と「抹茶グラッセ(冷たい抹茶)」を注文した、1,650円。ウェイティングルームで待たされたのだが、喫茶室の中は空席になっている座席もあり、広々としているため、ゆっくりと休める雰囲気があった、来ている客は女性とシニア夫婦などであった、赤坂見附の駅からは少し離れているので、ここでランチをとる勤め人も少ない感じであった

しばし待って、羊羹と抹茶のセットが出てきた、暑い日なので冷たい抹茶がおいしい、羊羹の味は、他の羊羹との違いをそれほど感じなかったが、おいしかった、竹製の菓子楊枝はずいぶんと太目のものがついていたが、いかんせん羊羹が堅いので、あまり強く押して羊羹を切ろうとすると楊枝が折れそうになり、どうやって切ったら良いのかわからなかった

おいしく頂きました、いい雰囲気でした、そのあとで2階の店舗に立ち寄り、店を後にした


南青山BLUE BRICK LOUNGEで昼食

2024年09月08日 | グルメ

ヨックモックミュージアムで鑑賞した後、表参道駅に行く途中にあるヨックモック青山本店併設のレストランBLUE BRICK LOUNGEで昼食をとることにした、ブルーはヨックモックの企業カラーであろうか、この青山本店の外壁は青色のレンガであり、まさに店名と一致してる

ランチメニューがあり、2,000円程度のそれほど高くない値段で食べられるようなので、ここで食べようと思った

混んでいるかなと思ったが、11時30分頃に店に入ってみるとすぐに座れた、テラス席もあるようだが、案内されたのは室内の二人掛けのテーブル席であった、店内はそれほど混んではいなかったが、予約済みのプレートが置いてあるテーブルも少しあった

テーブル席に座り、ランチメニューの中からラザニアを選び、飲み物はアイスティーにした。

店に入ってから、続々と他の客が入ってきた、見ているとほとんど女性客だ、男性のオジサンは私一人である、どうもこういう店を選ぶ傾向があるようだが、これは何かの機会に嫁さんを連れてくるところを探しておくという意味もある

しばし待って、ランチプレートが出てきた、結構大きめのプレートに乗っかってラザニア、サラダ、パンなどが盛り付けてあった、さっそく食べてみると、おいしかった、量ははやり男性にとっては少な目で、特に若い男性には物足りないだろうが、主な客は女性なのでこのくらいがちょうど良いのだろう、活動量が落ちるシニア男性も実は若い女性が食べる量くらいが適量ではないか

ゆっくり食事を楽しめました、店内は広く、スタッフが多すぎるほどいて、サービスも良かった、これで採算とれるのかな、と心配になるが、十分楽しめました、料金は2,200円だった

さて、このレストランの隣はヨックモックの青山本店なので、食後にそちらをのぞき、秋の新作の詰め合わせを購入した、2,000円

店を出て、表参道駅に向かうすぐ隣は、PRADAの特徴あるビルであった、表参道付近にあるビルの中でも一番センスが良いなといつも感じているビルだ、設計は北京オリンピックのメインスタジアム「鳥の巣」を設計したスイスの建築家ユニット、ヘルツォーク&ド・ムーロンだそうだ

ご馳走様でした


ヨックモックミュージアムに行く

2024年09月07日 | 美術館・博物館

東京南青山にあるヨックモックミュージアムに行ってきた、2度目の訪問、久しぶりである

ここは、ピカソの豊かで自由な発想が投影されたセラミック作品をコレクションに持つ美術館であり、現在、美術館のコレクションをさまざまな視点から紹介する展覧会の第4弾「ピカソ いのちの讃歌」展を開催中である(10月14日まで)

ピカソは好きな画家だが、彼の女性遍歴は好きになれない

表参道の駅を降りて、徒歩15分くらいであろうか、表通りの喧騒を離れ、閑静な住宅街の一角にこの美術館がある、外観も白を基調にした上品なたたずまいで周囲の高級住宅街に溶け込んでいる

展示室は地下1階と地上3階にあり、順路は地下から、地下の展示室はもちろん窓はなく、照明も暗くしている、一方、3階の展示室は外光を存分に取り入れ、対照的である、その意図するところはわからないが、面白いと思った

今回の展示は、「ピカソと闘牛」「ラ・パロマ —鳩への思い—」「フクロウ ―豊かな瞳―」「手のひらのいのち —海の生き物、虫、鳥—」「いのちを超えて、牧神パンとジャクリーヌ」と題した全5章で構成されていた、それぞれの章では、そのタイトルに掲げられている鳩などをセラミックに描きこんだ作品や、その対象物を陶芸で作り上げた作品が展示されていた

そして、3階の奥の部屋には、常設展示50作品と題した陶器の皿が50個、壁一面に飾られていて圧巻であった

陶器作品の皿も含めて、ピカソの絵画や陶器に描かれた人物、動物などは、デフォルメされて歪んだ表情や泣いているものなどがあるが、そのような作品より、上の写真のように穏やかな表情を見せている作品の方が好きだ

それぞれの章の狙いと、私が観て良いなと思った作品の一部を紹介したい

第1章 ピカソと闘牛

ピカソは闘牛が好きだった、主役であるマタドール(闘牛士)ではなく、馬に乗り槍で牛を興奮させながら闘争心を高め、同時に力をそいでいく重要な役目を持つピカドールへ憧れていた


観客がいる闘牛(1950年)


闘牛の太陽(1953年)

第2章 ラ・パロマ —鳩への思い—

ピカソにとって鳩は父親が鳩を描く画家としても知られていたこともあり親しいものがあった、1949年の「パリ平和会議」で彼の「鳩」のリトグラフが採用され、その2か月後にフランソワーズ・ジローとの間に女児が誕生しパロマ(鳩)と名付けた


鳥型の水差し(1953年)


屋根裏の鳩(1949年)、名曲喫茶バロックの鳩の絵を思い出す、あの絵もピカソだろうか


青い鳩(1953年)

第3章 フクロウ —豊かな瞳—

1946年にグリマルディ城で傷ついたフクロウを保護したことを契機とし、以降のピカソの作品にはしばしばフクロウが登場するようになる


森梟(1968年)

第4章 手のひらのいのち —海の生き物、虫、鳥—

南仏ヴァローリスでの暮らしで頻繁に食卓に上ったはずの魚やウニがこの土地で描かれた。鳥、バッタ、虫などの小さな命と、それらとともにある日常を愛し、器に描いた


ウニ(1963年)

第5章 いのちを超えて、牧神パンとジャクリーヌ

ピカソが1946年に描いた≪生きる喜び≫ はフランソワーズ・ジローが身籠ったときの作品。彼女の左右の笛を吹く牧神とケンタウロスが祝福してる。しばらくして彼はセラミック制作に没頭し、その工房にジャクリーヌがやって来る。彼女が工房に来た翌月、フランソワーズ・ジローは子供たちを連れて出て行った


こどもの牧神パン(1963年)


お菓子(1937年)、お菓子メーカーゆえのコレクションのこだわりか?

ピカソは多くの陶芸作品を残したが、これには2種類あって、ピカソ自ら製作したオリジナル作品と、ピカソ監修のもとでマドゥーラ陶房で制作したエディション作品だ、確かにこういうことをしないと多数制作はできないでしょう

さて、この美術館はお菓子のヨックモックのグループ会社である、ただ、法律的にはヨックモックから切り離され、一般社団法人となっている

最近、昨年訪問した川村記念美術館(その時のブログはこちら)の運営主体のDICが美術館の「規模縮小と移転」を軸とする対応策を発表し、運営中止の可能性もあり得るというニュースがあった(こちら参照)、企業直営の美術館が価値創造に貢献していないので投資家から圧力をかけられたのも一因という。

その点、ヨックモックミュージアムは既に本体とは切り離しているし、上場会社でもないので関係ないが、その辺のところを十分に考えているという点で立派であろう。ちなみに、私が良く行くアーティゾン美術館(旧ブリジストン美術館)は土地と自社株を寄贈したうえで財団法人形態で運営されているようだ

楽しめました


映画「めまい」を観た

2024年09月06日 | 映画

映画「めまい」をアマゾンプライムで観た、無料、1958年、128分、アメリカ、監督ヒッチコック、原題:Vertigo(めまい)

ずいぶん古い映画だけどカラー映像、ヒッチコックの名作らしいので観ようと思った、ヒッチコックの作品はいくつか見ているが結構良い映画だと思っている。

刑事ジョン・スコティ・ファーガソン(ジェームズ・スチュワート)は、逃走する犯人を追撃中に屋根から落ちそうになる。そんな自分を助けようとした同僚が誤って転落死してしまったことにショックを受け、高いところに立つとめまいに襲われる高所恐怖症になってしまう。そのことが原因で警察を辞めたジョンの前にある日、旧友のエルスター(トム・ヘルモア)が現れる。エルスターは自分の妻マデリン(キム・ノバク)の素行を調査してほしいと依頼。マデリンは曾祖母の亡霊にとり憑かれ、不審な行動を繰り返しているという。ジョンはマデリンの尾行を開始するが、そんな彼の見ている前でマデリンは・・・

ミステリーであり、ラブロマンスでもある

映画を鑑賞した感想を書いてみたい(ネタバレあり)

  • 刑事ジョン・スコティ役のジェームズ・スチュアートは同じヒッチコック監督の「裏窓」(1955年)にも出演していたのを観て、いい俳優だと思った、1908年生まれだからこの本映画出演時は46才くらいである、今から60年以上前の46才は結構年寄りだったろうが、若々しさがあって良かった、アメリカのいろんな映画に出演した当時の大スターだったのでしょう、わかるような気がした
  • また、彼は、私の好きな同じような時期に上演された映画「マイ・フェア・レディー」(1964年)にヒギンズ教授役で出演していたレックス・ハリソンと何となくイメージが似ていると思った、このレックス・ハリソンはジェームス・スチュアートと同じ1908年生れというからその偶然に驚いた

  • エルスターの妻で、かつ、謎の女ジュディとのダブルキャストになるキム・ノバク(1933年)は名前から言って韓国系アメリカ人かと思ったら、チェコ系アメリカ人である、美人でスタイルもよく、陰のある女性役をうまく演じていると思った
  • サスペンス部分のストーリーについては、ジョンのめまいと、それを利用したエルスターの妻殺しの策略など、うまく考えたなと思った、そして、エルスターの妻殺害計画の唯一の想定外は、妻になりすましたジュディとジョンが愛し合ってしまうという点も面白いと思った

  • エルスターの妻マデリンとそのよく似た謎の女ジュディの演じ分け、どの場面が本物でどの場面が偽物か、がわからなかったが、実は最初から最後までマデリンは一回も登場しないでジュディがマデリンを演じていたということでしょうか、終盤でジュディが「マデリンは田舎にいてここにはいないから、なりすましができた」と言っている
  • 最後にジョンはジュディと愛し合うようになったが、ジュディは妻殺しのエルスターの共犯ではないのか、そういう女と恋に落ちるのか、釈然としなかった
  • そのジュディも最後は教会の塔の上から飛び降り自殺するが、それがどうしてなのか、ジョンは最後にエルスターがどうやって妻のマデリンを殺したのか突き止めたが、その結果、恋に落ちたジュディが殺人の共犯者だと分かった、ジュディは共犯者の自分と元刑事との愛は成り立たないと思い、最後は自分で命を絶ったということか

  • エルスターが妻を殺害する動機だが、ジュディと愛人関係にあったから、ということなのか、妻と外見がよく似ている女に興味がわくものだろうかと思った、そして、殺害実行後、エルスターはジュディを捨てて別の女と付き合っている、というのも変な感じがしたが、実はその別の女と一緒になるのが彼の本当の目的で、ジョディとジョンはそれに利用されたということか
  • ジュディが自殺して映画は終わっているが、映画の中でジョンが警察を辞めてから仕事場にしている事務所でむかしの婚約者がデザイナーの仕事をしている、その彼女はジョンにまだ惚れているように描かれている、学生時代にジョンと婚約までして3週間で彼女の方から解消している仲だ、最後は彼女とよりを戻すのではないかと想像したがそこまでいかずに映画は終わった、そこは想像してくれということでしょうか

楽しめました

 


秀山祭九月大歌舞伎(昼の部)初日を観に行く

2024年09月05日 | 歌舞伎

今月も歌舞伎座の公演(昼の部)を観に行った、九月は秀山祭、これは初代中村吉右衛門の生誕百二十年を記念して、その功績をたたえるため俳名 である「秀山」を冠し、平成18(2006)年9月歌舞伎座から始まった公演

今年の演目は、夜の部の妹背山女庭訓と勧進帳の方が観たかったが、最近は夜の部を見ると終演が9時過ぎとなり帰宅時間が遅くなるのが嫌で、演目に関係なく、昼の部を見ることにしている

今日もいつもの3階A席、前から4列目であった、今日は初日、開演は11時、終演は15時半頃、空席が若干見られたが、まずまずの入りではないか

一、摂州合邦辻、合邦庵室の場

玉手御前/菊之助
俊徳丸/愛之助
奴入平/萬太郎
浅香姫/米吉
母おとく/吉弥
合邦道心/歌六

合邦道心の庵室へ娘の玉手御前が闇夜に紛れてやって来る、後妻に入った高安家で継子の俊徳丸に邪な恋心を抱き、逃げ出した俊徳丸の後を追ってきたのだ。娘の愚かな恋を嘆きながらも、母のおとくは見放すことができず玉手を中へ通す。ところが合邦の庵室には、俊徳丸が許嫁の浅香姫とともに匿われていた。嫉妬と狂った恋心で迫る玉手は、俊徳丸の醜い顔も浅香姫と別れさせるために自らが飲ませた毒酒が原因だと告白。そんな娘の浅ましい姿を見兼ねた合邦は、堪らず玉手を手にかけるが、玉手が打ち明ける俊徳丸への恋心の真実に・・・

この演目は初見、これは古くから伝わる説話「しんとく丸」や謡曲「弱法師」、説教節などを素材として、安永二年に人形浄瑠璃として初演されたもので、歌舞伎で上演されるのはその下巻とのこと

観た感想としては、

  • 1幕物で、出演者も数名であり、あらすじはちょっと予習するだけで理解できるので観ていた非常に分かりやすかった
  • 演技の中心は何といっても菊之助(玉手御前)と合邦道心(歌六)であった、菊之助の女形の演技が良かったし、歌六の年相応の律儀な父親役が役柄にピッタリとはまっていると思った
  • また、セリフはあまりないが、浅香姫役の中村米吉が実に可愛らしかった、若手女形で一番きれいな役者だと思う
  • 話の核は、自分が大切だと想う相手を災難から守るため自分が犠牲になるという自己犠牲の物語、この手の話は江戸時代の日本人には大いに受けたのであろうが、これな何も封建時代の時代錯誤の話だと決めつけることはできない、海外でも同様なストーリーの物語があるので(直ぐに思い出せないが)、人類共通の情念かもしれない

二、沙門空海唐の国にて鬼と宴す
弘法大師御誕生一二五〇年記念、夢枕 獏 原作、戸部和久 脚本、齋藤雅文 演出

空海:幸四郎
楊貴妃:雀右衛門
白楽天:歌昇
廷臣馬之幕:廣太郎
玉蓮:米吉
春琴:児太郎
阿倍仲麻呂/高階遠成:染五郎
橘逸勢:吉之丞
杜黄裳:錦吾
白龍:又五郎
丹翁:歌六
憲宗皇帝:白鸚

平成28(2016)年に歌舞伎座で初演し好評を博した夢枕獏原作の新作歌舞伎の再演、唐の都、長安、市中では皇帝の次には皇太子も倒れるだろうという不穏な立札が夜な夜な現れる怪異が起きてた。遣唐使船で日本からやって来た空海は、ある日、訪れた妓楼で遊女の玉蓮を相手に不思議な力を見せ、白楽天たちがその光景に驚くなか、皇帝の崩御を予言していたという化け猫の話を玉蓮から聞く

すぐさま空海が噂の屋敷へ向かうと目の前に現れたのは、黒猫を頭に乗せた春琴という夫人。怖がる橘逸勢を横目に、そんな状況すら楽しむ空海にその黒猫が語りかける。化け猫と対峙した空海は、ある疑問を解くため白楽天を伴い、50年前に葬られた楊貴妃の墓を探るが・・・

街で知り合った謎の老人・丹翁から楊貴妃の時代に唐へ渡った阿倍仲麻呂の手紙を託され、遂に空海は時空を超えて唐王朝を揺るがす大事件の解明に挑む

観た感想を述べてみたい

  • 夢枕 獏原作の小説は文庫本で4冊になるという長編である、登場人物も多く、それを2時間の歌舞伎にするのは相当な無理があるとイヤホンガイドでも言っていた通り、事前にある程度予備知識をインプットとして臨んだにもかかわらず、途中で集中できなくなった
  • 全体として、歌舞伎というには無理があるような気がした、音楽は黒御簾の中の笛や太鼓、三味線などではなく、録音した現代音楽の放送であり、演技でも見得を切ることもなく、様式美を見せることもない、明治座あたりでやるお芝居といった方が適当だと思った
  • 主役の空海をやった幸四郎だが、白鴎同様、歌舞伎以外のいろんな演劇などにも出演しているので、今回の演技も慣れているのでしょう、そつなくこなしていたように見えた、また、息子の染五郎は堂々とした演技をしていたと思う

さて、本日の幕間の食事は、いつものように三越銀座の地下に行き、日本橋弁松のお弁当にした、やはり歌舞伎観劇の定番と言えば弁松の弁当だ

また、甘味は榮太郎のだんごにした


Ryu Itadani「Everyday Life “THERE”」を観に行く

2024年09月04日 | 美術館・博物館

銀座のポーラ ミュージアム アネックスに、ベルリンを拠点に活躍する Ryu Itadani (板谷龍一郎)の展覧会「Everyday Life “THERE”」を観に行った、無料、この展覧会は家具ブランド のarflex (アルフレックス) 東京(恵比寿)と 2 会場で開催されているユニークなもの

箱根のポーラ美術館は好きな美術館であるが、その別館が銀座にあり、以前訪問したことがあったが最近は来てなかった、他の方のブログでここで興味が持てそうな展覧会を開催中と知り、行ってみたくなった

Ryu Itadaniは1974年に大阪で生まれ、トロント、東京、ロンドンにも居住していた、現在はベルリンに住み働いている、今日の展示作品もベルリンの景色のものが多かった

Itadaniは、街の風景や植物、愛用する日用品など何気ない日常の一場面を、独特の輪郭線と色彩であでやかに切りとり作品にする画家。みずみずしさや明るい陽光に満たされた Itadani が描く眺めは、観る人に見慣れた風景やモノに対する新鮮なまなざしと、心躍るような感覚をもたらす、とある

ここ銀座のポーラ ミュージアム アネックスでは、Itadani の作品の中でも「THERE」=遠くの景色や俯瞰した視点を中心にした作品約 30 点を展示し、arflex 東京の「HERE」展では逆の観点からの作品を公開する、こちらは9月5日から

銀座の会場内にはアトリエに見立てたスペースを設け、開催初日から約 10 日間、arflex のアイコン的ソファ「MARENCO」へのペインティングを公開制作する。フリーハンドでのびやかに描かれるラインと彩色、その日、その瞬間にいきいきと生まれゆく作品が観れるが、残念ながら訪問した日にはもう制作期間が終了しており、完成品が作品として展示されていた


MARENCO EVERYDAY

このアネックスはポーラが入っているビルの3階、ほぼ正方形のそんなに広くない1区画だけのフロアー、そこに33作品が展示されていた、また、4作品は1階のショーウインドウに展示され、銀座を歩く人も見ることができる

Itadani氏の作品を見て、良かったなと思ったものを紹介したい


Shibuya


Shell


A14


From the Plane

観てお分かりの通り、かなり強烈な色彩でサイケデリックな感覚に驚かされる、絵画制作に詳しくないので詳細は分からないが、それぞれの絵は、素人が外観だけ見ると何か段ボール箱か高級な品物を入れてある固めな箱に描いているように見える、額縁がないのも特徴か、大部分の絵が油彩画のように見えた、また人物画は全くなかった

興味深い展覧会であった、9月23日まで開催


扶桑カントリー倶楽部でゴルフ(2024年2回目)

2024年09月03日 | ゴルフ

茨城県笠間市の扶桑カントリー倶楽部(PGM) でゴルフをした、天気は晴れ時々曇り、日中の最高気温は30度くらいか、台風が奄美大島や九州に上陸しているせいか、猛暑ではなかった

ここは昭和53年開場、太平洋観光開発グループの第1弾。太平洋観光開発は、昭和47年に設立、ここ「扶桑カントリー倶楽部」、昨年プレーした「カントリークラブ・ザ・レイクス」、「セゴビアゴルフクラブ・イン・チヨダ」の3つのゴルフ場を経営していたが、総額270億円を投じた「セゴビアゴルフクラブ・イン・チヨダ」への開発投資をはじめ、多額の借入金を抱えて大幅な債務超過に陥り、平成14年に債権者より会社更生法を申し立てられ可決、ローンスター・グループの傘下になり、運営はPGMになった、その後、ローンスターは平成23年に経営権を平和に譲渡し、現在に至る

コースは27ホール、ベントと高麗の2グリーン、今日は高麗だった、カート乗り入れOK、カートナビ付き、バックティーで6800ヤードだが、アベレージゴルファーには十分楽しめるコース

この日は台風が来ていたせいか、そんなに混んでなく、プレーの進行もよく、ハーフ2時間弱でラウンドできたのは良かった、コースの手入れもまあまあ良かった、ただ、スコアカード通りの距離にティーマークが設置されていないホールが多くあり、ガッカリだ、バンカーが結構多いが砂は柔らかめで良かった、硬くなってしまったバンカーの砂を入れ替えるのには億単位の金がかかるので、よく金をかけてメンテしていると思った

コースレイアウトは変化があり面白い、コースは狭く感じるところもあるが、全般的には広く、トリッキーなホールはなく、適度なアップダウン、池や崖などがあり、飽きが来ないようにうまく設計してあると思う、設計は川波 義太郎・小松 三夫プロ、ラフが結構伸びていた

倶楽部ハウス内の床の掃除や、昼食の配膳はロボットがやっており、また、昼食の注文はタブレットで行うなど、IT 化を進めているのはやはり上場会社の子会社の経営だからだろう

楽しめました、今日は台風接近で夕方から雨の予報だったので、どこにも寄らずに帰宅した


室町砂場で天もりを食す

2024年09月02日 | グルメ

この日は、久しぶりに日本橋室町にある室町砂場で昼食をとった、前回訪問したのはずいぶん前だ、昼時は混んでいると思い、1時過ぎに到着、暖簾をくぐって中に入ると、直ぐに座れた、この日は座敷に案内されたが店内が見渡せる、店内はほぼ満席だった

室町砂場は、作家の池波正太郎氏が贔屓にしていたそば屋である、イメージ的には神田藪そばと同様、老舗の高級イメージを出しているそば屋ではないだろうか、そばだけではなく、そば前の酒とつまみが充実している、そばの量は少なめ、値段は少し高め、これがこのカテゴリーのそば屋の特徴か

こういうそば屋に現役の人たちが退いた2時ころに行って、うまい肴で1、2合飲んだところで、さっとそばを手繰って、1時間以内には引きあげる、あとは日本橋で晩飯のつまみと翌朝のパンでも買って帰る、そんな粋なことをやってみたいものだ、といつも思っているのだが・・・

この日本橋砂場は、Wikipediaによれば、幕末の慶応年間、そば屋の砂場本家「糀町七丁目砂場藤吉」で働いていた村松とくが暖簾分けを受け、芝高輪の魚籃坂に開業したのが始まり、維新後の明治2年、魚籃坂から日本橋の本石町二丁目に「本石町砂場」として移転、この時を創業年としている、昭和7年の町界変更により室町砂場と改称した、とある

さて、今日の注文は決めていた、ここの一番の売り物である天もり2,090円だ、やはりここに来たらこれを食べたいと思っていた

しばし店内の老舗の雰囲気を楽しんでいると、そばが出てきた、さっそくそばを手繰って、小海老と小柱の掻揚げ天ぷらと本三つ葉が入って旨味が溶け合う江戸前の温かいそば汁につけて食べる、そばがそば汁と絡まって実においしい、そば汁は濃いめだが、これが江戸前の特徴であろう、あっという間に食べ終わった、やはり量は少ないので満腹感はないが、最近ちょっと体重が増えているのでちょうどいいでしょう

おいしかった、良いムードの良き昔の江戸のそば屋だった、ご馳走様でした


三島由紀夫「戦後日記」を読んだ

2024年09月01日 | 読書

三島由紀夫の「戦後日記」(新潮文庫)を読んだ、三島の本は、「金閣寺」、「サド侯爵夫人」、「春の雪」、「仮面の告白」などを読んだ程度だが、今年になって「文化防衛論」を読んだ(その時のブログはこちら)、また、昨年、猪瀬直樹氏の「ペルソナ」を読んだ、これは三島家3代の歴史をまとめたもので勉強になった(その時のブログはこちら)

「戦後日記」は、まだ大蔵省の官吏だった昭和23年から、「豊穣の海」執筆中の昭和42年までの間に「日記」の体裁で書かれたエッセイを集めたものである。日記風に書いているので三島の普段の生活、付き合い、考え、興味の対象などプライベートなこともわかり興味深く読めた

読んでみた感想を述べてみたい

  • 音楽について述べているところがあって興味を引いた、曰く「音という形のないものを、厳格な規律のもとに統制した音楽というものは、何か人間に捕らえられ檻に入れられた幽霊といった、ものすごい印象を私に引き起こす、音楽愛好家たちが、こうした形のない暗黒に対する作曲家の精神の勝利を簡明に信じ、安心してその勝利に身をゆだね、喝采している点では、檻の中の猛獣の演技に拍手を送るサーカスの観客と変わりがない」、確かにそういうものかもしれない
  • また、「作曲家の精神が、もし敗北していると仮定する、その瞬間に音楽は有毒な怖ろしいものになり、毒ガスのような致死の効果をもたらす、音はあふれ出し、聴衆の精神を形のない闇で十重二十重にかこんでしまう、聴衆は自らそれと知らずに、深淵につき落される」と言っているが、音楽評論家の石井宏氏が言うところのベートヴェンの音楽が持つ人の心を高揚させる力がその一つかもしれない
  • 三島が太宰治に嫌悪感を持っていることがわかった、例えば、「太宰は作家が自分の弱点が最大の強みになるように持っていこうと操作している点を自己欺瞞」と非難している、そうかもしれないが、三島と太宰はともに金持ちの家に生まれ、なに不自由ない生活をしてたことである、太宰はそれを引け目に感じて捻じ曲がり、三島は虚勢を張って捻じ曲がったのではないか、ある意味、似ている部分があると思った
  • ただ、「どうして日本の小説家は作中人物にならんとする奇妙な衝動に駆られるのだろう」としているが、これは逆なのではないかと思った、自分を作品にしているだけではないかと、そしてこれは三島も同じではないかと思った、例えば「仮面の告白」
  • 「小説の映画化は根本的な矛盾がある、小説で美女と言ったら人によってイメージがそれぞれあるが、それを映画にすると一人の一定の女が登場して、想像力の余地がない」、なるほどその通りだろう、映画化された小説が元の小説のイメージと違うということが起こるのはこのためだろう
  • 一方、「演劇は映画と違い、服装や観客との距離によって想像の余地を残す」と言っている。劇作家の福田恆存は演劇と映画の違い、演劇と小説の違いを述べているが(福田恆存の説明はこちら参照)、いろんな比較論があって面白いものだと思った
  • 「世の中には若い趣味人というものが随分ある、学校を出たての人の中にも恐るべき能楽通や歌舞伎通がいるが、日本の芸道の特色は、あくまで体験的で、方法論を欠き、したがって年齢の理想は老いにあって、若い通人がこうした趣味に染まると、われ知らず、不自然な老いを装うことになるのであろう」、その通りかもしれない
  • 「無智な人間ほど、男色の本質的特異性がつかめず、世俗的異性愛の常識におかされてしまう、その結果、自分が男のくせに男が好きなのは、自分が女だからだろうと思い込んでしまう、人間は思い込んだとおりに変化するもので、言葉使いや仕草の端々まで急激に女性化する、私の言いたいのは、批判家のみならず世間一般が、政界・財界・学会にわたる、男色関係のひそかなしかし鞏固な紐帯に、たえて気付いていないということだ、ナチスの要人たちに見られたあの同性愛の、決定的な影響は何だったのでしょう」、同性愛のことはあとでも出てくる
  • 「私はしばしば自分の中にそういう悪癖を感じるのだが、人に笑われまいと思う一念が、かえって進んで自分を人の笑いものに供するという場合が、よくある、人をして安心して私を笑わしめるために、私もまた、私自信を客観視して共に笑うような傾向も、戒めなくてはならぬ、さまざまな自己欺瞞のうちでも、自嘲はもっとも悪質な自己欺瞞である、それは他人に媚びることである」、知識人ほど戦前・戦中の自国を悪く言うのは自嘲であり、もっとも悪質な自己欺瞞ではないだろうか
  • 「私は戦争中から読みだして、今も時折「葉隠」を読む、正しい狂気、というものがあるのだ、人間の陶冶と完成の究極に、自然死を置くか葉隠のように、斬り死や切腹を置くか、私には大した径庭がないように思われる」など、あとの彼の行動をほのめかす考えの根底が書かれているように思えた、他にもそのような暗示と思える部分が多くあった
  • 「日本文化は稀有の感受性だけをその特質としている、第二次大戦の敗北は日本文化の受容的特質の宿命でもあり、理念が理念に敗れたのではなく、感受性そののものが典型的態度をとって敗れたに過ぎない、ドイツの敗北は理念の敗北であり日本の敗北と意味が違う」とあるが、難解でわかりずらい
  • 同じ日の日記には、最後に「宗教及び政治における、唯一神教的命題を警戒しなければいけない、幸福な狂気を戒めなければならない、現代の不可思議な特徴は、感受性よりも、むしろ理性の方が(誤った理性であろうが)、人を狂気に導きやすいことである」と述べているが、こちらの方がわかりやすい、現代の日本でいえば、「反戦平和」とか「非核三原則」などが唯一神教的命題となっているのではないか

  • 結婚するに際し、キルケゴールの有名な「あれかこれか」の一節は長いこと私を魅了してきた、「結婚したまえ、君はそれを悔いるだろう、結婚をしないでいたまえ、やっぱり君はそれを悔いるだろう」、そして、「人は本当のところ、自分の行為が、宿命のそそのかしによるものか、自由意志のあやまちによるものか、知ることなど決してできない、結局、海水の上に浮身をするような身の処し方が、自分の生に対する最大の敬意のしるしのように思われる、として自分は結婚することにした」と書いているが面白いと思ったが、なぜ結婚の言い訳するのかなと感じた
  • 「悪に関し、旧植民地国の政治家は、自分たちを虐げてきた帝国主義者たちから、少なくとも悪の知恵を学んでいる、ネールなんぞは私にはその典型だと思える」と述べているが、その通りだろう、敗戦国のわが国が戦争から学んだのは「戦争はいやだ、二度と戦争は起こさない」というものだが、情緒的すぎて、他国からは子ども扱いされ、金を騙し取られるだけであろう
  • 「同性愛を描いた「仮面の告白」が日本で出版されたのが1949年だが、アメリカで発売されたのはその8年後である、アメリカでは同性愛に偏見があり背徳の書とされたからだ」とある、日本では昔から同性愛を受け入れてきた社会であることを知らない人が多いと思う
  • 「日本の近代文学で、文学を芸術作品、真の悪、真のニヒリズムの創造にまでもっていった作家は、泉鏡花、谷崎潤一郎、川端康成などの、五指にみたない作家だけである」とあるが、私も泉鏡花や谷崎は好きだが川端は読んだことがない、ただ、鏡花や谷崎の作品が芸術作品かと言われれば、それは大げさではないかと思う
  • 「私がイタリアオペラを好きなのは、どんな人間的苦悩をも明るい旋律で表現する点だ、その点で「オテロ」は半ばイタリア的で半ばはややワグネル的ドイツである」と述べている、昨年鑑賞した東京フィルのオペラ『オテロ』において、コントラバス首席奏者の片岡夢児氏がヴェルディの音楽の特徴を聞かれ、「一般的にイタリア人は陽気な性格と思われているが、実はそうでもない、暗いところもあると感じている」と述べ、「ヴェルディの音楽も実は同じだ」と述べていたのを思い出した(その時のブログはこちら)

いろいろ参考になった部分も多かった、一方で、海外のいろんな作家のことを持ち出すなど、自分はこれだけのことを知っているのだ、とひけらかす傾向がある、丸山眞男がそうだった、両者の共通点は何だろうかと考えた