ゆっくり行きましょう

気ままに生活してるシニアの残日録

映画「箱男」を観る

2024年08月26日 | 映画

封切直後の映画「箱男」を観た、シニア料金1,300円、120分、監督石井岳龍、比較的広い部屋だったが30人くらいが来ていた

作家・安部公房が1973年に発表した同名の小説を映画化したもの、この映画は1986年に石井監督が安部公房から映画化を託され、1997年に製作が正式に決定、スタッフ・キャストが撮影地のドイツ・ハンブルクに渡るも、クランクイン前日に撮影が突如頓挫、幻の企画となってしまった経緯がある

今回、悲劇から27年経って、奇しくも安部公房生誕100年にあたる2024年、石井監督は遂に「箱男」を完成させた

映画のパンフレットには、「箱男」それは人間が望む最終形態、ヒーローかアンチヒーローか、とある

ストーリーは、オフィシャルサイトによれば、

「ダンボールを頭からすっぽりと被り、街中に存在し、一方的に世界を覗き見る『箱男』。カメラマンである“わたし”(永瀬正敏、1966年生れ)は、偶然目にした箱男に心を奪われ、自らもダンボールをかぶり、遂に箱男としての一歩を踏み出すことに。しかし、本物の『箱男』になる道は険しく、数々の試練と危険が襲いかかる。存在を乗っ取ろうとするニセ箱男(浅野忠信、1973年生れ)、完全犯罪に利用しようと企む軍医(佐藤浩市、1960年生れ)、 “わたし”を誘惑する謎の女・葉子(白本彩奈、2002年生れ)・・・果たして“わたし”は本物の『箱男』になれるのか・・・)」

鑑賞した感想を述べてみたい

  • 安部公房の小説は「砂の女」だけは読んだこともあるし、その同名の映画を観たこともあり、面白い作家だなと思っていたところだ
  • 何も予習しないで観に行ったら、ストーリーがよくわからなかった、帰宅後、オフィシャルサイトやレビューコメントを見て、「ああ、そういうことなのか」と何となくわかった
  • アマゾン(本)の「箱男」の説明の中に、本の解説を書いた平岡篤頼氏(文芸評論家)の解説が載っており、そこに「箱男」の狙いのようなことが書いてあるので引用してみると、
    「考えてみればわれわれ現代人は、隅々まで約束事や習慣や流行や打算に支配され、その上、この小説の主人公がかつてそうであったように、「ひどいニュース中毒」に罹っている。「自分で自分の意志の弱さに腹を立てながら、それでも泣く泣くラジオやテレビから離れられない。」もしもそういうものをすべかなぐり捨てたら、世界はどう見え、われわれはどんな存在になるだろうか。風景が均質になり、いままで大切に思っていたものも、無価値と思って無視してきたものも、同等の価値をもって目にはいって来る。それと同時に、こちらの方向感覚、時間感覚も麻痺し、われわれ自身でなくなって、「贋のぼく」が現われる」
  • なんだか難しいが、そんなことを描こうとした映画なのかと、理解したが、実際の映画では前後関係が時系列では描かれないので、ストーリーがわかりにくいのだと思った
  • 結局、この箱男というのは、安部公房の時代では、ラジオやテレビから離れられない「ひどいニュース中毒」になっている人、現代では、スマホ/SNS、ネットから離れられない生活をしている孤独な、匿名な存在の人たちである、ということなのでしょうか、この先、AIやロボットが発達してきたら一体どういう「箱男」、「箱女」が出現するだろうか

  • 映画では冒頭に箱男を、完全な孤立、完全な匿名性な存在であり、一方的にお前たちを覗く、と説明されている、この箱男には孤独で匿名なスマホ中毒という面と、箱の窓から外界を覗き見、という要素がある、そして主人公の本物の箱男は元カメラマンだから覗いて写真を撮ったり絵を描いたりしている、本作はラストで、実は「箱男はあなたです」と言い、社会はその箱の窓からお前(視聴者)を覗いていたのだ、という逆説が強烈なパンチとして効いてくるというオチがあったように感じた、違うかもしれないが
  • 安部公房の問題提起自体は深刻だろうが、映画では本物の箱男と偽物の箱男の戦いなど、滑稽な場面や謎の女のエロスなどもあり楽しめるところもある映画だった
  • 映画のエンドロールの中で、音楽「マーラー交響曲第5番アダージェット」と出ており、エンドロールの時にそのアダージェットがピアノ独奏でが流れていたように思われた、普段聴くオーケストラの音楽とだいぶ違って聴こえたので勘違いかもしれないが(映画の途中で流れていたとすれば、気付かなかった)、なぜマーラーなのかはわからなかった

難解な映画でした



最新の画像もっと見る

コメントを投稿