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北岡伸一「日本の近現代、政党から軍部へ」を再読する(その1)

2023年06月29日 | 読書

北岡伸一教授の「日本の近現代5、政党から軍部へ」を再読した。明治維新あたりから第2次大戦敗戦までの日本の歴史には興味がある。今まで時間を見つけては少しずつ関連する書籍を読んできた。この100年という期間、調べれば調べるほど、あまりにも多くのことが起こった非常に複雑な時代であった。

この本は1924年(大正13年)から1941年(昭和16年)までをカバーしている。この間もいろんなことが起こったが、ゆっくり再読してみた感想を述べてみよう。

先ずは、この本を読んでみて非常に参考になったな、また、よくキチンと書いてくれているな、と思うところを述べてみよう。

  • 教授は、「対華21箇条の要求(1915年)は、当時の文脈においては、格別野心的でも侵略的でもなく、それまでの既得権益を確実なものにしようとするものに過ぎなかったが、外交交渉の稚拙さもあって、日本の野心を代表する政策のようにみられてしまった」と書かれている(P40)。その通りだと思う。
  • 教授はいわゆる田中上奏文について「なお、この会議(東方会議)との関連において世に出回ったのが、「田中上奏文」である。これは、田中がその大陸征服計画を天皇に上奏したものだとして、中国が宣伝し、東京裁判でも問題にされたものであるが、今日では偽書ということになっている。」と書かれている(P71)。これもその通りだと思う。
  • 教授は結構いろんな場面で、当時の新聞の報道がどうだったのか、それが政治の判断にどう影響したのか、を述べている。新聞世論の強硬姿勢、軍部への賛同、国民や軍部を扇動するような報道か数々行われていたことを示している。例えば、
    田中内閣時の対中世論の沸騰(P85)、満州事変に対する吉野作造によるマスコミの強硬論への批判(p100)、ロンドン海軍軍縮会議に対する大新聞の偽善的報道(p116)、1931年の満州における中村大尉事件、万宝山事件に対する誇大報道、満蒙問題に関する世論の高揚を招く報道(p157)、1931年、関東軍が錦州で対空砲火を受け反撃した際、新聞は「我が軍、錦州を爆撃す」と報道し、世論を前のめりし、関東軍にうまく利用された(p162)、吉野作造は「自分が特に遺憾に思うことが2つある、まず、新聞が一斉に満州事変を賛美していること」と述べたことを紹介している(p166)、リットン報告書が事前に新聞記者に示されたとき、複雑な問題をよく整理して解決策を示したと感心していたのに、翌日の新聞は、日本の立場に対してまったく無理解な文書であるとの罵詈雑言が踊った(p180)、世論は三国同盟を賛美した、東京朝日新聞は「国際史上画期的な出来事として誠に欣快に堪えざるところである」と称えている(p349)・・・・
    など、数え上げたらきりが無い、こういった報道を新聞がしていた事実をしっかりと記載している教授の姿勢は評価できる。

(次に続く)



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