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気ままに生活してるシニアの残日録

中村隆英「昭和史(上)1926-45」を読む(4/4)

2024年06月27日 | 読書

(承前)

第四章 「大東亜共栄圏」の夢

1 緒戦の勝利

  • 開戦後、日本軍はマレー半島全土、シンガポール、フィリピン、ニュウーギニア、ソロモン群島、ビルマ、ジャワ、スマトラ、ソロモン群島の広大な領域を占領下に収めた、しかし政府にとっての問題は、緒戦の勝利ののち、その後の戦争指導の計画がほとんどなかったことである
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    これほどの破竹の勢いで東南アジアや南洋諸島を占領できた日本軍がなぜ、中国で何年もてこずっているのか、それは、敵に回した米英が中国を支援していたこと、共産軍が中国を支援していたことが大きいだろう、緒戦勝利後の計画がなかったのは5.15事件や2.26事件を起こした青年将校らと共通するものがある
  • ミッドウェイ海戦に敗退し、太平洋の制空権を失ったことを当時の軍部は政府に対してもひた隠しにしたのである、政府もこれによって戦局が一転したという深刻な意識は持っていなかったように思われる
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    都合の悪いことは開示しないというのは今でも同じでしょう、新聞は何をやっていたのか、アメリカのラジオニュースくらいまだ聞けたでしょう

2 「絶対国防圏」の崩壊

  • 東条内閣が太平洋戦争において果たした役割については、ほぼ次のように考えることができるであろう、としてかなりの字数を費やして著者の見解を述べている、おおざっぱに言えば、彼は軍人政治家としての信念を持っていなかった、例えば開戦回避、開戦後の戦争の見通しなどについて。そして、世界情勢や敵対国に対する知識もなく、強気一辺倒で国民の生活や生命を犠牲にした
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    東条のことは十分に研究したことがないので著者の見立てを評価できないが、別の観点から一つ言えることは、東条首相は暗殺や自殺ではなく、平和的手続きで退任したということだ
  • 東条のような人物を首相にいただかなければならなかったことは、当時の日本の不幸であったが、同時にこのような軍部勢力の台頭を統帥しえなかった政治機構の欠陥を痛感せざるを得ない。太平洋戦争はおそらく避けられたものであったが、軍部とこれに結び付いた官僚の政策決定が戦争をもたらしたことは否定できない
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    天皇に東条を首相候補として推挙したのは内大臣の木戸幸一、明治の元勲木戸孝允の孫であり、その罪は大きいと思う、太平洋戦争は避けられたという見解には同意できない、「軍部とそれに結び付いた官僚」との表現があるが、軍部も官僚である、陸軍大臣、海軍大臣、陸軍省、海軍省がありそこに属する戦争指導者は皆官僚であった、内閣と官僚が国を滅ぼしたと言える

3 小磯内閣とフィリピン決戦論

  • 小磯は首相となると同時に、何らかの形で作戦用兵(統帥)に関与できるようにしてほしいと陸軍に要望したが拒否された。軍部の統帥権意識はこの期に及んでも強烈で、陸軍出身の小磯にも例外を認めようとはしなかった
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    陸軍という官僚組織の暴走であろう、官僚が大臣の意向に従わないのは陸軍や海軍以外に外務省でもあったし、昭和憲法になった今でもある、官僚、すなわち学校成績が優秀なだけの者というのは国際情勢を見る眼がなく、外国と交渉する能力など全くない、日本の民間企業がさえないのも経営者、社員、組織運営が官僚化しているからだ、すなわち横並び、前例踏襲、事なかれ主義、会議や資料作りに時間をかけるなど

4 敗戦

  • 6月22日の御前会議では天皇自ら時局収拾の発言をし、鈴木首相、米内海相、東郷外相らは、ソ連を通じて戦争の終結の斡旋させる方針を述べ、陸海軍もあえて反対せず、極秘裏にソ連を通じて和平交渉を行うことが決定された
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    独ソ戦でドイツが破れ、ヒトラーが5月8日に自決し、ベルリンがソ連軍に降伏したにも関わらず、ソ連に和平交渉の斡旋をたのむという外交音痴ぶりが悲しい
  • 終戦に際し、8月9日午後12時近くから翌10日午前2時まで開催された御前会議で、ポツダム宣言受諾か否かで意見がまとまらず、鈴木首相が天皇の決断を要請し、天皇が受諾の意見を述べ、10日午前7時15分に発電された、アメリカの回答は「日本の国家統治はsubject to連合国司令官」となっており、陸軍内部の戦争継続を叫ぶ中堅将校らの勢いは激しくなった、阿南陸相を押し立ててクーデターを行い、天皇を軟禁し、あくまで戦争継続しようとする陸軍省部の動きが激しくなった、阿南も突き上げられて、14日朝、梅津参謀総長と協議したが、梅津は宮城内に兵を動かすことを否認し、次いで全面反対したため、阿南もこの計画を断念した
  • 天皇の敗戦の詔勅案が14日午前の閣議で決定されると、夕方、陸軍省軍務局の畑中健二少佐、竹下正彦中佐らは、あくまで戦争を継続するために近衛師団によって宮城を占拠することを考え、同日夜、森武赳師団長に蹶起を要請したが、これを拒否されると、拳銃をもって師団長を射殺し、師団長の偽の命令によって宮城を交通遮断して詔勅の録音盤を捜索した、しかし、東部軍司令官宮田中静壱大将が、自ら手兵を率いて宮城に入って鎮圧し、計画は失敗に終わった、この事件を起こした責任者らは翌日自殺し、15日未明、阿南陸相も割腹自殺した、こうして15日正午に予定通り天皇の放送が行われ戦争が終結した
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    あわやという宮廷クーデター未遂があったとは。人間というのは思い詰めると何をやるかわからない怖い面を有しているのがわかる、根拠なき強気一辺倒がとんでもない結果を招く可能性があったことを物語っている、後先考えない強硬一辺倒はどうしても声がでかく、勢いがあるので、人の心を動かしてしまう危険性があることを我々は教訓とすべきだろう
  • これ以降も戦争継続を叫ぶ陸海軍の飛行隊は盛んに東京上空でビラをまき、アメリカ軍が進駐するならば一戦を交えると叫んで、状況は必ずしも穏やかではなかったが、皇族が天皇の命を奉じて各地方におもむいて、説得し、ようやくその勢いは衰えた。

5 太平洋戦争期の経済

  • 開戦とともに強化された統制のもとで、ソ連型の中央指令による計画経済の体制に近い状況になっていたが、それは戦争のための生産が急増したことを意味していなかった、緒戦が順調すぎたため軍部も政府も軍需生産の拡大に真剣な努力をしていなかったのである
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    円高により国外に工場を移転させるのは、有事のことを考えると大変危険だと思った。造船業、鉄鋼業、自動車産業、航空機産業など軍需品も生産可能にする工場は国内になければいけないでしょう、その他民間の雇用創出の観点からも円安は工場の国内回帰や海外企業の工場誘致を促す国策といえるでしょう、円安のデメリットばかり強調する最近の新聞論調は経済音痴、安全保障音痴のミスリードと言えるでしょう、もっとも工場だけ国内にあっても生産を簡単に増大できるわけではないが、ワクチンなども含め民族生存維持のための最低限のものは国内製造を目指すべきでしょう

6 戦争下の社会と生活
7 太平洋戦争とは何だったのか

  • 第1次大戦後のヴェルサイユ体制は、19世紀以来の帝国主義の時代の終結の宣言したものだが、この時の世界秩序は英・仏・米を中心とする連合国の主流にとって有利でありそれ以外の国、独・日・伊にとっては不満があった、連合国は植民地などを「持てる国」であり、それ以外の国は「持たざる国」であった、その二つの陣営が戦ったのが第2次大戦だった
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    持たざる国の不満があったことはそうでしょうけど、さらに、戦勝国が敗戦国ドイツに過大な賠償金を課したことも第2次大戦の原因でしょう
  • 第2次大戦はこの世界の帝国主義の秩序を打破するきっかけとなり、帝国主義的支配の終焉をもたらした、それは歴史の皮肉とも、弁証法的帰結ともいうことができる
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    その通りでしょう、そういう意味で、世界は多大な犠牲を出して、帝国主義を終わらせたと言えるでしょう、そして植民地を失った国家の没落がそこから始まったとも言えるのではないか
  • 戦時日本の軍部をファシスト集団としてとらえる考えがあるが、日本の戦時体制とドイツ、イタリア、あるいはソ連の戦時体制とは大きな相違があった、明治憲法のもとでは首相兼陸相の東条でさえ統帥に関与できなかった、立法府の力が低下し行政府の力が強まり国民生活を統制した、そして行政府のうちで一番最強の力を発揮して国家の命運を左右したのが陸軍だった、その陸軍も官僚の一部であった、大臣や局長などその立場を離れればその力は失われた、今も昔も変わらない日本型官僚制下の決定機構は、課長ないし課長補佐クラスが政策の立案にあたり、上位者に承認をもらい、やがて政府の決定になる、日本の運命を決める和戦の岐路においてもそのシステムは同様であった、それはヒトラーのドイツ、チャーチルのイギリス、ルーズヴェルトのアメリカ、スターリンのソ連とも異なっていた、すべての機構に優先する独裁者のいないファシズムがあるだろうか
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    中村教授の見解に全面的に同意する、戦時日本はファシズム国家ではなかった、教授の説明を読めば明らかである、軍部も官僚であった、官僚は当時も今も学業成績優秀なだけの人たちであるが、その人たちに国家の命運が握られているのが日本の不幸であろう、その官僚と協力して、適切な方向に国を持っていくのは政治家だろう、そのどちらを非難ばかりしていても事態は改善されまい、理論ばかりに走らず、かといって情緒や感情に流されず、常に多様な選択肢や考え方を検討し、あとは為政者に現実的な判断をしてもらうしかない
    この過程における新聞の果たす役割が大きいが残念ながら彼らは多様な考えを国民に提示することなく、自社が正しいと信ずる考えで紙面を作成し、国民をその方向に誘導することに熱心である、新聞社が主張することが正しくなかったことは戦前戦後とも少なくない

いろいろ勉強になった本でした

(完)



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