(承前:この本の素晴らしところについて)
- 教授は満州事変が起こったとき首相だった若槻礼次郎について関東軍が東京の意向を無視して朝鮮軍を出兵させたことについて幣原外相や井上蔵相が反対したにもかかわらず事後承諾を与えたことを書いている(p160)。若槻はまれに見る能吏であって、頭脳明晰という点は歴代首相の中でもトップクラスであると言われたが、その分、粘り強さや決断力に欠けていたと述べている(p48)。若槻はロンドン海軍軍縮会議の全権としてアメリカのスチムソン国務長官と交渉してアメリカからは日本にも良識的な政治家やいると評価されたが、常識が通じない軍部などを相手にしての交渉は全くダメだったことをよく書いてくれていると思う。最近では宮沢喜一が同じような政治家だろう。
- 満州事変から国際連盟脱退にいたる過程を批判した清沢洌は「松岡全権に問う」で、小村は日本のために必要だと確信して、不人気な条約を結び、石を持って迎えられた、あなたは今、歓呼の声に迎えられる、どちらが日本のためになるだろうか、と勇気ある発信をしたが、当時の論壇は強硬論一色であって、他に同様な主張をするものはほとんどいなかった(p183)、と書いているのは評価できる。
- 帝人事件が1934年に起こり、政界と財界の癒着、権力濫用した不正を時事新報が暴露した、背後には斉藤内閣の倒閣を目指す勢力があったが、1937年関係者は全員無罪となった、事件は全くの空中楼閣であることが裁判官によって明らかにされた(p190)。こういうことも書いていることは評価できる。このようなでっち上げや些細なことで政権や首相に悪印象を与えることは最近でもある。
- 1932年、上海事件の際、肉弾三銃士が話題になったが、今日では造られた話とされていると書いている(p245)
- 教授は広田弘毅に対して批判的である、例えば広田が進めた和協外交(p186)、陸軍の圧力に対してさしたる抵抗もしようとしなかったこと(p265)、盧溝橋事件で積極的に不拡大の方向で動かなかった(p288)などを挙げているが全く同感である。
- 日中戦争について、華北から華中に飛び火したのは、中国側の決断でもあったと書いている(p289)、中国も戦争をやる気満々だったことは留意すべきである。
- 1937年以降の戦時統制について、中村隆英を引用して、当時の学者やジャーナリスト、官僚や軍人の中に、自由経済を弊害の多いものと考え、統制経済、計画経済を謳歌する雰囲気があったと紹介している(p300)。
- 教授は宇垣一成、𠮷田茂らに好意的である。𠮷田については、𠮷田と原敬はともに、果断のの政党指導者であった、強腕政治を批判された政治家であった、そして両者とも英米協調を首尾一貫して主張していたとしている(p391)。最近でも、民主主義のルールにのっとり国会で採決をとると強行採決と騒ぐ向きもある。
(次に続く)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます