美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

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造られる個性

2012年03月24日 00時01分08秒 | 日記
ピカソがわかると面白い(多重視点構造⇔単視点構造)

正式な妻以外にも何人かの愛人を作った。
ピカソは生涯に 2回 結婚 し、3人 の女性との間に 4人 の 子供 を作った。

「ようやく子どものような絵が描けるようになった。ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ」
「私は対象を見えるようにではなく、私が見たままに描くのだ」

■『青の時代』のピカソ(1901~1904年)
1901年、友人の一人がこの世を去ってしまいます。とてもショックを受けたピカソは、貧困や孤独、絶望をテーマにした冷たい青色を多くつかった。

■『ばら色の時代』のピカソ(1904~1907年)
暗い『青の時代』から急に明るい色調の絵画を描きだしたきっかけは、恋愛でした。
ピカソは1904年に オリビア という女性と出会い、付き合い始めます。サーカスや旅芸人を題材にした明るく、にぎやかな絵画を描いています。
この頃に描いた絵はよく売れ、ピカソ(23歳)は 有名な画家 になっていきました。

1907年、新しい恋人 エヴァ(本名はアンベール)。
キュビズムの絵画に変化していった(ピカソ26歳)。

■キュビズムの時代(1907~1916年)
ピカソの絵画と聞いて思い浮かべるのは、このキュビズムの時代の絵画でしょう。
1915年には恋人のエヴァが病気でこの世を去ってしまい、ピカソは一人になってしまいます。

■新古典主義の時代(1918~1925年)
ピカソは、キュビズムの絵画をずっと描いていたわけではありません。この時代はゆったりとした人物をイキイキと描いています。人物たちの形もまるくなっているのが特徴です。
  
オルガ という女性と出会い、結婚します。
1920年代の後半からは、オルガとの生活がうまくいかなくなります。ピカソ(39歳)はアトリエに閉じこもり、挿絵を多く描くようになりました。

■シュルレアリスムの時代(1925年~)
この時代から晩年にかけてのピカソの作品はシュルレアリスムの手法だけではなく、様々な手法を取り入れています
ピカソが46歳のとき、17歳のマリー=テレーズ・ワルテル という女性を出会い、付き合い始めます。
ピカソはオルガと離婚できずに長い別居生活が始まります。
マリーは1935年にマヤという女の子をうみます。ピカソはマヤがうまれた後に ドラ という女性と付き合いはじめます。

1936年からのスペインでの内乱をきっかけに、ピカソは1枚の絵を描きます。攻撃された町の名前を、そのままタイトルにした有名な『ゲルニカ』です。
1943年、21歳の 女性画家フランソワーズ と付き合い、1945年にドラと別れました。
 フランソワーズと付き合っていたときのピカソ(62歳)は、絵画を制作しつつ、陶器もつくっていました。
フランソワーズは1953年に子供をつれて出て行ってしまいます。

一時はショックを受けたピカソ(72歳)ですが、またすぐに別の女性 ジャクリーヌ と付き合いはじめ、2度目の結婚をします。

ピカソは一生の間に13,000点の絵画、100,000点の版画、34,000点の挿絵、そして300点もの彫刻を制作しています。
一日あたり2~3枚以上のペースで絵画や版画を制作していた計算です。

ピカソの絵画で特に印象深いのが、キュビズムの時代です。そのため、ピカソの絵が難しすぎてよくわからないという人や下手な絵なのになぜか有名な画家、と思っている人も多いのは確かです。
ですがピカソの絵画の時代の移り変わりを見ていくと、ピカソはまさに天才だと実感できるはずです。
ピカソの絵画は、全て考え抜かれて描かれているのです。ピカソはこんな言葉を残しています。
「なぜ自然を模倣しなければならないのか?それくらいなら完全な円を描こうとするほうがましなくらいだ」

〇アバンギャルド(反体制) 
※伝達手段の発達(映画)。
•キュビズム(多重視点構造⇔単視点構造)。

〇それまでの具象絵画が一つの "視点" 視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収め、 ルネサンス以来の"一点透視図法" 一点透視図法を否定した。

〇ルネサンス以降の遠近法を放棄し、描く対象を複数の視点から3次元的に捉え、1枚の平面(2次元)の中に表現した。
ルネサンス以来の「単一焦点による "遠近法" 遠近法」の放棄(すなわち、複数の視点による対象の把握と画面上の再構成) 形態上の極端な解体・単純化・抽象化 を主な特徴とする。
"フォーヴィスム" フォーヴィスムが色彩の革命であるのに対して、キュビスムは形態の革命である、という言い方をされることもある。

要は、正面、横、後と色んなところから“見た目”を一場面にまとめたといったことがキュビズム。

ちなみに
フォーヴィスムは"キュビスム" のように理知的ではなく、感覚を重視し、色彩はデッサンや構図に従属するものではなく、芸術家の主観的な感覚を表現するための道具として、自由に使われるべきであるとする。

出会った女性たちや周りの友人,ライバルたちによって”天才ピカソ”も”個性的な作品”も作られていったといえます。

伝える絵

2012年03月22日 23時27分58秒 | 日記
皆さんが多用している“言語表現”は、日常的に使っている「言葉」の説明により、他者とイメージを共有しやすいという便利さがありますが、落とし穴として”思い込み“がじゃまをし「伝わったつもり、勘違いのまま」、あるいは両者の言葉の持つ意味の認識の違いで迷路に入り込み理解し合う為に膨大な量の“不毛な情報”を要することがあります。
デッサンは難しく考えがちですが、その表現を理解すれば具体的で明快な伝達手段です。
アーティストのドローイングをみると描写表現以外に伝えている”線が示す感情“の情報を感じ取れます。
例えば「嬉しい、さびしい、怖い、楽しい」といった感情を「言葉」よりも「デッサン」の方が、その時の微妙なニュアンスを明快に共有することができます。



焼き捨てた絵

2012年03月21日 15時55分06秒 | 日記
安井曽太郎(東京美術学校【現在の東京藝術大学】 教授)のドローイング作品。
日本では浅井忠に師事し、同時期の海老原龍三郎らと関西で洋画を学んでいた。
その後、フランスに渡りアカデミー・ジュリアンで学ぶ(以前の作は焼き捨てたとのことで、彼の初期作品はほとんど現存していない)。
フランス滞在の7年間の間にイギリス、イタリア、スペインなどへも旅行している。
フランスでの作品と渡欧前のデッサンとでは大きく異なった点があります。
木綿問屋の坊ちゃんの曽太郎は家の使用人らをモデルに素描していたようですが、渡欧後とそれ以前と明らかな変化が分かります。
関西の洋画研究所で学んでいた時期と渡欧して、何を学び吸収したのか想像してみてください。    
描写を意識した素描から、空間性や人体への視点、表現テーマが生まれ、人体の躍動感や空間の臨場感がダイナミックに描かれたデッサンになっています。
また、対象物を見たまま写し取っていた初期作品と比較すると見上げた視線の動きを考えた構成になっています。                                     
これら作家の作品展開をみるとドローイングの上達は、単に技術的なスキルアップだけではなく、対象物の捉え方や環境の変化、自分の視点(テーマ)も大きく影響してくることが分かります。
対象物の捉え方、見方や描き方、制作のテーマは様々で、作家のキャラクターや生き方、表現手段などの数だけ「画風」があるといってもいいでしょう。      

紙に鉛筆

2012年03月20日 10時06分45秒 | 日記
現代の作家であるロバート・ロンゴのドローイング。
トランポリンを使い、モデルが空中で静止した瞬間を捉えたポーズを描いたもの。
紙に鉛筆とチャコールといった一般的な方法(写実)で描いたものです。
作品の新鮮さや魅力は画材の種類や技法ではなく、作家の視点やアイデア、欲求だということが伝わってきます。

手描きのメディア

2012年03月20日 09時44分42秒 | 日記
ジャコメッティのドローイング。
彼は彫刻作品だけではなく絵画作品も多数描いています。
そもそも画家、彫刻科、版画家と分けるのは日本特有で、海外ではジャンル関係なしに表現の幅をひろげ活躍しているアーティストが少なくありません。
空中で静止した瞬間のドローイング作品を発表したロバート・ロンゴもドローイングから立体、インスタレーション、映画まで制作したりしています(ビートたけしが出演したキアヌ・リーブス主演「JM」)。
ジャコメッティに話を戻しますと表現が細長いデフォルメが特徴で、どんどん作品が晩年になればなるほど細長くなっていきました。油彩作品では構造や空間性を意識していることがわかります。                                
「油彩」とか[油絵]とか、芸大では「油画専攻」なんていったりします。「油絵」といういい方はどこか「絵描き」や「画家さん」をイメージしませんか?
欧米から入ってきた技法を「洋画」と呼んでいた芸大でも「日本画」に対して日本の「油画」という意味があるようです。
なので「油彩」という言い方は、そのジャンルや職業を示すのではなく、その画材や技法を用いるといった意味で使うことが多いです。
たとえば版画を主に制作している作家が「先日の水彩スケッチを今回は油彩でやってみた。」といった感じで使います。         
世界のアーティストは、その扱っている画材や技法でジャンルを分けるのではなく、テーマや目的によって表現手段(メディア)を多用しています。
大学では彫刻を専攻し、卒業後は写真作品を発表している人がいますが、絵画(平面)畑出身の作家とは違った視点でファインダーを覗いていることが分かります。