美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

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レオナルド・ダ・ヴィンチ

2016年10月28日 21時02分55秒 | 日記
「よく観る」を貫いた。
ダ・ヴィンチの解剖学や自然観察に徹し解読して描かれたドローイングは、
絵画や彫刻の仕事よりはるかに多く、数千点と言われている。
それらのドローイングは自然に対して科学的な視点を最初に提示したものといえる。

ダ・ヴィンチは
凡庸な人間は「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆き、あらゆる楽しみは感覚的知性を磨くと提唱していた。

ルネサンスの三大天才。
ラファエロは、37才位で死ぬが、社交的で社交界の花。宮廷、財閥らパトロンに引っぱりだこのナイスガイ。
ミケランジェロは、こもりがちな性格で一途に仕事をするタイプ。
ダ・ヴィンチは、パトロンからの仕事も中途半端で完成させず、
気分屋で他の天才二人とは正反対。

名画『モナリザ』が意外に小さい理由。
飽きっぽいダ・ヴィンチが唯一、後生大切に持ち歩いていた。何度も加筆されていること、解剖学によりイメージだけで人を描くスキルがあった。貧しい農村での幼少期の思い出。
『モナリザ』の正体は中国人奴隷だった母親のわびしくも大切な面影だと考えられる。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、あらゆる楽しみの根底には「感覚的知性」を磨くといった真面目な目的があると提唱していた。本を読んだり、庭いじりをしたり、絵画を学ぶことやイラストやマンガを描くことも、そういった感性を磨く「楽しさ」のひとつ。

『最後の晩餐 』 ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に
描かれている一点透視図法を完璧に実証している絵。
その消失点であるキリストのこめかみには穴が空いている。
ダ・ヴィンチはこの穴からひもを引っ張り作図した。

所有しやすいサイズに描かれた『モナリザ』
この絵だけは何度も加筆し執着していた。解剖学によりイメージだけで人を描くスキルがあった。貧しい農村での幼少期の思い出。中国人奴隷だった母親の暖かくも侘しい表情。ダ・ヴィンチにとって最も大切な面影だから、一生大切に持ち歩いていたのだと思う。

些細な事でも気づきは日常生活に影響する。
ゲーテは経験の違いによって色の認識が変わることに気づき、
ダ・ヴィンチは回転し空に舞う葉をみながらヘリコプターの原理を思いつき
老若男女の違いを解剖によって発見した。
画家コローは光の演出によって空間、奥行の見え方が変わることに気づいた。

気づきは日常生活にも影響する。
経験の違いによって色の認識が変わることにゲーテは気づき、
ダ・ヴィンチは回転し空に舞う葉をみながらヘリコプターの原理を思いつき、
老若男女の違いを解剖によって発見した。
画家コローは光の演出によって空間、奥行の見え方が変わることに気づいた。


西洋絵画ルール

2016年10月25日 23時04分00秒 | 日記
羊=純真・神への犠牲
鳩=清純さや犠牲の象徴・平和や愛を表わす
牛=生け贄・人類の犠牲となったイエスを象徴する
白鳥=音楽や愛を象徴
ユリ=聖母マリアの純潔を象徴する花
バラ=愛と美。聖母マリアの純潔の象徴
ブドウ=イエスの生命の象徴。血を表す
サクランボ=イエスの受難と聖餐(キリスト教の儀式:最後の晩餐など)を象徴
ドラゴン=災いをもたらす邪悪な存在。異教徒
兎=多産と色欲。聖母マリアの足元に描かれる時は色欲が純潔に打ち負かされること。

考えないで、感じる。

2016年10月25日 22時52分04秒 | 日記
時間が空くとベランダで外の日差しと匂い、音、空気を感じて、ぼ~とする。
自宅の落ち着く場所で、聞こえてくる心地よい生活音や好きな音楽などを
楽しみながら五感(視覚・嗅覚・聴覚・味覚・触覚)を集中する。
考え事をしないで、ただただ五感を機能させる時間を過ごす。

気持ちがいい晴天。
こんな日は野外で絵でも描きたい。
19世紀にチューブ入りの絵具が発明されてから、野外の日の光の中で絵具を使って描けるようになった。
この発明が、輝くような色使いをする印象派の画家たちを生んだといってもいい。

筋道

2016年10月24日 21時22分53秒 | 日記
やりたいことと違う。
空しい。子どもが泣く。犬が吠える。問題が起こる。
困ったことを解決しようとする前になぜそうなったのかを考える。
その思いを理解すれば必要なことが見えてくる。
まずは自分のできることから始める。
続けていると意図する筋道が繋がってきて
解決の糸口が見えてくる。

日常

2016年10月24日 21時16分45秒 | 日記
働くと汗をかく。帰宅をすると小学生の息子が「お仕事のにおいだね。」と声をかけてくれる。その優しい気持ちで仕事の疲れが吹き飛ぶ。やっぱり思いやりや愛情が、元気な未来を創っていくと思う。

忘れていたこと。
小学生の頃、クラスの男女全員ひとり一人に毎回、絵を描いて暑中見舞いと年賀状を送っていた。それが普通だと思って絵を描いていた。そのせいかわからないが学校生活が楽しくて、辛いことはあったが嫌いな人がいなかった。

中2と小6になった息子たちと良く話をする。というか息子が自分の話をしてくれる。たまに「お父さんはどうだった?」と聞いてくれる。それが嬉しい。息子たちには将来、よく話しかけられる人、道端でもよく道を尋ねられるような人になってほしい。

表現って素晴らしい。
小学生の息子は、トイレにいきたくなると 「お便りが届いている。」といいながら走っていき、 漏れそうなときは「ポストがあふれそうだ。」と言って走っていく

もう亡くなってしまったが、大好きだった叔父の笑い声と笑顔をずっと覚えている。
そんな叔父の口癖が「上等、上等ー、偉いなー」、いつも人を褒めていた。
母方の7人兄弟の長男で戦時中に幼い兄弟たちを抱えて満州から帰国し、その後も兄弟の世話をしながら大変な苦労をしてきた強くて優しい大人。

妻とちょっとしたことで、喧嘩をするたびに思い出す映画の言葉
「妻は、間違いなく自分よりいい人間で…。彼女といるだけで自分までいい人間になれる。」
と思える人は、幸せな人生を過ごせると思う。
映画『天使がくれた時間』

息子たちがキャンプから帰ってきた。
キャンプ地での仲間と離れるときにたくさんの子たちが泣いていたらしい。
感謝の気持ちも含んでいると思うが、息子たちが連発していた言葉は「楽しかった!」この楽しいと思える時間が途方もなく重要。

高校時代に美術の先生が「セザンヌは絵を描くことを研究した。」と教えてくれたが理解ができなかった。「構図や画面のバランスを考えて、わざと形を歪めたりしている。」とか全く分からなかったが熱心に語ってくれたのでセザンヌの絵が好きになった。

その人の強さは
負けている時、負けてしまった時にみえてくるものだなと
オリンピック選手たちに教えられる。

携帯モバイルがなかった時代。
友達に会うために初めての海外旅行をした。
不都合で、待ち合わせ場所にいなかった友達の住居まで
自力でなんとかたどり着いた経験で随分と自信がついた。
困ったときにすぐに頼れるものを携帯している便利な現在では
そんな貴重な体験ができなくなっているようだ。

小さい”祭”は日常に張りを与えてくれる。
朝は”立ち食いそば”
昼休みの”散歩と書店で立ち読み”
夕暮れの”晩酌”
夜は”風呂”
深夜の”映画鑑賞”
週末の”家族”のイベント
月ごとの恒例イベント
次の”祭”を楽しみに計画し待ちこがれる時間も含めて
いつも心が満たされている。

テレビのCMを観ながらの子供のつぶやきが面白い。
「やっちゃえ、おっさん。」

恐ろしい夢
朝食を家族で食べていると息子が「恐ろしい夢を見た」と。
待望のクリスマスプレゼントが
「ラップに包まれた焼き芋とサンタのブロマイドカード」
その光景を見たときの驚きと落胆の話を興奮して語ってくれた。
「これは夢の話だからねっ」と
現実に起こらないように念を押された。

小学生の息子が「懸命 って、いいね。なんか感動するっ」と話してくれたことを
思い出してしまい踏ん張る。
『”できるか”と聞かれたらいつでも”もちろん”と返事をすることだ。それから懸命にやり方を見つければよい。』
セオドア・ルーズベルト

子供の語り
子供が昨晩みた夢の話や自分で考えたばかりの物語を語ってくれる。
力も入っているので何を話しているのか分からなくなることもあるが
そんな話を楽しく読み解きながら聞いている時に
脳が通常の数倍の速さで動いているように感じるのは、気のせいだろか。

自分が勤勉だとは思えないが、麺好きなので
早朝、出勤前に立ち食いそばを食べる楽しみがあるおかげで
休み開けの出勤がうれしい。

休日前夜
いつも息子たちは、夕食で妻と一緒によくしゃべる。
いつも休日前夜は、特にテンションが高い。食後に
「平日と休日の間が一番幸せ!!」
と歓喜しながら自分の部屋に戻っていった。
それって、本当の事、間違いでない。

子供といっしょにいると
じっとミミズをみていたり、
小雨の中、気に入った石を選んで拾っては繰り返し水道で洗ったり、
枯れてしまった植木鉢の土を掘ったりと
予想がつかない行動をひたすら続けることになる。
いつのまにか無心なり、瞑想に近い状態になる。

妻とちょっとしたことで、喧嘩をするたびに思い出す
映画『天使がくれた時間』の言葉
「妻は、間違いなく自分よりいい人間で…。彼女といるだけで自分までいい人間になれる。」
と思える人は、幸せな人生を過ごせると思う。

1日1食は麺類。 ラーメン、そば、うどん,パスタときて、たまにソーメンを食べるとおいしい。
たまにだったら、ほうとうやきしめんもテンションが上がる。 疲れているときは朝から立ち食いそばで、テンションを上げる。
実は、ペヤングソース焼きそばが復活してホッとしている。

子供の頃に家族や親戚、近所で過ごした思い出が子育ての基盤。
子育ては、二度目の人生を模索しているようだが、結局のところ健康一番で
家族や親戚と一緒に過ごせる時間を優先していくことが
子供にとっても親にとっても大切だと再認識している。

これまで息子たちと家族で色んなことをして過ごしたが、
一番の思い出は親戚が集まった一泊旅行のようだ。
やはり子供にとっては、いとこや優しいおばあちゃんとおじいちゃん、おじさんやおばさんなど知っている顔の集まる場が、一番楽しみらしい。

子どものまなざし。
身の回りにおこる奇跡を毎日、見つけて驚きに満ちている。
そんな時間に立ち会える親も充実した成長の時間を共有できるから
幸せを感じられる。

なかなか捨てられない。
最近は捨てたことで成長したことを思い出しながら片付けをしている。
大掃除で思い出の服や手紙、ノート、スケッチブック、作品…過去に捨てたことを後悔しているものがあるから、ものが捨てられない。
捨てたことで新たに手に入れられたこと、良かったことを忘れがち。

今回のオリンピックで、日本柔道が蘇った。
勝利への執念、練習量、日々の努力は以前と変わっていない。
ひたすら自分の技を磨く不毛な修行ではなく、仲間を信頼して自分の力を出し切るために、世界ルールと相手を研究し対処した練習に切り替えた。

その人の強さは
負けている時、負けてしまった時にみえてくるものだなと
オリンピック選手たちに教えられる。

通勤が東京の仕事を変える。
早朝でもこの時期は、自宅から駅までの20分ほどを歩くと一気に汗が噴き出してくる。汗をかいて頭も体もすっきりしてきたのに冷房の効いた満電車の中で急激に体を冷却され汗をせき止められる。
そのまま40分間動けない状態が続き、電車を降りるときには疲労している。

顔に出る表情にも表と裏があるように脳内も同様に感情の処理がされている。
しかも表裏どころではない裏の裏が脳内で処理されているが、その機能が20ワットほどの電力で効率的に動いている。だから錯視もしてしまう。
といった内容の夏休みセミナーを小6の息子が「面白かったー」と話してくれた。

息子たちがサマーキャンプから帰ってきた。
キャンプ地での仲間と離れるときにたくさんの子たちが泣いていたらしい。
感謝の気持ちも含んでいると思うが、息子たちが連発していた言葉は「楽しかった!」この楽しいと思える時間が途方もなく重要。

小6の息子が、夏休みの宿題のポスター(テーマ自由)で先生から「悲しい絵は描くな、みんなが手をつないでいるような明るい絵を描きなさい。」といった指導に対して「僕が感じた本当のことを描きたい!」と怒っていた。
「成績が下がっても構わない。感じた本当のことを描けばいい。」と声をかけた。

「お父さん、おやすみなさい」
寝る前に毎晩、仕事をしているところにきて声をかけにきてくれる家族。どれだけ、その一言で色んなことを取り戻せているか、その嬉しい気持ちをいろんな形で伝えていきたい。

線香花火
我が家の花火大会はベランダ。床にすのこを敷いているのでバケツの底に少しだけ水を張り、そう上で線香花火を垂らして火をつける。小さな火の玉を親子で見届ける。
変わらない香りもいい、手の先にも集中して感覚を呼び覚ます時間がいい。

小6の息子が、夏休みの宿題のポスター(テーマ自由)で先生から「悲しい絵は描くな、みんなが手をつないでいるような明るい絵を描きなさい。」といった指導に対して「僕が感じた本当のことを描きたい!」と怒っていた。
「成績が下がっても構わない。感じた本当のことを描けばいい。」と声をかけた。