美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

twitterフォロワー50,000人。つぶやき140字では伝えきれないことをこのブログに残していきます。

『アート思考の基本レッスン』

2020年03月26日 23時44分15秒 | 日記
『アート思考の基本レッスン』

アートの基本は「思考の具現化」。
絵を描くことは、絵のプロになるためだけに必要なことではありません。
絵の描き方を習うということは、
じつはものの観方、多角的な考え方、伝え方を学ぶということであり、それはたんに目で見るよりもずっと多くのことを意味しています。
よく観て繰り返し絵を描くことで、本当のことに気づいていけます。

芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチは、
凡庸な人間は「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆いていました。
また、絵を美しく描くことだけでは満足しないダ・ヴィンチは
空、樹木、人間、花、動物がいかに存在し、たがいにいかに関係しあっているのか
自分の目で見、自分の手でつかむことで描くすべてのことを理解しようとしていました。
絵に描くことで「よく観ること・よく理解すること」ができるのです。











読み書きを学ぶ国語の授業は、小説家など言葉のプロを生み出すためだけの学びではなく、社会で生きていくために必要なものです。
数学も歴史の授業も専門家を育てることだけが目的ではないように、絵を観たり表現したりする美術(アート)の授業も
絵の上手い下手の評価ではなく、「観察力・思考力・伝達力」の感覚を磨いて生きる力を身につけていく大切な時間なのです。

普段、知っていると思い込んでいる物事を絵に描くと知らなかったことをいくつも気づくことができます。
絵は思い込みや見たつもり、知っているつもりでは描けません。
物事は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、書物の様に「読みとく」「理解」する感覚が大切です。
絵を描くことで、知らなかったことに気づくので日常的に「よく観る」習慣が身についていきます。

世界の中で、日本人は絵が上手い民族。
日本文学も俳句もビジュアル的な言語。
生け花も茶道もビジュアル的な文化。
日本の文化は映像文化。
日本人はビジュアル人間。
ビジュアルを巧みに操る民族。
だから日本アニメや漫画は世界から支持されています。
そのDNAをもっと教育や仕事に活かせるのです。



Lesson1「何故石膏像を描くのか」

■「石膏デッサン」解説と「写実とリアリズム」の話

まずは、石膏像をよく観て正確に計って写実的に描きますが、そのまま写そうとする作業とは違います。
表面的な「現象」に合わせるのではなく、モチーフについて多角的な視点から知ること、特徴を理解し「印象・らしさ」を捉えることが大切です。
日本での写実主義の絵画は、楽器や壷などの静物や人物を「細密描写」で描くといった印象がありますが、西洋では「生と死」(リアリズム)をテーマとした骨や腐りかけた果実などのモチーフを描くといった概念の違いがあることを理解しましょう。
写真のように写し描くことが写実ではないのです。
写真では伝達できない情報を人は五感で収集して脳で認識しています。
写実絵画は記録と記憶のハイブリットによって生まれます。
様々な記録情報、対象物に関する記憶がブレンドされて描かれたものが写実絵画なのです。

絵は五感を使って描きます。
対象をただ写し描くことが写実ではなく、光の入り方、その時間帯、季節感など対象物を取り巻く(多角的)世界をどれだけ広く感じさせることができているかが重要です。その視野の広さ、視座の高さで伝わるリアリティが違ってくるのです。

また、画力と観察眼とは表面的な描写力だけではなく、観ているものの構造や光と影など
周りからどのような影響が及ぼされているのかを読み解き、理解する力とその本質を的確な構図や技法で効果的に伝達する力です。

よく観えるということは気づくということで、詳細まで理解できていることと同時に
俯瞰して全体が観えているということで、この観察力が生活すべてにおいて大切なのです。
この対応力は、絵を描くことにとどまらず、様々な仕事にも必要とされています。







西洋では日が暮れてもなかなか明かりをつけないで薄明り、夕暮れ時を楽しむ習慣があります。
薄明りの中で過ごす時間が多いほど、明暗の感度が敏感になるのです。
そんな西洋人は光と影にこだわり、明暗法が発展しました。

また、なぜ像を描くのか?その像とはどういったもの(存在)なのか?を理解しながら描いていきます。
以前に石膏デッサンを経験された方もいらっしゃるとは思いますが、今回の石膏デッサンの制作の視点は、これまでと一味違いますので皆さんと一緒に追及していきたいと思います。

デッサンレッスンで描かれる石膏像は、古代ギリシャ像をかたどったものが多くあります。



どの時代も人の考え、思いを伝えています。
古代ギリシャ彫刻の顔の表情があまりありません。これは古代ギリシャ人の『人間的感情を公で出すのは野蛮である』の考えに基づくものです。



これから古代ギリシャ以降につくられた“美の象徴”を描いていく訳ですが、石膏像の原型は、大理石像やブロンズ像でした(ギリシャ人が造ったものはほとんど残されていない。ヘレニズム期のミロのヴィーナスくらい)。現在ある石膏像はすばらしいレプリカであるとはいえません。



オリジナルの像は、ギリシャ文化を象徴するとてもすばらしいものでしたが、破壊や盗難などにより実在せず、以後は想像からつくられてきました。



それでも、長い歴史の中で数知れない量がコピーされ、今もなお描き続けられる理由は、ギリシャ彫刻の美しさが普遍的で永遠の宝物だったからです。
そのすばらしさを理解するために彫像やアートの歴史的背景にも触れていきたいと思います。



☆石膏像と言うものは、明治政府が西洋の文化を取り入れて日本の近代化をはかっていた時代に美術においても同じく外国から先生を招いて、イタリアから招聘されたフォンタネージやラグーザなど古典派の画家や彫刻家が教材の一つとして持ちこんで石膏デッサンを始めたのが最初のようです。
☆石膏デッサンをすることの意味には、手の訓練、目の訓練と言ったことで絵画の基礎段階で行われるのでしょうが、西洋美術(古典主義の)では古代ギリシャ、ローマ美術が出発点となっていますから単に手と目の訓練と言うだけの目的ではなくヒューマニズム(人文科学)の美術そのものの勉強であったとも言えます。
※美の定義をビジュアルとしてお手本になるものが他にない。強いて挙げれば「巨匠の作品模写、裸婦」がモチーフとして伝統的に使われている。
※石膏デッサン、裸婦、模写すべて”解釈(美術そのものの勉強)“が大切。

☆古代ギリシャ時代の初期、中期では崇高美、調和美が追求され神様の像が作られていましたがヘレニズム期には次第に表現が人間臭くなっていったと言われています。   
ローマ時代ではギリシャ時代に完成された彫刻美の摸刻が盛んにされるのですが、肖像彫刻においては優れた個性の表現がされるようになったと言う事です。
☆ヘレニズム期にいたるまでに、美術が古くから保っていた魔術や宗教との関係をおおかた失ってしまった、ということがあるのだろう。彫刻家たちの関心は、職人技そのものの優劣に向けられるようになり、このような劇的な闘いの場面を、その動きや表情や緊張感を含めてどう表現するのか、それが彼らの腕の見せどころになっていた。ラオコーンの運命の道徳的な善悪のことなど、彫刻家の脳裏には浮かびもしなかっただろう。
こういう空気の中で、裕福な人びとが美術品を収集するようになった。彼らは原作が手に入らない有名作品はコピーを作らせた他し、原作が入手可能なものには法外な金をつぎこんだ。著述家たちが美術に関心を向けはじめ、芸術家たちの生涯について書き、その奇人ぶりを示す逸話を集め、旅行者向けのガイドブックを編纂した。
名を馳せた巨匠は彫刻家よりも画家の方が多かった。当時の画家たちの関心も、彫刻家たちと同様、宗教的な目的に奉仕するよりも、職人としての専門的な技巧の問題にむけられていた。

■西洋美術の”ゆりかご“「地中海」

西洋美術の歴史をヨーロッパの風土、時代背景とともに古代エジプト~ルネサンスの美術史を紹介します。
文明文化、美術の発祥地からどんなルートをたどって発展してきたのか位置関係がわかった方がイメージしやすいので地図を参照してください。



これは地中海とその隣国の地図ですが、西洋美術はこの地中海を”ゆりかご“として育っていきました。この地図を見ると色んなストーリーが想像できます。
・古代エジプトでは、理解することで表現している。文明文化、美術の発祥地。
・古代ギリシャでは、観察することで表現している。”美(理想美)“の基本、定義ができる(まぐさ式構造、エンタシス、高さ・奥行と間口の関係が調和のとれた比例によって設計)。
・中世(キリスト教美術)時代は感情(愛情、罪、罰、苦悩など)を表現している。                              
・現代におよぶ理解・観察・感情(テーマ)による表現が、ルネサンスで理論的にまとめられた(美術解剖学、パース理論)。

☆代表的な石膏像の解説 
■青年マルス(アレス) 軍神、戦争の神 乱暴、残忍、冷血

紀元前5世紀に、古代ギリシャのアルカメネスという作家の作ったブロンズ彫刻が、ローマ時代にコピーされたもの。

■古代ヴィーナス(ヒュギエイアの頭) 健康の女神

紀元前340年頃のも。アテネの神殿にあったその像の頭部とされているもので発掘当時から顔面に損傷が多くあり、俗にアバタのヴィーナスと呼ばれている。

■ブルータス 政治家 学者肌、人に感化され利用されがちな性格

古代ローマで圧制者(シーザー)暗殺を成し遂げたブルータスの彫刻
ミケランジェロがこのブルータス像を作ったのは1539年頃。60歳の頃の作品とされています。実際にミケランジェロが作ったのは頭部のみで、衣服のほとんどは弟子のカルカーニという人物がつくりました。
きっちりとローマ風に作りこまれた衣服の部分とは対照的に、頭部の髪は未完成のまま。あまりに多忙だったミケランジェロは途中で投げ出してしまったようです。カルカーニが師匠の作った頭部に手を加えなかったのは非常に賢明な行動でした。おかげでミケランジェロのタッチがそのまま残されました。

私たち皆にとって最大の危機は、
高きを目指し失敗することではなく
低きを目指して達成することである。
やる価値のあることは何であれ、
初めは下手でも、やる価値がある。
些細なことから、完璧が産まれる。
しかし、完璧は些細なことではない。
余分な贅肉が削ぎ落とされて、彫像は成長する。
神よ、どうか、私を、お許しください。
いつも、創造を越えて、想像することを。
by ミケランジェロ

•かっとなりやすい性格のため若い頃はけんかも多く、あるとき顔を殴られて鼻が曲がってしまった。このためもあって容姿にコンプレックスを持ち、自画像を残さず、さらに気難しい性格になってしまった。
•仕事に取り掛かるのは遅いが、いざ始めると周囲が驚くほどの速度で仕上げたといわれる。
•彫刻の題材をどうやって決めるかをたずねられた際、「考えたこともない。素材が命じるままに彫るだけだ」と答えた。
•制作初期の段階でユリウス教皇に「完成はいつ頃になるのだ」と聞かれたところ、連日の制作に疲れていたミケランジェロは苛立ち、「私が『出来た』と言った時です」と返答した。これに対し、気の荒いことで知られた教皇は「早く完成させないと足場から突き落とすぞ」と言い返したという。

ミケランジェロが制作した 見上げさせるための彫刻

ダヴィデ像。見上げる位置にセッティングすることを考え、
胴体に対して顔を大きく首を長く制作し下から見た時にプロポーションが自然にみえるように造られている。
遠近法は絵画だけの技法ではない。








【Lesson2】「エジプト文化とその芸術Ⅰ」
古代エジプト:紀元前3000年

① 死の文化(死者の書)。



・エジプトの宗教では、人間の魂を永続させるために遺体と肖像を保存。





・エジプトで生まれたアートは、エジプト人の死生観(永遠なる命)
※社会的構図(王、聖職者、軍人)から存在するものです。



② エジプトの王は神と親戚関係(エジプト絵画は「神に見せるためのもの」であった)にあり、王の権力が絶対であり絶大でした。
当時のしきたりとして、王の死には廻りの者達が生け煮えになるという慣習がありました。その慣習に代わり、アート(埋葬品として)が成立。多くの美術品が生まれました。



恐ろしい習慣に美術が救い手としてあらわれた。



③ エジプションアートが西洋美術のルーツ。
・美術は地球上どこにでも存在するが、約5000年前のナイル川流域の美術は現代の美術に繋がっている。
・ナイルに発する伝統は、師匠⇒弟子、崇拝者、模倣者⇒ギリシャの名匠(エジプト美術の学校に通学)⇒現代(そのギリシャ人の生徒と言える)。
・極めてベーシックな独裁社会に対してベーシックなコミュニケーションシステムが要求された。

④ エジプトといえば、誇大な大地に建つピラミットです。


・ピラミッドを築いたのは王のミイラのためであり、王の遺体は石棺に納められその中央に安置された。壁全体にまじないや呪文が書かれた。



・遺体だけではなく、王の肖像(風化しにくい御影石)も一緒に残せば確実に生きつづける。墓のなかではまじないが働き、肖像を通して魂は生きつづける。
・彫刻家は「生かしつづける者」とも呼ばれた。
・あの世での生活の準備として納める。

⑤ エジプト全域は遺跡だらけで歴史が浸透していた地域です。
 しかし、現在その歴史的なモニュメント(世界遺産)は、内乱による破壊や盗難、地球温暖化などにより、未来へ残して行くこと困難な時代となっています。




【Lesson3】「エジプト文化とその芸術Ⅱ」

① 3000年も変わらずに存続した文化。
・規則をすべて習得してしまえば、徒弟修業はそれで終わり、これ以上の目新しい物や「独創的」なものなどまったく要求されることがなかった。
・3000年以上ものあいだ、ほとんど変化することなくすぐれたものと見なされ続けた。



② 価値あるスタイルの確立。
・作者は人物を美化しようとはしていない。たまたまとらえた瞬間の表情を残そうとしたわけでもない。肝心なところだけで重要ではない細部は省いている。基本的な形、幾何学的といってもいいほどの硬さ。
・理解するための表現(knowledge=art)
・幾何学性が強い
・ディテールへのこだわり
・正確性(動物など描かれているものを現代の学者が見ればその種類を識別できる)
・規則性(パターン化)
・自然観察と秩序感覚、このバランスがみごと。
・彫像は、生きているようでいて同時に時を超えた永遠の存在として、私たちの心を打つ。
・幾何学的な調和と鋭い自然科学の目、この二つを兼ね備えているのがエジプト美術の特徴である。
・画工の専門学校をつくって厳格な描画作法を規定し指導していた事実も示されており、技術的に稚拙だったというよりも、あえてそのステージに技術的発展を留めることで、逆に宗教性を高めようとしていた意図が窺えます。

美の追求ではなかった古代エジプトの伝える絵

一見、稚拙な表現にみえるが、生物学者が納得するほど正確な特徴が描かれていて、生息を証明する重要な資料になっています。
古代から絵を描くことは日常的な伝達手段、記録手段として活用されていたのです。



③ 知識に頼る表現で、多面的なアングルからひとつの真意を表現する(百科事典的な表現であるといえる)
・縦横上下、多面的なアングルを幾何学的な模様として網羅。これら特有な表現は3000 年も続きます。
一見、いろいろなアングルを一枚の絵にするという技法がぎこちなく見えますが、その反面、重々しく、何ともいえない神秘的なオーラに満ちています。
3000 年続いたエジプトアートはひとつの「スタイル」を確立します。
つくられる全てのものは、王や神に通じているものであり、中途半端な表現では許されませんでした。
※現代に通じるものとしてエルメスのスカーフが上げられます。

④ 絵を描く事「もの」の定義をするということである。
・その特徴がもっともよくわかるような角度から描いた。
・ある瞬間どう見えたかではなく、ある人物や場面についての知識で描かれている。
・ピクトグラム(Pictogram、ピクトグラフPictographとも)は、一般に「絵文字」「絵単語」などと呼ばれ、何らかの情報や注意を示すために表示される視覚記号(サイン)の一つである。地と図に明度差のある2色を用いて、表したい概念を単純な図として表現する技法が用いられる。



・主なルール
•頭や胴体、足は一定の比率で描く。
•地位の高い人物は、より大きく描く。
•顔は横顔とするが、目は正面を向いて描く。
•肩、胸、腕は正面を向けて描くが胴体と足は横向きとする。
•足は左右の区別が付くように描き分けない。土踏まずを描く場合には、両足に描く。
•遠近法を使わないが、集団を描くときには上下左右にずらして、少しずつ重ねて描く。
•横向きの顏でありながら、目は正面をむく。



⑤ エジプト人は「人の目」を通したもの、また、「人の意見」を通した表現を全く受け入れることがありませんでした。
それらは神への冒涜を表すことになるからです。

⑥ エジプト、メソポタミア、クレタは西洋美術の祖先といえる。
・紀元前2000年のクレタ島には、自由で優雅な様式が開発。同じ様式の作品がギリシャ本土でも発見されている。
・エジプト美術の開放は、ツタンカーメン(父は第18王朝 アクエンアテン)の治世には続かなかった。
・メソポタミヤ(シュメール人)では、王が死ぬと家中のしもべがいっしょに埋葬された。まだ像(イメージ)の魔力に対する古い信仰が生きていた。後世の誇大宣伝やプロパガンダ芸術は、もうこの時代に十分発達していた。
・迷信による原始的な残酷さと美しいものをつくる能力が共存していた時代といえます。



【Lesson4】「ギリシャ分化とギリシャ美術Ⅰ」
古代ギリシャ:紀元前800年~

①地域性、社会構造
・海(地中海)を渡ってたくさんの文明が芽生えました。ギリシャや小アジアはエジプトと違い、偉大なひとりの王の存在によって時代が動いた訳ではありません。

②飛躍的な発展を遂げた背景にある様々な要素
・アドベンチャーを求める海賊王たちによって、ギリシャの入り江(地理的に好条件)が隠れ見のとなり、発展をしていきます。



③人に重点が置かれた文化、美術が形成された。
・クレタ島がメインの発信地であり、多くのアート(レリック:遺物)が発見されました。
それらのアートは、楽しそうで生き生きしたもので、本土にも移行していきます。





④大きな建物がなく、小寺院(神や宿る寺)がたくさん出来小さな都市国家が誕生します。



⑤支配関係はなく、独立心強く、争い事が絶えない時代でした。
その頃の建物はエジプトと違い、人間のために人間がつくる建物でフレンドリーな感はありましたが、エジプトに匹敵するような威厳はなくなりました。しかし、この時代の木と石でできた建物を見ると、柱の上下部を意図的に削り取りとったフォルム(エンタシス)が見て取れます。
シンプルな中にも工夫が施され、エレガンスな表現が試みられています。
大げさではない工夫は、プロポーションの美しさと機能を備えてすばらしいデザインセンスといえます。
※日本のタンスの蹴込みに通じるところがあります。

⑥ ギリシャの最初の彫刻家は、エジプトを手本に彫像をつくりましたが、その彫像は人体区分(黄金対比)を吟味しながらつくられた彫像でした。



後に、ギリシャ人は観察力を重視し、古めかしいルールを破ることになります。
「全て見せる必要はない」という概念が美術革命を起こします。
※エジプトの彫像は硬直したものが多く、ぎこちなさをぬぐいきれないものでした。時代背景としては、エジプト人は知識と表現が手に手を取っていたといえます。よって、「全て見せなければならない」という厳格なルールに則ったアートでした。



⑦ ギリシャでは、科学、哲学、数学、あらゆる事に対して前向きに考える人々が登場。

⑧ ギリシャ神話の神々は、限りなく人間に近い存在であり人間と同様、長所短所を持っていました。










【Lesson5】「ギリシャ分化とギリシャ美術Ⅱ」
古代ギリシャ:紀元前500年~

ソクラテス曰く 
「精神がどのように人間の人体の動きに影響するか課題である」


① 「美の追求」を積極的に始める。
・ 洗練された肉体(筋肉、骨、柔らかい肌)滑らかで、艶と張り
のある彫像が多くつくられました。(ディスコボロス:円盤投げ)



彫刻家は空間と動きを100%理解できるようになりました。
②都市国家であるアテネは栄え、パルテノン宮殿のような古典建築が誕生。



・アテネの最盛期を築き上げたペリクレスは、30年間もの平和を保ち、パルテノン神殿の建立を実現しました。
③その中には多くの彫刻、レリーフなどが飾られた。
・それらが切っ掛けとなり、たくさんの彫像が注文されることになります。
④彫刻やレリーフのモチーフは躍動感溢れるギリシャの神々やオリンピアの勝利者などだった。
・当時の彫像は顏に表情をつけることはありませんでした。普遍的な顏が神に一番近いとされていました。感情は身体で見せる(人間の魂を表している)ものと思われていたので、アクションが伴った彫像が多く見られました。その多くは、オリンピックの聖地オリンピアで台座のみというかたちで近代に発掘されています。当時オリンピックは良家の人たちだけが出場でき、勝者は神に引き立てられた人、勝利の暁には自分の彫像をつくってもらうことができました。
・その中には、吟遊詩人ホメロスが書いた作品がモチーフになっているものも数多くあります。ギリシャの神々は、人間のたくましさを持ちながらも、愚かさも持ちえている存在でした。そして、神であっても、人間同様、運命に左右されるのでした。
例:ローマ神話の酒神 バッカス
よって、それら彫像には人間の感じるペーソスが表現されています。プラトンら多くの哲学者がこの地に集まり、思想会派も生まれます。
⑦ その後、ギリシャは多くの戦争を繰り返すが西洋美術の基礎となるこの地の芸術は人々の精神の中に絶えず生き続けた。






【Lesson6】「ローマ帝国の繁栄から衰退まで」
マケドニアの支配:紀元前200年頃~

①ギリシャはアレクサンドロス大王によって制覇されます。
※アレキサンダー大王


マケドニアの若き王、アレクサンドロスは、ペルシア遠征の前に身の周りのすべてのものを友人に分け与えた。
「これじゃ、あなたには何も残らないじゃないか」 と心配した友人に 「私には未来がある」 と答えた。
アレクサンドロス王の先生は ギリシア人の大哲学者アリストテレス。



王に招かれたアリストテレスが「家庭教師」となる。弁論術、文学、科学、医学、そして哲学を教えた。都ペラから離れた「ミエザの学園」で、紀元前340年までアレクサンドロスとその学友を教えた。こうして、王と共にギリシアの基礎的な教養を身につけた「学友」たちは、のちに大王を支える将軍となった。大王の要請でアリストテレスは『王道論』と『植民論』を書き送ったといわれる。

アリストテレスは、古代ギリシアの哲学者。プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンと共に、しばしば「西洋」最大の哲学者の住人と見做され、又その多岐にわたる自然研究の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。イスラーム哲学や中世スコラ学に多大な影響を与えた。
そればかりではなく、東方遠征により、小アジア、エジプト、そしてインドまで領土を広げていきます。
これがギリシャ文化に偉大な影響を与えることになります。
何故ならば、制覇した幅広い地域にへレニズム文化を広めていくことになるからです。
アレクサンドロス大王の東方遠征によって東方の地域に伝播したギリシア文化が、オリエント文化と融合して誕生した文化を指してヘレニズム文化と称する場合がある。
ヘレニズム(Hellenism)とは、ギリシア人(ヘレネス)に由来する語。その用法は様々であり、アレクサンドロスの東方遠征によって生じた古代オリエントとギリシアの文化が融合した「ギリシア風」の文化を指すこともあれば、時代区分としてアレクサンドロス大王(在位前336年 - 前323年)の治世からプトレマイオス朝エジプトが滅亡するまでの約300年間を指すこともある。また、ヨーロッパ文明の源流となる2つの要素として、ヘブライズムと対置してヘレニズムが示される場合もある。この場合のヘレニズムは古典古代の文化(ギリシア・ローマの文化)におけるギリシア的要素を指す。
これによって、ギリシャ美術は一大帝国の美術に発展します。
文化的にはギリシャに制覇されてしまうことになります。
ヘレニズム彫像はギリシャ初期彫像と違い、ゴージャスで強烈、熱烈、激しい彫刻といえます。
例:ラオコーン



ギリシア神話でのラオコーンは、槍を投げつけることによってトロイの木馬がギリシア軍の計略であることを暴露しようとした後に殺される。女神アテナによって遣わされた
海蛇がラオコーンを襲ったことによりトロイ人たちが、この木馬が聖なるものであると信じ込んだためである。
ラオコーンとふたりの息子が海蛇に締めつけられる様子はあがきながら生死をさまようすざましい姿である
ローマは、イタリア半島中部に位置した多部族からなる都市国家から始り、領土を拡大して地中海の全域を支配する世界帝国になった国家です。
ローマのアーティストは主にギリシャ人でした。
ギリシャ人には軍事力がありましたが、小さな都市国家間のこぜり合いが多く、軍事的、政治的にも統一をはかることができませんでした。
よって、組織的なローマ人に制覇されていくことになります。
聖職者の代わりに哲学者が誕生。その存在はギリシャの発展に大きく結びついていきます。
※哲学者とは、宗教と科学の狭間にある者で、宣教者でもあり科学者でもある
また、ギリシャ人は厳格なルールに縛られない自由な人種だったので多くの発展が見られたともいえます。
ルールはあるもののその中にも限りなく自由があります。
これがその後のアーティストに大きな影響を与えることになります。
シアター(演劇活動)が始まるのもこの時代です。



【Lesson7】「キリスト教の派生」
中世:紀元311年

①ビザンチン芸術を紹介する。
②中世は暗黒時代ともいわれたが、その中で光をもたらしたのがキリストへの思いを抱く人々だった。
③キリスト教は世の乱れを制するのに有効であり、コンスタンチン大王の国の行政管理のためにもキリスト教を用いた。
④多くの民族が混じり合っていた故に社会的ルールが必要であった。
⑤多くの教会が建てられ、キリスト教をわかりやすく布教していくコミュニケーションツールを職人が追及した。
⑥奉り事をわかりやすくするための数多くの彫刻や絵画が作られるが、ギリシャに於ける美の追求、「見たもの」を描くという試みが失われていく。


■「キリスト教美術」

・各地に国家が建国される。
・カラドラル(聖堂)の時代。

        社会の主体     アート
エジプト     ファラオ     知る (理解する)
ギリシャ     人間       見る (観察する)
キリスト教    教会       感じる(感情)

『ビザンチン美術』を紹介し、これまでの古代エジプト美術、古代ギリシャ美術と比較しながら“その時代のアート”を確認する。


■「キリスト教からルネサンスへの移行期」
・イタリアが眠りから覚める。

■「暗黒時代の夜明け」

ジョット・ディ・ボンドーネ


■「ルネサンスの始まり」
マサッチオ(Masaccio, 1401年12月21日 - 1428年)は、ルネサンス期のイタリアの画家。

サン・ジョヴァンニ・ヴァルダルノ生まれ。
本名はトンマーゾ・ディ・セル・ジョヴァンニ・ディ・モーネ・カッサーイ(Tommaso di ser Giovanni di Mone Cassai)













日常にアートを活かす『アイデア・発想:スピードスケッチ講義』

2020年03月26日 23時44分15秒 | 日記
日常にアートを活かす『アイデア・発想:スピードスケッチ講義』

皆さんは、頭に浮かんだアイデアやイメージを絵に描く。
さらには他者に理解してもらうために
絵を短時間でサラサラ描けるようになれたらな~っと考えたことはありませんか。

絵に描くと実現に近づくので、心が折れにくくなります。
サムネイルやアイデアスケッチは漠然とした「夢」を具現化するというより、
内なる欲求を吐き出す作業といえます。
目的やアイデアが視覚化されると具体的な行動に移せます。

絵を描くことは、脳を活性化させるための手先の運動と考えた方がいい。体を動かした方が喋りやすかったり、考えがまとまったりします。
絵を描くことで手先と脳とが連動して活発に機能していき、 新鮮な発想が浮かぶ脳のストレッチになります。







僕は「スピードスケッチ」とも呼びますが、皆さんは何のためにどんなときに必要でしょうか?
スピードスケッチとは短時間に端的な線でイメージを伝える作業です。



テーマは”伝わる絵“です。
皆さんはサラサラと描きたいと思いますが、訓練が必要となるスケッチと“観方”を理解することで比較的短時間で描ける方法があります。
最初に基本的な観方を伝えていきたいと思います。いわゆる描くコツというやつです。
うまくなるには訓練が必要ですが、まずは“伝わる絵”を描くことを意識してください。

魚屋さんは、魚の特徴を知っているので正確に描けます。







絵はイメージできれば誰でも描くことができるのです。逆に頭の中で具体的にビジュアルが思い浮かべられないと描けません。
苦手と思い込み描けないのは、絵が下手なわけではなく、的確な情報を捉えていないだけ、自分が好きで思い浮かべられるものから描いてみるといいでしょう。
では早速、1分間ほどで「目」を描いてみましょう。
“伝える絵”を描くコツは、まず対象物の構造を観ることです。
[目]でしたら、人のまぶたは上についています。
下についたら地をはっている爬虫類の目になります。
目じりは鼻に引っ張られるようなかたちになり、まつげの方向も眼球の形に沿っている。とか
よく見直してみましょう。
では、もう一度「目」をサラサラと描いてみましょう。
次に1分間ほどで「木」を描いてみましょう。
思いえがいている木は様々だと思いますが、
みているようでみていないのが“構造”です。
“このー木なんの木、気になるになる木””ハイジのもみの木“など木の構造を描いてみる。
では、好きなかたちの木を一度描いてみましょう。
皆さんは描くときにどのようなことを考えますか?
絵を描く“コツ”とは、日常生活で皆さんが工夫をしていることと同様なことです。
例えば、片付けや皿洗いを自己流で工夫してみることと同じ感覚で、絵を描いてみてください。
繰り返し何度もやっていることでも見直せば、何かに気づきがあります。
それが、それぞれ皆さんにしっくりとくる”コツ”といえます。
「観方」を意識されてことはありますか?
対象物は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、書物(文章)を「見る」のでは意味がなく「読む」「理解」する感覚と似ています。
「理解」する「観方」と「テーマ」に沿った「観方」があります。
モチーフを「写す」といった「見方」ではなく、
「理解」する「テーマ」のある「観方」
を意識してみましょう。
また、「観方」でも”構造”を捉えることと”特徴“を捉えるといったことがあげられます。
まずは、”構造“を理解する大切さを体験していきましょう。
近代の作家が[世の中の物は、単純な幾何形体(球、円柱、円すい、直方体)で全てあらわすことができる。]と実証してきたようにどんなに複雑な形態も単純形態に置き換えることができます。
では、ボーリングのピンみたいなかたちはどうのように描いたらよいでしょうか?
1分ほどで描いてみて下さい。
今、体験したように円柱や直方体などを描くことができればぐっと絵は伝わりやすくなりますし、パースペクティブ(遠近法)を理解すれば飛躍的に絵が変わってきます。
こういったパースペクティブは風景だけではなく、人や植物など全ての野々の捉え方に当てはまります。
「洋ナシ体系になった旦那は“ヨウナシ“だ」なんて言いながら、
洋ナシを描くことも洋ナシ体系の人物を描くことも同じだということを実感できると
目からウロコの絵を描くレッスンになるのです。

伝えたいこと(テーマ)によって表現が変わります。
働きものの温かい手、たくましい手、優しく抱きかかえる手、祈りの手。
上手くみせるのではなく、何を伝えるかが問題なのです。









デッサン力があるということは絵の上手い下手の違いではなく
情報を収集する力や伝達する能力、ものごとの構造を見極められることや構想している計画や企画を具体的に展開していく能力(プランニング)。
頭の中のイメージを絵に描き出す感覚を磨くことが日常生活や一般的な仕事で見直されてきています。


『身につくデザイン&アートの基本:ドローイング講義』

2020年03月23日 14時31分55秒 | 日記
『身につくデザイン&アートの基本:ドローイング講義』
                                                 
アートの巨匠たちのドローイング作品、表現の魅力や実践的に役立つデッサンを紹介します。
様々なアーティストの視点(ドローイング)に触れていきましょう。

芸術家は好奇心が強く、疑い深く、しつこく、なかなか諦めません。
基本的にジコチュウで、
結果的に名作を残してたくさんの人々に作品が愛されたとしても
本人が納得しなければ嬉しくないのです。
自分が新しい価値観を見つけて満足しなければ意味がないのです。

「ドローイング」とは何でしょうか?
皆さんは、どんなイメージでとらえていましたか?
これまで、絵画表現やスキルアップのためにデッサンを描いてきた人でも
”ドローイング”や”デッサン”の意味や目的、”クロッキー”や”スケッチ”の違いなど漠然としていると思います。
今日は違った視点から、アート表現の基本について確認していきましょう。

さて、英語である「ドローイング:drawing」という言葉は、
「素描」の意味での外来語として日本で最初に定着していたフランス語の「デッサン: dessin」に対し
1960年代に入ってから割り込んできて、一般的に使われるようになりました。
これは世界中の新進気鋭のアーティストが集まっていたフランス パリから、
第2次世界大戦後の1950年代ころ前衛アートシーンの中心がアメリカのニューヨークに移ってきたことに影響していると思われます。
余談ですが
この頃、フランスの「アンフォルメル」に対してのアメリカの「抽象表現主義」「アクションペインティング」に代表されるような主導権争いがはじまっていました。
しかし、パリのポンピドーセンターで紹介されているアート年表では、アメリカの「アクションペインティング」などの活動は単なるローカルアートとしてしか紹介されておらず、「アートの王道はヨーロッパから動かない」と言わんばかりの解説にパリのプライドを感じました。
現在は「クール ジャパン」と言われアートバブルが起こり、日本のアーティストが世界で注目されています。

日頃、皆さんはデッサン、スケッチ、クロッキーと様々なアート用語を使っていますがスケッチとクロッキーの違いなど漠然としていると思います。
また、先ほどの「ドローイング」という言葉の概念が、50年代から60年代にかけて大きく変わりました。
その他にも
エスキース、エチュード(習作)、下絵などの美術用語とその制作の目的を知っていると美術館での作品タイトル(習作など)や
画集をみるときにもタイトルの意味を理解することで見方も変わりますし、何かと役に立つと思いますので、少しそんな話からしたいと思います。

では、最初に何枚かアーティストのドローイング作品を観ながらその作品の目的や作家のことを想像してみて下さい。まずは
1、 エゴン・シ―レのドローイングです





つまりこのシーレのドローイング作品は、絵画への準備的な制約からそれを解放して、作品として独立しうるものになっています。
それまでの「下絵、習作」としての意味から、それだけの表現として完結した世界を持つ「自立するドローイング」作品となっているのです。

例えばレオナルド・ダ・ヴィンチなど聖母をテーマとした絵画作品のために手や顔の表情の何枚もの習作(エチュード)を残しています。



絵画で、エチュード【 étude】が「習作」と訳されていることで練習することのように認識されていますが、本来は「研究し探る」ことです。
ダ・ヴィンチのエチュードへのこだわりを観るとその違いが分かります。
西洋文化がなだれ込んだ明治時代の間違った認識と和訳のまま教育されていることが多々あるのです。



2、 現代の作家であるロバート・ロンゴのドローイング作品です。
これは画用紙に鉛筆とチャコールで描かれています。これはどんなポーズ、何をしているところだと思いますか?



これはトランポリンを使い、モデルが空中で静止した瞬間を捉えたポーズを描いたものです。

3、 ワイズ・バッシュです。









この人は銅版画での表現などドローイング作家と言えるアーティストで、オーケストラの演奏者など動きのあるものをモチーフとしています。
僕はクロッキー制作の参考にしました。

ちなみにスケッチとクロッキーの違いは、短時間にその特徴を捉え描くことは同じですが、
人物や動物など‘動き’のあるものを描く場合は「クロッキー」、
眼に写ったかたちやアイデアなどを鉛筆やペンなどでごく簡単に記録する絵を「スケッチ」と呼びます。
クロッキーはデッサン力の基礎(手と頭の連動)といった絵画の訓練的な意味合いが強く、スケッチは制作のための記録や他者に作品のイメージや計画を伝えるため(エスキース、アイデアスケッチなどとして)用いられることがあります。なので、
皆さんは、デザイン&アートの初歩段階として、まずデッサンを制作をしていますが、実はこのクロッキー力やスケッチ力を意識して
短時間制作を繰り返し訓練していくと実践的に使えます。

4、 フランシスコ・ベーコンの油彩ドローイングです。



これはロックグループ ローリング・ストーンズのミック・ジャガーらメンバーを描いたものです。
このように油絵や水彩作品やイブ・クライン「炎の絵画」のように火で銅版に焼き付けた痕跡などもドローイング作品として紹介されています。

5、 これがイブ・クライン「炎の絵画」です。



現代になるともはや画材や表現の枠はなくなってきています。
では、本来デッサンでいわれていたエスキース、下絵、習作(エチュード)とはどういったものかを紹介していきます。

6、 これは彫刻家ヘンリー・ムーワのクロッキー



とアイデアスケッチです。











アーティスとは作品制作するために取材としてクロッキーやスケッチを大量に描きます。その後、完成イメージとしてエスキースや下絵を具体的に描いていきます。これらをまとめて「デッサン(計画、設計図の意味があります)」といいます。

さらに人物画では手や顔などのディテール(部分)を具体的に描いていった絵を「習作(エチュード)」といいます。

7、 これがミケランジェロの習作です。





ミケランジェロはホモセクシャルだったので、女性像の作品でも男性モデルのデッサンをもとに制作していたと聞いています。そのためミケランジェロの女神をテーマにした作品は筋肉質でたくましく感じられます。









ロダンの制作する柔らかでしなやかな女性像と比較すると面白い発見があります。
8、 ロダンの彫刻作品とデッサンをみてみましょう。デッサンをみてもその作家の視点がみえてきます。







女性を肉感的にとらえ、とてもやわらかくしなやかに表現しています。ミケランジェロとは女性に対する感じかたがだいぶ違ったことが分かります。

9、 ジャコメッティです。











彼は彫刻作品だけではなく絵画作品も多数描いています。






そもそも画家、彫刻科、版画家と分けるのは日本特有で、海外ではジャンル関係なしに表現の幅をひろげ活躍しているアーティストが少なくありません。先ほど空中で静止した瞬間のドローイング作品を紹介したロバート・ロンゴもドローイングから立体、インスタレーション、映画まで制作したりしています(ビートたけしが出演したキアヌ・リーブス主演「JM」)。
ジャコメッティに話を戻しますと表現が細長いデフォルメが特徴で、どんどん作品が晩年になればなるほど細長くなっていきました。



油彩作品では構造や空間性を意識していることがわかります。



再び、余談ですが
「油彩」とか[油絵]とか芸大では「油画専攻」なんていったりします。
「油絵」といういい方はどこか「絵描き」や「画家さん」をイメージしませんか?
欧米から入ってきた技法を「洋画」と呼んでいた芸大でも「日本画」に対して日本の「油画」という意味があるようです。
なので「油彩」という言い方は、そのジャンルや職業を示すのではなく、その画材や技法を用いるといった意味で使うことが多いのです。
たとえば版画を主に制作している作家が「先日の水彩スケッチを今回は油彩でやってみた。」といった感じで使います。         
世界のアーティストは、その扱っている画材や技法でジャンルを分けるのではなく、テーマや目的によって表現手段(メディア)を多用しています。
大学では彫刻を専攻し、卒業後は写真作品を発表している人がいますが、絵画(平面)畑出身の作家とは違った視点でファインダーを覗いていることが分かります。

10、次はアンドリュー・ワイエスです。




この人は息子のジェイムズ・ワイエス、父親のNC.ワイエスと親子3代続く絵描きバカ一家です。
アンドリューが最も有名で、その作品も繊細で達者です。91歳の今もメイン州で絵を描いているようです。絵描きバカです。





この人の油絵もそのためのエスキースや下絵となる水彩スケッチもドローイング作品として展覧会が行われ、自立した作品として売買されています。





11、では、島田ショウゾウのドローイングの展開を紹介します。初期の作品は写実的にものを捉えていたのが、視点がはっきりとし始め、デフォルメした表現になっていきます。最終的には島田ショウゾウの画風が生まれてきます。











この様な人物表現の展開だけではなく、構図や空間設定も枚数を重ねるごとに研究され、総合的にひとつの画風として構築されていきます。

12、これは安井曽太郎(東京美術学校 教授)のドローイング作品です。
日本では浅井忠に師事し、同時期の海老原龍三郎らと関西で洋画を学んでいた。その後、フランスに渡りアカデミー・ジュリアンで学ぶ(以前の作は焼き捨てたとのことで、彼の初期作品はほとんど現存していない)。フランス滞在の7年間の間にイギリス、イタリア、スペインなどへも旅行している。
最初はフランスでの作品、







そのあとの数枚は渡欧前のデッサンです。





木綿問屋の坊ちゃんの曽太郎は家の使用人らをモデルに素描していたようですが、これらの素描の変化がわかりますか?
関西の洋画研究所で学んでいた時期と渡欧して、何を学び吸収したのか少し想像してみてください。

写実と描写を意識した素描から、空間性や人体への視点、表現テーマが生まれ、人体の躍動感や空間の臨場感がダイナミックに描かれたデッサンになっています。また、対象物を見たまま写し取っていた初期作品と比較すると見上げた視線の動きを考えた構成になっています。
                                     
これら作家の作品展開をみるとドローイングの上達は、単に技術的なスキルアップだけではなく、対象物の捉え方や環境の変化、自分の視点(テーマ)も大きく影響してくることが分かります。
対象物の捉え方、見方や描き方、制作のテーマは様々で、作家のキャラクターや生き方、表現手段などの数だけ「画風」があるといってもいいでしょう。           
では様々な作品をみて見ましょう。
13、ロートレック、







キタイ、


岩崎ちひろ、




ホルスト・ヤンセン、






ジム・ダイン、




マッタ、


ゲルハルト・リヒター、


小磯良平、




大友克洋、



モンキーパンチ、



デビュッフェ、


タピエス、




シグマ・ボルグ


14、シド・ミード



のスケッチはパース画ですが、
現在のパースの原型をまとめたのはレオナルド・ダ・ヴィンチです。それ以前のパース技法を使った作品を少し観てみましょう。







次回へ、つづく



脳のストレッチ閑話

2020年03月20日 15時05分11秒 | 日記
アートストーリーでイメージを膨らませると脳のストレッチになる。

アートを読み解く人は、
表面的な好みで作品を選んでいない。
アートの観方は自由で、
好みの作家や話題の名画などを楽しむのが一番
だけど、
好みでもなく
どちらかというと一見、分からない作品のテーマや
隠されているエピソードを読み解いてみると
観方が劇的に変わる。

目で見ているのではない。脳で観ている。
視覚情報を処理するときに脳の25%、神経経路の65%以上が使用され
これは他のどの感覚よりも使用率が高い。
絵を観るだけで脳が活性化され五感が磨かれる。
絵を鑑賞(読み解く)することは、
観察力・思考力・伝達力を磨く。

すべて、思い込みが邪魔をしている。
他の人にとっては、どうでもいいもの、絵や言葉でもその出会いで、随分と気持ちが晴れたり、心が穏やかになる考え方ができるようになったりする。
一日に一つでもそんな出会いや気づきがあると嬉しい。見直す意識があればそんなことが意外なほどある。
大抵の悩みは、勝手な自分の思い込み。
周りも自分も絵を描くようによく観て見直すと色んなことが観えてきて気づきがあり、
気分が晴れてくる。
答えは決まっていない、創造すればいい。

① アートのはじまり。石器時代
映像の起源ともいえる壁画。紀元前3万年 古代壁画(ショーヴェ)。 壁際のたいまつの火が揺れるとでこぼこの壁面に描かれた動物の絵が動いているような錯覚を起こさせる。映像技術のアイデアをすでに古代人は発想していた。
ショ―ヴェ洞窟の壁画。 生きていくため獲物がとれるように願いをこめて描かれ、 まじないの儀式のために壁画をやりで突いたと思われるキズもある。 火を照らすとでこぼこの壁面に描かれた動物の絵が動いてみえる 映像の起源ともいえる効果がある。







② アートは人間の代用といった考え方。古代エジプトでは、王の死には廻りの者達が生け煮え(生きたまま埋葬)になるという残酷な慣習があった。生け贄えの慣習に代わり(副葬品)として美術品が生まれた。





③ 迷信による原始的な残酷さと美しいものをつくる能力が共存していた時代といえる。



④ 古代エジプト人は「人の目」を通したもの、また「人の意見」を通した(独創的な)表現を全く受け入れることがなかった。独創的な表現は、神への冒涜を表すこととなり死罪に値することだったから。
⑤ 美の追求ではなかった古代エジプトの壁画。一見 稚拙な表現にみえるが、生物学者が納得するほど正確な特徴が描かれていて、生息を証明する重要な資料になっている。 古代から絵を描くことは、日常的な伝達手段、記録手段として活用されていた。



⑥ 紀元前3千~30年 三千年の歴史、古代エジプト。 太陽暦、幾何学。

⑦ エジプト絵画のルール。
身分の高い人ほど大きく描く、小さいのは子供ではなく低い身分や奴隷たち。



遠近法を使わないが集団、奥行を描くときには上下左右にずらして少しずつ重ねて描く。



⑧ 顔は横顔とする、目は正面を向く。 肩、胸、腕は正面を向け胴体と足は横向き。 足は左右を描き分けない。 土踏まずを描く場合には、両足に描く。



⑨ 死後の世界との接点が多く見られる古代エジプト美術。古代エジプト人は、死後の世界に対して独特の関心を持っていた。古代エジプト人ほど「永遠」という言葉を好んだ民族はないといわれる。かれらの死後の世界を描いたのが「死者の書」。のちのユダヤ教、キリスト教の「最後の審判」に影響をあたえた。





⑩ 紀元前2千4百年 古代ギリシャ。 ソクラテス、アクロポリス。 エジプト文明は地中海を渡り、クレタ島からギリシャ都市国家に影響していった。 ギリシャ人は、アートを 「熟練した洞察力と直感を用いた美的な成り行き」と定義した。





⑪ 古代ギリシャの哲学者とは、宗教と科学の狭間にある者で宣教者でもあり科学者でもあった。 また、ギリシャ人は厳格なルールに縛られない自由な人種だった。 ルールはあるもののその中にも限りなく自由があり、 そんな思考がクリエイターに大きな影響を与える。
⑫ 古代ギリシャの絶対的な美の基本 心身の動揺を伴うような強い感動【emotion】をどれくらい与えられるかにあった。 その頃はアートといった学術的な縛りはなく、教育や学問の目的が共通して人類に【emotion】を与えることだったといえる。



⑬ 古代ギリシャでは人の心を動かす本質を真剣に考えていた。
⑭ 絶対的な美 古代ギリシャ人は『絶対的な美』について、 見るものをどれくらい感動させられるか、という点にあると考えた。 その結果、ギリシャの芸術作品は 完璧な美を備えている神々の姿をとった彫刻が多い。





⑮ 古代ギリシャの哲学者ソクラテスの弟子はプラトン、 プラトンの弟子はアリストテレス。 アリストテレスはアレクサンドロス大王の家庭教師だった。 ソクラテスは自分の哲学を著作しなかったのでプラトンが書き残した。 弟子を集めてエロスを追求していた。







⑯ 顔の表情があまりないギリシャ彫刻 これは古代ギリシャ人の『人間的感情を公で出すのは野蛮である』の考えに基づくもの。 日本でも平安貴族と鎌倉武士それぞれの考えの違いで彫刻の表情が全く違う。どの時代も人の考え、思いを伝えている。



⑰ ヨーロッパ中世時代:絵(アート)は伝えるための道具。
⑱ アートの暗黒時代【中世時代(東ローマ帝国)】
海賊や山賊がのさばるなど無法地帯となっている世を宗教の規律(神の教え)で統制した。言葉の理解や文字が読めない者たちも含め広く布教していくためにアートを利用した。



⑲ 時代によってアートの目的とモチベーションは違うところにある。 古代ギリシャでは美(理想美)の基本、エロス、感動を表現しているのに対し、 中世(キリスト教美術)時代は感情(愛情、罪、罰、苦悩など)を表現している。 だから中世時代の絵画は重たい。



⑳ 大きな流れに沿いながらも信じる方向性を示していく。ただ反発しても結果は出せない。アートの暗黒時代”ビザンチン”。宗教のために美術が利用された時代から、人間本来の姿に関心を向けていった”ルネサンス”に繋げた画家ジョット・ディ・ボンドーネの功績は大きい。



21 ヨーロッパ 中世 ロマネスク、ゴシック、ビザンチン。 宗教のためだけに利用された美の暗黒時代。 教会堂建築は最高の知識・技術・芸術が集約されている。 クリエイターたちがストレスを受け入れて、希望を見出した時代。
22 昔の作品は、古典って言われるけど、その当時は最先端の技術で制作されてたヒット作。 教会は、建築技術、ステンドグラス、フレスコ技法など その時代の最新技術を使い、 庶民たちを空間的に圧倒し、神の存在を信じさせた。 今でいうアミューズメントパークや先端技術を使ったイベント空間である。





23 どの色が使われているかで、西洋絵画の読み解きができる。
赤=慈愛・殉教・権力
黄=異端者・邪悪さ
白=純潔・無垢
黒=禁欲・死
緑=希望・恋
青=誠実さ・悲しみ
多色、縞=社会の規範を乱す者

これらは西洋の宗教絵画の色彩ルール。



24 西洋絵画のルール
羊=純真・神への犠牲 鳩=清純さや犠牲の象徴・平和や愛を表わす
牛=生け贄・人類の犠牲となったイエスを象徴する
白鳥=音楽や愛を象徴
ユリ=聖母マリアの純潔を象徴する花
バラ=愛と美、聖母マリアの純潔の象徴
ブドウ=イエスの生命の象徴、血を表す
サクランボ=イエスの受難と聖餐(キリスト教の儀式:最後の晩餐など)を象徴
ドラゴン=災いをもたらす邪悪な存在。異教徒



兎=多産と色欲。聖母マリアの足元に描かれる時は色欲が純潔に打ち負かされることを示す。



25 描いた絵が大理石に代わるフレスコ画 石灰と川砂を混ぜたモルタルが乾く前に描くので表面ににじみ出た石灰が被膜となり大理石化するので色が退色しにくくフレッシュ。 だから、語源はイタリア語の "fresco" (新しい、新鮮な)という意味。



26 14〜16世紀  ルネサンス。ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ。油絵具の誕生。活版印刷術、羅針盤、火薬の三大発明。コロンブス、マゼラン。 16〜17世紀  バロック・ロココ時代、絶対王政。ルーベンス、レンブラント、フェルメール。デカダンス(芸術至上主義)。 通史は面白い。
27 ルネサンス3巨匠 ラファエロ,、ミケランジェロ、 ダ・ヴィンチ

28 ミケランジェロはこもりがちな性格で一途に仕事をするタイプ。 ラファエロは37才位で死ぬが、社交的で社交界の花。宮廷、財閥らパトロンに引っぱりだこのナイスガイで、 ダ・ヴィンチはパトロンからの仕事も中途半端で完成させず、二人とは正反対。
29 レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年〜1519年) ルネッサンス期のミケランジェロ、ラファエロらと三代巨匠(芸術家)の一人。「最後の晩餐」「モナ・リザ」などで誰もが知っている画家であるが、 それは彼の単なる一面であり 実は、環境の観察に膨大な時間を費やしていた科学者でもある。


30 レオナルド・ダ・ヴィンチは、 凡庸な人間は「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆き、あらゆる楽しみの根底には感覚的知性を磨くといった真面目な目的があると提唱していた。
31 『最後の晩餐』 消失点であるキリストのこめかみには穴が空いている。ダ・ヴィンチは、この穴からひもを引っ張って作図した。ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれている遠近法(一点透視図法)を完璧に実証している絵。



32 名画モナ・リザは技法のデパート。 顔や右手に比べて左手が以上にでかい。一番手前のインパクトを出すための対比。背景は輪郭線を使わない空気遠近法。頭に薄いベールをまとうことで輪郭線をぼかし表情を際立たせている。“重ね”の効果も使っている。



33 ダ・ヴィンチは、最先端の技術・技法と新しい視点・考え方で 芸術、解剖学、医学、自然科学、発明…様々な分野でイノベーションを起こした。




















34 ミケランジェロはホモセクシャルだったので、女性像の作品でも男性モデルを描いたデッサンをもとに制作していた。 そのため女神をテーマにした作品でも筋肉質でたくましく感じられる。



35 顔がでかいダヴィデ像。遠近法は絵画だけの技法ではない。巨匠ミケランジェロ作 ダヴィデ像。 見上げる位置にセッティングすることを計算し、胴体に対して顔を大きく首を長く制作し下から見た時にプロポーションが自然にみえるように造られている。



36 細密描写が得意な画家デューラー。 自分は芸術界の救世主!といわんばかりに自画像にイエス・キリストのテイストを盛り込んで描いている。 絵画は写真のように見たままを写すのではなく様々な情報をブレンドして描かれている。 絵は情報伝達ツール。



37 バベルの塔。 ブリューゲルの絵はいつも壮大で、日常と幻想のハイブリットなので速攻でわくわくする。この絵を初めて観たのは小学校の教科書。 マンガの『バビル2世』が大好きだったので親近感もあったせいか一目でその世界観の虜にされた。



38 バロック絵画は”ビジュアル インパクト”のルーツ。 『いびつなな真珠』ともいわれるバロック作品は、 誇張した表現、劇的な構図、歓喜するテーマなど 現代のハリウッド映画など各メディアのお手本になっている。



39 バロック絵画は、キリスト教布教のための大看板 広告だからインパクトを持たせるためにビジュアル技法が研究されていった。 映画の3D化と同じ誇張と歓喜。バロック絵画ってその当時の最先端技法を使った広告塔、現代のハリウッド映画のようなもの。
40 古典絵画の中に現代も必要とされているプレゼンテーションのスキル要素、ノウハウが盛りだくさん。名画はその当時のヒット広告。壁画や古典絵画は、遠目で際立つ看板や広告の原点。インパクトの出し方、人の心のつかみ方など研究されている。
41 絵で光と影の演出革命を起こしたカラバッジョ。 17歳の時天涯孤独の身となりローマで絵の修業をするが賭け事の口論で殺人を犯す。絵の才能で免罪されるが激しい気性のため罪を繰り返す。
42 人を殺め逃亡しながらも絵を描き、その才能のおかげで免罪されてもその気性の荒さからまた罪を犯し、逃亡生活の中で歴史に残る作品を描き続けた画家。遺作と同様に斬首刑で幕を閉じた人生も作品も劇的なカラバッジョ。



43 名画やヒット商品は制作者の提案がユーザーに伝わるだけではなく、制作者の思いがユーザーの思いに交ざり合い各ユーザー個々の物語として広がっていく。ルーベンスのようなヒットメーカーの【デザイナー】は思いを共感させるコミュニケーションの達人。
44 バロック絵画の巨匠ルーベンスはコミュニケーションの達人であり、優秀な外交員でもあった。現代でいえば売れっ子デザイナーといえる彼を悩ましていた病は痛風。王侯並みの生活が原因だったのか贅沢な晩餐会などの付き合いの数も多かったのだろう。



45 バロック絵画の巨匠レンブラントは、この作品がきっかけで落ち目になった。
46 バロック時代、画家はクライアントの依頼に忠実なデザイナーだった。 バロック絵画の巨匠レンブラントの集団肖像画『夜警』は、勝手にストーリーをつくられて不公平だといった理由で依頼者たちに訴えられた。



47 クリエイターは一人の力だけで仕事をしない。傲慢さで力を封じ込めないように人との関わりの中で揉まれながら探求し成長し続けるから活力と幸福感が持続する。バロック絵画の巨匠レンブラントは不運が続き、一人閉じこもることで成長を止めていった。
48 バロック絵画は、キリスト教布教のための大看板 広告だからインパクトを持たせるためにビジュアル技法が研究されていった。 映画の3D化と同じ誇張と歓喜。バロック絵画ってその当時の最先端技法を使った広告塔、現代のハリウッド映画のようなもの。



49 人生の寓意画。 17世紀 バロック時代の静物画。 リュートは聴覚、パンは味覚、巾着は触覚、花は嗅覚、鏡は視覚、それぞれ五感を象徴して描かれている。この時代の静物画は、物の意味(寓意)の要素が濃く、人生の寓意画として描かれている。



50 王女の遊び相手の道化に踏まれても我慢している忠実を表す犬は、宮廷画家ベラスケス自身。画面奥の鏡に王女の部屋に入ってきた王が映っている。王女たちが緊張した空気に包みこまれた瞬間を描いて絵、王家の隠された真実を絵画の中に描き残している。



51 ニュートンが光によって色が見えることを発見した。大半の人々はリンゴが地面に向かって落ちることも闇で色が認識できないことも疑問に思わないで過ごしていた。ニュートンが万有引力や光によって色がみえることに気づくまで追求することはなかった。



52 ロマン主義のドラクロアなど産業革命で庶民が力を持ち始めた活気を感じます。 バロック主義は、ルーベンスの画面構成とレンブラントのストーリー性といった2大巨匠の絵画が現代のハリウッド映画を思わせる誇張と歓喜の原点といえます。
53 18〜19世紀 ロマン主義。 ドラクロア、ゴヤ、産業革命、フランス革命。線路、機関車の発明。



54 ロマン主義の「ロマン」とはロマンティックではなく 「ローマ帝国の(支配階級、知識階級ではなく)庶民の文化に端を発する」 という「ローマン(ローマの人)」といった意味。 この時代は絶対王政が終わり産業革命が起こり、民衆が力を持ってきた。
55 絶対王政が終わり産業革命で民衆が力を持ってきた時代、 ロマン主義が起こった 。 「ロマン」とはロマンティックではなく、「ローマ帝国の(支配階級、知識階級ではなく)庶民の文化に端を発する」という「ローマン(ローマの人)」といった意味。
56 ヨーロッパでロマン主義と産業革命が18世紀に起こって、 絶対王政から市民が解放されたとはいっても庶民の生活は劣悪だった。 大企業は潤っても都市で働く庶民の生活は変わらず貧困で、 平均寿命は15年(古代エジプトより短い)だった。
57 ロマン主義のドラクロアなど産業革命で庶民が力を持ち始めた活気を感じます。 バロック主義は、ルーベンスの画面構成とレンブラントのストーリー性といった2大巨匠の絵画が現代のハリウッド映画を思わせる誇張と歓喜の原点といえます。
58 シェイクスピアの戯曲に登場する「オフィーリア」が描かれた絵について。 実は絵の背景に色々な意味が込められています。そう思ってもう一度絵を観ると、今までと違った感覚で捉える事ができます。



59 バルビゾン派と呼ばれる画家たちは、 都会から田舎へはじき出されたのではない。 自ら都会の下らない権威や醜い争いから離れ、 人間本来の生き方を正しく見直そうとした。



60 イノベーション(新しい視点、開発、考え方)を起こすクリエイターの思惑、思いとは 違ったものとして、誤解されてしまうことがある。
61 印象派の父といわれる画家マネのスキャンダルをまねいた作品『オリンピア』。



62 その時代の発明・発展と美術の展開との関連性は強い。 19世紀 印象派の時代。 チューブ入り油絵具、写真技術、電球、電話の発明。 電気で明るく照らされたアトリエ。 絵具チューブをもって、野外で油絵が描けるようになり色も輝きだした。



63 19世紀後半 印象派の時代。 モネ、ドガ、ルノアール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン。 チューブ入り油絵具、写真技術、電球、電話の発明。 美術史も通史で学ぶとアートが面白くなる。
64 気持ちがいい晴天。こんな日は野外で絵でも描きたい。 19世紀にチューブ入りの絵具が発明されてから、野外の日の光の中で絵具を使って描けるようになった。 この発明が、輝くような色使いをする印象派の画家たちを生んだといってもいい。
65 バロック、ロマン主義時代の威圧的で重厚な絵画と比べて 印象派画家たちの絵画はいきなり軽やかに輝きだす。 これはチューブ入り絵具が開発され、暗く閉鎖された工房やアトリエから解放されて、光に満ちた野外へ飛び出していたこともその理由の一つ。
66 19世紀に写真が発明され、それまで依頼されてきた肖像画、風景画などの仕事が減少し、印象派の画家たちは、失業していった。いわゆる宝の持ち腐れとなった。クライアントがいないのだったら自分が好きなもの、信じる絵を追求しようということになる。



67 写真に発明で絵の依頼が減り、画家たちは失業する。クライアントを失った印象派の画家たちは自分の描きたいもの信じるものを描き出す。題材も日常生活や家族、友達の姿を描き出した。
68 印象派時代、 絵具チューブの開発で野外などどこでも描けるようになり描く題材も日常や家族、友達の姿を描いている。
69 画家のオディロン・ルドンは、鮮烈な色彩で花を描いた。 若い頃は印象派の色彩表現に惹かれながらも あえてモノクロの版画を利用し想像力を磨いた。



70 鮮烈な色彩で花を描いたオディロン・ルドンが色を使い出したのは、 50歳を過ぎてからである。



71 クリエイターの発想の源にジャンルの隔たりはない。画家オディロン・ルドンは植物学者アルマン・クラヴォーと知り合い、顕微鏡下の世界に魅せられ、その出会いが画風にも影響していく。個性とは環境に造られていく。氾濫する情報からの選択眼が重要。
72 クリエイターは色んな側面を持つ。
73 人や物事は色んな側面を持つ。
74 情熱の画家ゴッホの遺作『花咲くアーモンドの枝』。生命力にあふれる『ひまわり』の絵で有名なゴッホは、彼を支えてくれた弟テオの生まれたばかりの息子のために春を待つかわいい希望の花を最後に描いて亡くなった。



75 ”思い”の強さで違いがでる。画家になる前にゴッホは牧師だった。ゴーギャンは25歳頃までは株の仲買人。 ルソーは”税理士”で世に出ている作品は50歳過ぎに描いたもの。 歴史に残る作家は特別な才能があったということより”伝えたい思い”といったモチベーションが極めて高かったといえる。
76 歴史に残る作家は特別な才能があったということより思いを伝えるモチベーションが極めて高かったといえる。画家になる前にゴッホは牧師だった。ゴーギャンは25歳頃までは株の仲買人、ルソーは税理士で、世に出ている作品は50歳過ぎに描いたもの。



77 25歳頃までは”株の仲買人”だったゴーギャン、ゴッホは牧師、税理士だったルソーの世に出ている絵のほとんどは50歳過ぎに描いた。 年齢的に遅いというものはなく10、20代で人生は決まらない。



78 株式仲買商の仕事を辞め、家族も捨ててタヒチに渡り、絵を描いたゴーギャンの遺作、最後の作品『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』1897-1898年。 このタイトルの真意、描いた心中がとても気になる。



79 追及したいといった執念が感覚を鋭くする。 印象派の画家ドガ。 彼は晩年、視力をほとんどなくしながらも経験と記憶で絵具の色の違いを 嗅覚で嗅ぎ分けて描いた。
80 画家ルドンの描く絵は、肖像画や花瓶に生けられた花でさえ神秘的にみえる。 なぜなら彼の興味は、周りで騒がれる売れっ子の画家たちの作品や世の中の風潮より、幼い頃から大好きだった神話の世界や顕微鏡でのぞきみる世界に向かれて大切にしていた。
81 エゴン・シーレの”ドローイング(デッサン)”は、 絵画への準備(下描き)的な制約からそれを解放して、作品として独立しうるものになっている。



82 19世紀フランスの画家コロー あえて民族衣装をまとわせ人物画を描いた。 風景画を描くときも民族衣装を着た人物を画面に入れ、時代劇の一場面のような絵を描いた。 母国の文化を大切に思い、現代人が自分たちのルーツを忘れないように努力した。



83 夕焼けを描いた絵画がなかったかなあーと思ったら、ターナーがいた。 このイギリス人巨匠画家は、夕焼けか朝焼けだか分からない絵が多いが、 実は油絵の溶き油が長い年月でやけて、黄変しているせいだったりもする。



84 モンマルトルのカフェで芸術論をぶつけ合い苦悩する前衛画家たちの中で、幸せそうに絵を描いていたルノアール。師匠から「君はなぜ描いているのだ」とかいった問いに対して「楽しいから」と答え、破門された。そんなルノアールは絵画に輝きを与えた。



85 印象派の巨匠、病床のルノワールは最後にアネモネの絵を描きました。「ようやく何かがわかりかけた気がする。」という言葉を残し、その夜に亡くなったそうです。78歳でした。



86 光に照らされた明るい部分の色は”白い”のではなく“鮮やか”にみえる。いわゆる発色がよく、彩度が高い。絵具は混色することで彩度が下がる。印象派の画家たちはキャンバスに純色を置くように重ねていった。だから色に光を感じる。



87 それまでの絵を描く目的、題材が宗教や権威、権力といった限られたものから 印象派の画家たちによって、単に庶民的になったということだけではなく、描くモチベーションの幅が宇宙での出来事まで一気に広がっていき、画期的な発展を遂げている。



88 肖像画とは写真のように写し取ることが目的ではなく、 その「人物」を象徴する情報を組み合わせ、描き伝えること。 収集する情報の選択と整理をするときに作者の視点、解釈が加味される。
89 原始人たちは、住いの壁に生きていくためのサバイバル生活を描いた。古代ギリシャは“感動(エロス)、中世は感情(宗教)、ルネサンスは人間(現実)を表現した。バロックは権力、ロマン主義では革命。 印象派から個人的なタイムラインを描き出した。





90 近代、世界中の新進気鋭のアーティストが集まっていたフランス パリから、 第2次世界大戦後の1950年代ころ、前衛アートシーンの中心がアメリカのニューヨークに移ってきた。 アートの主導権争いも経済や国力に左右されてきた。
91 実体のないものをテーマに描こうとした絵。形而上絵画
92 郷愁や哀愁、人の心情を描くとこんな絵になる。画家キリコ、何か不安になる絵画。



93 静謐、郷愁、謎、幻惑、困惑、不安など、かたちがないものをテーマとして描いた絵。 「時計は、正午に比較的近い時刻を示しているのに影がひどく長い」 「走る汽車の煙はまっすぐ上に向かっている」



94 シュルレアリスムの画家サルバドール・ダリ。毎回、クオリティーが落ちないように時間をかけて丁寧に砂糖で固めていた長くそり上がったひげがダリの象徴といえる。そんなこだわりに「シュルレアリスム画家ダリ」として生きる魅力を感じる。



95 自宅アパートの狭いキッチンで、世界中に名をとどろかせる絵を描いていた庶民派の画家マグリット。 キッチンの窓から見える風景やテーブルの上の果物などどこにでもある身近なものから想像を膨らませていた。



96 スーツ姿で描いていた庶民派サラリーマン画家マグリット。



97 「発想は情報の組合わせ」
知らないものや理解できないものにはなかなか共感できない。そんなものでも見慣れたものとの組合せで受け入れやすくなる。新鮮な視点が物事を劇的に変える。画家マグリットは皆が知っているもの、身近なものの新鮮な組み合わせで世界を驚かせた。







98 『私は人々を癒す肘掛け椅子のような絵を描きたい』 画家 マティス。 身の丈を超す巨大な観葉植物が立ち並び、テーブルの上には多様な花でいっぱいの植物園のような自分にとって心地よい空間、創作環境で数々の傑作を生みだしていた。





99 画家も何のために描くのか”その思い”が心に響く。
100 「へたくそ」「素人画家」とパリ、モンマルトルの画家たちから馬鹿にされていたアンリ・ルソーの絵をその頃、近代絵画の巨匠ピカソだけはほめていた。やはりピカソには、絵を「上手い下手」だけでは評価しない先見の明があったといえる。
101 日曜画家だったアンリ・ルソー。 世界的に知られる名画はすべて50過ぎに描いた作品。



102 パリの画家アンリ・ルソー 異国のジャングルや森の中を描いていることからナポレオン4世のアフリカ遠征に同行したなどとうわさされていたが、実際には近所の植物園でのスケッチとお気に入りの動物写真集と旅行をしてきた知人の話を参考に描いていた。
103 画家ルソーの絵は本当に体感してきたような緻密さとリアルさがあるが、ジャングルに行ったことがない。



104 伝達手段の発達(映画)、キュビズム。モダンアートの時代。 ルネサンス以来の写実(遠近法、色)を放棄。 目に映るもの、色彩ではなく、心が感じる色彩とかたちを表現した。ダ・ヴィンチから引き継がれていた遠近法を否定した近代絵画の巨匠ピカソの作品 「アビニヨンの娘たち1907年-1908年」「私は対象を見えるようにではなく、私が見たままに描くのだ。」 =多重視点構造⇔単視点構造(ルネサンス以降の絵画)



105 近代美術の巨匠ピカソは、友人(画家)のアトリエに招待されなくなっていった。それはピカソにはライバルたちの新作を一目みただけで模倣ではなく、完全に自分の作品として創造する力を持っていたからだ。
106 ピカソは、他者の新鮮な発想を価値ある情報であると一瞬で見抜き、個性にしていった。
107 一人では天才は生まれなかった。 環境やパートナー、ライバル達からの影響で、創造性とその才能も開花していったといえる。
108 画家ピカソは正式な妻以外にも何人かの愛人を作った。 ピカソは生涯に2回 結婚し、3人の女性との間に4人の子供を作った。 出会った女性たちや周り友人、ライバルたちによって”天才ピカソ”も”個性的な作品”も造られていったといえる。
109 ピカソは、新鮮な情報を他者から盗み、新しい視点と組み合わせで 美術表現にイノベーションを起こした。
110 フランシス・ベーコン。ピカソと並ぶ近代の画家であるが、描く対象としていた友人(パートナー)を失うことで創作のモチベーションを保てなくなった。 エゴン シーレもシャガールもパートナーの存在なしでは名作は生まれなかった。 人の原動力は人。



111 アンチアートの時代
「芸術」という概念そのものを疑う。 美術館に回収されることや画商などに商品として扱われることを拒否。 それまでの芸術性を無視した絵画、日用品などを作品として展示するレディ・メイドなど過激ともとられる表現がでた。



112 彼女とのことばっかり、ずっと思い続けた画家シャガール。



113 たまに思い出して気持ちが新鮮になる言葉 「私たちの生き方には二通りしかない。奇跡など全く起こらないかのように生きるか、すべてが奇跡であるかのように生きるかである」 by アインシュタイン



114 現代
真夏日が続いてぐったりするので、プールで泳ぐ涼しげな作品。 ポップ・アート運動にも参加していたデイヴィッド・ホックニーは、プールの写真や絵の作品をたくさん制作している。



115 西洋では日が暮れてもなかなか明かりをつけない。 薄明りの中で過ごす時間が多い人ほど明暗の感度が敏感になる。 東洋画の線のこだわりに対し、西洋画は光と影にこだわり、 その表現に幅がある。

子どもは右脳で絵を描く

2020年03月19日 20時22分02秒 | 日記


『子どもは右脳で絵を描く』

子どもの描く絵は、対象(モチーフ)の特徴をとらえた大胆な線や色で描かれています。なぜなら、知識としてまだ知らないものばかりなので、余計な先入観や思い込みで対象を観ていないからです。知らないからこそ”よく観る“、いわゆる”芸術家の目“をもって絵を描いているのです。
印象派の画家クロード・モネが語るように「誰でも絵は描けるが、自分の見ている程度に描ける」のです。逆に対象の構造や特徴、印象までも的確にとらえて、絵に描けるということは、その対象を「理解した」といえるのです。

クロード・モネ『睡蓮』(1920年-1926年)オランジュリー美術館

人生を長く生きてきた大人ほど、世の中のほとんどのもの事を「知っているという思い込み」のフィルターを通して見ているのです。
野原で一輪の花を見かけて「何だ、すみれの花か」と言葉で理解した瞬間、見るのをやめます。よく観れば、かつて気づかなかった美しさに感動できるのに知っていると思い込んでいるのです。そんな時、芸術家は何度でも繰り返し見直します。成功している起業家や科学者は、言葉での理解を疑い、実際によく観て、自分で気づいたことで判断し実行しています。
『トムソーヤの冒険』の著者であるアメリカの国民的小説家マーク・トウェインも「やっかいなのは、何も知らないということではない。実際は知らないのに知っていると思い込んでいることだ。」と提唱しています。

この右脳(画像)で理解することは、絵を描くことにとどまりません。自転車に乗る、アスリートの動き、囲碁や将棋、ゲーム、料理をする、楽器を弾くこと、初めての任務など新たに挑戦することすべてに当てはまるのです。

人の脳は、「名前などの“言葉”」と「顔などの”画像“」とで記憶する場所が違います。画像を記憶する右脳(側頭葉)の容量は無限なのに、現代人は言葉で理解をして記憶量に限界のある左脳(側頭葉)で覚える習慣をすり込まれてきました。だから、人生経験があり知識が豊富な大人よりも経験や知識が浅い子どもの方が、右脳を活用しているので限界がなく、何事においても上達が速いといえます。いつも新鮮な気持ちで右脳を使って絵を描くように”よく観る“習慣を身につけていけば、子どものように誰でも芸術家にもどれるのです。

人は、脳の表面の大脳皮質で見覚えのある顔からエピソードを検索し、忘れていた名前の記憶を引き出しています。こんな情報処理ができる脳に進化してから人が芸術性、いわゆる創造性を身につけたと考えています。他の動物にない創造力で人は、それまでの記憶を頼りにイメージした絵を描き、道具を造り出し、物語を考え、歌を創作していったのです。

絵を描けば、脳がさらに機能すると考えています。
日本人は絵を描く文化があるので絵が描けないのではなく、描く楽しさを忘れているだけなのです。
子供の頃、漫画や落書きでワクワクしていたことを思い出して絵を描けば、子供の頃のように創造力が湧いてきて
再び成長を続けることでしょう。