美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

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なぜアートなのか?

2017年01月29日 19時57分49秒 | 日記
なぜアートなのか
目で見ているのではない。脳で観ている。
視覚情報を処理するときに脳の25%、神経経路の65%以上が使用され、
これは他のどの感覚よりも使用率が高い。
絵を観るだけで脳が活性化され、神経が磨かれる。
絵を鑑賞(読み解く)することは、観察力を磨く。
すべてに関わる。

観察力を磨くことで
読解力、洞察力、的確な判断力を磨く。
画家の感覚、頭の中のイメージまでも可視化できる画力だけではなく
モチーフの本質を捉える観察力や
名画に潜んでいる情報を読み解ける洞察力など
画家の五感を使ったリサーチ力、思考力、伝達力が
様々な仕事に必要とされてきている。

毎日を新鮮に向かえること。
環境の変化に順応していくためには創造性が必要。
創造が脳や身体を最も進化させる。
気づいたことを絵に描き発想を具体的に展開していくことは
一気に色んな感覚や感性、体の機能を連携して使う。
どんな仕事だって、脳と体の連動と展開や考え方の新しい視点が必要。

デッサンで必要な観察眼とは表面的な描写力だけではなく、観ているものの構造や光など周りからどのような影響が及ぼされているのかを読み解き、理解する力である。 このリサーチ力、伝達力は絵を描くことにとどまらず様々な仕事にも必要とされる。

デッサン力があるということは、絵の上手い下手の違いではなく情報を収集する力や伝達する能力、ものごとの構造を見極められることや構想している計画や企画を具体的に展開していく能力。 頭の中のイメージ(ビジョン)を絵に描き出す感覚を磨くことが、日常生活や一般的な仕事で見直されてきている。


「アート・デザイン」と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?インテリア、ファッション、絵画、彫刻、ルーブル美術館、印象派…などでしょうか?また、思いどおりに絵を描いたり、造形できたりすることだけがアート・デザインの魅力、威力でしょうか。
日本では、芸能スポーツに関する情報やその選手、芸能人たちの活躍は各メディアで頻繁に紹介され、社会におよぼす影響力もひろく知られていますが、アート・デザインもまた、あらゆる分野での可能性を秘めながらその威力や魅力を充分に有効利用されていないのが現状です。スポーツと同様、アート・デザインも生活に密着したものです。また、その土地の文化に根付いたものであり、その時代を象徴するものでもあります。だからこそデザイン&アートの基本表現である『デッサン』を学ぶことで、その時代の中で生き抜く力を培っていくことができるはずなのです。
 「アート・デザイン」表現がおよぼす人への影響力は多岐にわたり、はかり知れません。「表現」といっても音楽や絵画、彫刻、小説などに限らず、あなたがアート・デザインと考えるものなら旅行や料理、仕事、趣味、子育て、コミュニケーション、リフォーム、遊びとどんな表現にもあてはまるはずです。それがアート・デザインの魅力であり、威力です。

「アート・デザイン」力が日本の現代社会でも、あらゆる分野でその威力をまだまだ一般的にひろく発揮できると感じています。その効果の対象として、教育、医療、スポーツ、科学、政治などその可能性ははかりしれません。
その威力、効果の中にバランスの崩れた環境によってアイデンティティーを見失いかけた人の精神状態を修復し和らげる作用もあります。物事を遂行するための最良のシステムを解明できる可能性も秘めています。
アート・デザインの基本である「デッサン」で学んだことは、アート・デザインの専門分野の枠にとどめず、ビジネスや人生の営みに関わる様々な場面で活用できるのです。


真実

2017年01月29日 14時51分59秒 | 日記
人と同じ情景を見ていても、人によって違う情報の捉え方で
違う感情、考え方が生まれる。
多角的な視点で情報を捉えなければ
真実は見えてこない。
情報の捉え方で判断が
大きく大きく変わる。

下半身が麻痺していたので草原に腰を下ろして寛いでいるのではなく
這って進むしか出来なかったクリスティーナ。
「大部分の人が絶望に陥るような境遇にあって、驚異的な克服を見せる彼女の姿を正しく伝えることが私の挑戦だった。」
クリスティーナから感じた世界を画家ワイエスは絵で伝えている。


『ハックルベリー・フィンの冒険』の著者マーク・トウェインは、
色んなことに気づいている。

「アダムはリンゴが欲しかったから食べたのではない。禁じられていたから食べたのだ。」
「やっかいなのは、何も知らないことではない。実際は知らないのに、知っていると思い込んでいることだ。」
「正しい言葉と、おおむね正しい言葉の差は、稲妻(lightning)と蛍(lightning-bug)ほどもある。」

自分らしく活きられるためのパートナー

2017年01月28日 10時34分15秒 | 日記
⑧手段(スキル:他者への説得力)
 「イメージを表現できる方法、テンションが上がる行為、性分」

 アートの授業で、「どんなアートをしたいですか?」という問いに対して、「写真、絵画、映画、彫刻…がしたい。」など、ほとんどの学生が「イメージ・モチベーション」ではなく「限定された制作手段」を答えてしまいます。「どんなことがしたいですか?」と質問をかえると「冒険がしたい。日頃訪れない場所を探索したい。`基地`をつくりたい。物語をつくりたい。話題のもの、場所を調査したい。何かの役に立ちたい…」などの返答が出てきます。それこそアートの活躍の場になっていくはずなのに答えた本人にそんな認識がない。
以前、パリ在住のアーティストたちと現代美術交流としてパリ市内に滞在(アーティスト・イン・レジデンス)し彼らと生活を共にしました。そのときに彼らの生活と密着した美術意識、社会でのアートの重要性、アーティストの存在の必要性、一般市民の芸術への理解や関心の高さを体感しました。日本では、芸術教育の影響なのか、芸術に対する認識の浅さの現れなのか、一般的に芸術の鑑賞や表現の幅を限定し、しかも「表現手段」は音楽、写真、絵画、映画、彫刻 といったものの枠内で考えてしまう人がたくさんいます。ガーデニングも料理、手紙、手編みのセーターも遊びで造った土だんご、砂の城、壁の落書き、収納など日常の中に「デザイン&アート」が溢れています。
例えば、散歩は日常的な行為だが、何か明瞭な「イメージ・モチベーション」あるいは「衝動」をもった場合、それは「表現(パフォーマンス)」となりえるでしょう。私たちは生活を営むことですでに「デザイン&アート」に関わっているのです。あなたがやりたいと考えていること(衝動)が「デザイン&アート」の表現になりえるのです。
 「デザイン&アート」とはそれを表現する手段のことではないと述べてきましたが例外的な見方ができる場合もあります。例えば「無形文化財」に指定されている「技」などがそうです。「技」そのものが芸術といえることがあります。旅行にしても人とのコミュニケーション方法にしても目的達成(結果)を優先すれば、その手段(過程)は重要ではない。しかし、その過程(工程)にこだわるとしたら、その選択した工程そのものが「芸術」となるのだろう。なぜなら、たくさんの工程を重ねて制作される「漆塗り」などは日本の伝統工芸の「職人技」自体が芸術となる行為(表現)といえるからである。
 では、デザイン&アートの「手段」は何を選べばいいのだろうか?結論をいえば「衝動」に素直になればいいのだが、その「素直になる」ことがけっこう困難なのである。「パートナー」みたいなもので、その選択は難しい。出会い(運命的なもの)もあれば、目的達成のために相性の合うものを探し吟味して選択する必要があるのかもしれない。いづれにしても常に自分が自然体で素直に振る舞えることが大切で、更にあきないで続けるほどにテンションが上がっていくものを選べるといいのだろう。ありがちですが、最初から道具や手法、技法にとらわれない方がいいでしょう。そのためには、まず自分自身を「知る」必要があります。「自分」とはどんな存在で、どんな習性をもった「生きもの(表現者)」なのかがわからないと相性の合った「手段」はみつかりません。また、自分を知る様にその「手段」のことも末永く”共存”していくために少しは知っておく必要があるでしょう。その「手段」があなたの「パートナー」になったとしたら、生涯を通じてきっと心強い存在になってくれるはずです。

思い込みは気づきにくい

2017年01月23日 16時28分46秒 | 日記
思い込みは気づきにくい。
他人と自分とは、同じ環境で同じ経験をしても同じ目的であったとしても
見えていること、解釈、感じ方、考え方は違う。
思い込みの枠にとらわれて、自分の見方が正しいかどうか疑うことをやめてしまったら、隠れた事実を見逃す危険性がある。
知らないということを知る。

知っているつもりで済まさない。
まずは、自分の感覚を十分に使い意識して観る。
その後に外部からの情報を素直に受け入れる。
得た情報を整理し、再び自分の感性でよく観て解読する。
それが知る(理解する)ということ。

アーサー・コナン・ドイルは
医学生だった頃、
卓越した観察力で、面識のない外来患者の症状や習慣、趣味や職業までも
立て板に水を流すような話し方で言い当てていた
外科教授のジョセフ・ビル博士の業に魅了されていた。
この博士がモデルとなり「名探偵シャーロック・ホームズ」が誕生した。

「見慣れたことでもいつも新たな発見をしていく意識を持って、よく観る」
といった経験を積めば、
漠然とした理想や専門的な知識の枠に縛られなくなる。
新鮮に感じる気づきは、脳の機能を開放させる。
だから賢者は、散歩や芸術を習慣にしてきた。

脳を休める情緒思考文化である日本の絵巻物、浮世絵、漫画・アニメのルーツといえる『鳥獣人物戯画絵巻』。
平安時代後期から鎌倉時代までの800年間をかけて、無名の僧侶たちによって庶民の日常生活が、擬人化された動物キャラクターで描かれた。

感覚や創造性を磨くことが現代社会で見直されてきている。
「デッサン力」があるということは絵の上手い下手の違いではなく
情報を収集する力や伝達する能力
物事の本質や構造を見極められること
構想している計画や企画を伝えられる能力のこと。

アイデアが先ではない。
まずは、強い思いがあって大切なことに気づき、
掘り当てた情報の新鮮な組み合わせで
不快が快に変わる新しい価値を生み出す。
強い思いが、ビジョンに変わり創造となる。
だから、誰かを思うことからすべては動き出す。

何か才能や技術がないと創作、表現をすることが出来ないと勘違いをしている方がたくさんいる。絵にしても小説にしても遊びにしても大切なのは突き動かす衝動であり、その衝動を誰かに伝えたいという欲求があること。

世界で初めて、降る雨を線で描いて可視化した広重。
世の中に動画というものがない時代に動画的な視点で描いていた絵描きがいた。
宗達、広重、北斎、若冲…
日本の絵師たちは、瞬間を捉えるのではなく時間の流れを捉える映像を描いていた。

オフィーリア
背景に描写される草花には象徴的な意味が込められている。
ヤナギは見捨てられた愛、イラクサは苦悩、ヒナギクは無垢、パンジーは愛の虚しさ、首飾りのスミレは誠実・純潔・夭折(ようせつ:若死に)、ケシの花は死を意味している。

西洋絵画の色ルール
赤=慈愛・殉教・権力
黄=異端者・邪悪さ
白=純潔・無垢
黒=禁欲・死
緑=希望・恋
青=誠実さ・悲しみ
多色、縞=社会の規範を乱す者

日本人を見直す言葉。
坂東玉三郎氏の芸の目的は「お客様に生きていてよかったとおもっていただくこと」


好きなことが才能

2017年01月23日 16時18分31秒 | 日記
好きなことが才能。
続けられることが実力。
癖は魅力。
磨かれた感覚が、幸せを見つける力になる。
誰もがやっていること、できることでも
自分らしい新鮮な組み合わせで
相対性を実感し充実した時間を過ごせる。
自分という人間は自分だけ。

楽しいことが才能。
継続すること、継続してしまうことが重要で、何よりも説得力がある。
目的意識ではなく、そうしたいからしてしまうこと、
自分を突き動かしている「欲求・衝動」を与えられたものだと考えると
寸暇を惜しんでやってしまう好きなこと楽しいことが才能。

思い出す大切な言葉。
「型ができていない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。」
「型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか?」 
立川談志

江戸時代はプチ氷河期だった。
現代のような暖房設備もない中、今では考えられない薄着で過ごしていた。
極寒の中、粋に生きていた。
不快に感じてしまうことが、実は自分を守ってくれている。
そんな不快を風情にして、快に転じる価値転換文化を
日本人は、長い時間と手間をかけてつくってきた。

未来のことを知っている人はいない。
だから
先のことは自分で決めればいい。

日本人は、不快を快に転じることのできる文化を持っている。 西洋の画家たちを驚かせた浮世絵師 広重の雨の表現。 当時、線で雨を視覚化する発想はなかった。今、当たり前のものとしてみている、感じていることは先人が気づかせてくれた。

道端の草木や石ころに心を引かれる人もいる。
好きなことで楽しむと感覚は磨かれていく。
「そんなことで」
その人によって心が揺さぶられるものは違う。
幸せは、頭で考えるものではなく心と体で感じるもの。
五感を意識して使うと気分がいい。

みんな「あれもできないし、これもできない」
実は「これもできるし、あれもできるようになっている」と考えて、
今の自分も相手も褒めてあげた方が、上を向いて前進できる。

モネの想いが込められた3枚の絵『日傘をさす女』
妻と子と過ごす時間、溢れ出る幸せ、その瞬間を描いた4年後に妻はこの世を去る。
その7年後に亡き妻の面影を風景画のように描いた。顔が描かれていない。その後「人物画のルノワール、風景画のモネ」といわれたようにほとんど人物を描いていない。

ポテンシャルの高い人は、不安な点や分からないことは悩む前にすぐ調べて、集めた情報で洞察し予測し行動計画を設計する。後は迷わず問題を解決するための工夫を繰り返す。余計な心配や悩んでいる時間が少なく、目的に前向きな明快な生き方。

筋を通す人
頑固で融通が利かない人ではなく、
思い描いた目的に向かってブレずに行動している人。
真実や現実、問題に直視し
まずは具体的な理想のビジョンを思い描く。
その将来像に至るまでの筋道を立てる。
そして、他者と協働しながら問題を解決していくために
筋を通した生き方をする。

自信がなくてもいい、人ひとりの影響力を信じればいい。
「そこにいることで、周りに自分がつくられていく」のではなく
「自分がそこにいることで、周りがつくられていく」と考えて行動していた方が
どんなことにも価値をみいだせて、断然楽しい。

幸せ
幸せは、なりたくてなるものではない。
幸せは、感じるもの。
同じ状況なのに幸せを感じる人とそうでない人との違いは、
幸せを感じとる感覚が磨かれていないから、幸せだと感じない。
幸せを感じる感覚は、何かに打ち込むことで磨かれる。

普段、目にしている物事を絵に描くつもりで観てみるといろんなことに気づきだす。
絵は、思い込みや見たつもり、知っているつもりでは描けない。
物事は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、
書物と様に「読みとく」「理解」する感覚が大切。

手紙もそうだが、描く絵にはその人の気持ちが表れる。
誰かのために絵を描くことは、思いを伝えるために意外なほど効果がある。
本人が気にするほど上手さ(技巧)はそれほど問題ではなく、
言葉で説明するよりも親切に感じる。
自分のために手描きの絵を描いてもらったら
想像以上に嬉しいもの。

胎児は、お腹の中ではえら呼吸をしている。
生命の始まりである海と同じ成分(ミネラル)を含む羊水の中で泳ぐように
生物の進化を経て
生まれた瞬間から肺呼吸になる。
本能は進化の過程の記憶であり
成長の中で新たに学んでいる思考も
覚醒ではなく思い出しを繰り返していると考えると面白い。

美術館の話題の企画展は、名優が出そろった映画を観ているようだ。
いつもの常設展は
しぶめの俳優がきらりと才能をのぞかせているマニアックな映画を観ているようだ。
常設展の空間の方がプライベートビーチのような気軽さがあって落ち着く。
美術館をたまには常設展の内容で選んでみても面白い。

芸術は高尚なことではなく、日常的なこと。
「芸術から教訓は受けない。頭が賢くなるのではなく、心が豊かになる。」
「子どもたちはユーモアを求めている。人は失敗するし、失敗するものだから温かみを感じる。」
ミヒャエル・エンデのファンタジーは、
子供だけでなく
大人の心ほど豊かにする。