美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

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” デッサン ” 何を思い浮かべますか?

2012年03月06日 23時01分23秒 | 日記
『デッサン』と聞いて、あなたは何を思い浮かべますか?

絵画、インテリア、ファッション、彫刻、ルーブル美術館、印象派…などでしょうか?あるいは、思いどおりに絵を描いたり、造形できたりすることだけがデザイン&アートの魅力、威力でしょうか。
日本では、芸能スポーツに関する情報やその選手、芸能人たちの活躍は各メディアで頻繁に紹介され、社会におよぼす影響力もひろく知られていますが、デザイン&アートはあらゆる分野で活躍できる可能性を秘めながら、その威力や魅力を充分に有効利用されていないのが現状です。スポーツと同様、デザイン&アートも生活に密着したものです。また、その土地の文化に根付いたものであり、その時代を象徴するものでもあります。だからこそデザイン&アートの“芯”である『デッサン』を学ぶことで、その時代の中で生き抜く力を培っていくことができるはずなのです。

  以前、ある小学校で起きた事件のストレスにより、精神的に重いダメージを受けた児童に対して、学校に復帰させるために壁画制作でのリハビリが行われました。これは決められた図柄の指定された枠内に色(絵具)を塗っていくという単純な作業内容でしたが、皆と協力(コミュニケーション)仕合ながら一つの作品を完成させていく行為の中でデザイン&アートがもつ魅力、威力が効果的に使われていました。
また、デザイン&アートを学んでいく過程で自虐行為や過食の症状が無くなっていった人もいます。小さな出来事まであげていったらきりがありませんが、「デザイン&アート」がおよぼす人への影響力は多岐にわたり、はかり知れません。
音楽や絵画、彫刻、小説など芸術表現に限らず、あなたがデザイン&アートと考えるものなら旅行や料理、マイホーム、リフォーム、遊びとどんな表現にもあてはまるはずです。
それがデザイン&アートの“芯”である『デッサン』の魅力であり、威力です。

例えば、皆さんは絵を描くときにどのようなことを考えますか?
「観方」を意識されてことはありますか?
出来事や人などを「見る」のではなく「観る」ことが重要で、これは書物(文章)をただ眺めて「見る」だけでは意味がなく、「読んで理解する」感覚が必要なことと似ています。
デッサンの“学び“には、「理解する観方」と「視点のある観方」があります。
世の中をそのまま「写す」といった「見方」ではなく、「理解する観方」「視点のある観方」を意識できるようになると世界の感じ方が変わってきます。
すると、 “もっと“ といった「感覚的知性」への欲求が高まり、深い充実感、継続的な幸福感へとつながっていきます。
これって、ホントの話です。

デッサンは コミュニケーションツール

2012年03月06日 22時44分13秒 | 日記
一般的に「デッサン」を描く目的は造形(創造)感覚を磨くこととして捉えられている。
・絵画、彫刻などの構想をまとめるためにつくる下絵。
・絵画に含まれる形体的要素の全て【プロポーション(比例/均衝/動感)/パースペクティブ(奥行感)/構図/バリュー(明暗の調子)/シェイプ(単純化の程度)など】が含まれる。
・「デッサン力」とは「描写力」「構成力」、いわゆる「画力」「造形力」の基本。

画力、造形力を必要とするものとして、いわゆる絵画作品、彫刻作品以外にファッション画、建築パース画、映画デザイン画、まんがなどの視点や目的の違う“伝えるための道具”としてのビジュアル コミュニケーション ツールが多々ある。
・ファッション画は、服のデザインが重要なので人物自体が大切ではなく、服のイメージがよくわかる(共有できる)ように描いている。
・建築パース画は、完成(イメージ)状態がクライアントに伝わるように立体感や空間感を重視し臨場感がでるように正確なパース技法を使っている。
・映画(フィクション)のデザイン画は、テーマに沿った想定の世界を伝えなくてはいけないので、建築パース画の要素に空想的要素が入っている。建築パース画と違って、構造的に実際に飛んだり動いたりできる機能性、実用性は考えなくてもよい場合がある。
・まんがは、ストーリーが伝わる場面やキャラクター設定、その動き、展開の表現が重要になってくる。
そのほかにも写真撮影、料理、舞台、診療、ヘアメーク、プレゼンテーションなど「伝えるもの」すべてにそれらの感覚は活かされる。
このようにコミュニケーション ツールは、目的や業種によって求められる(必要となる)視点や、技法、スキルレベルが違ってくるが、「デッサン」はそれらすべてのコミュニケーションに共通する“芯”といえる感覚を磨くことができる。

デッサンって そういうもの

2012年03月06日 00時48分25秒 | 日記
「デッサン」の語源は、目的、計画、設計図、意図、企画などを意味していた。いずれその意味は「デザイン」へと展開していく。
「デザイン」が生活を“快適”にする手段、発想だとしたら、「デッサン」を学ぶことは生活を“快適にする手段”、日常を“豊かなものにしていく発想”の“素”を身につけるということになる。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、凡庸な人間は「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、感じることもなく触れ、味わうことなく食べ、体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆いていた。
あらゆる楽しみの根底には、感覚的知性を磨くという真面目な目的がある。
「デッサン」を学ぶことは、そういった感性を磨くことができる。