美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

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絵の社会貢献

2012年03月15日 23時38分44秒 | 日記
デッサンで必要な観察眼とは表面的な描写力だけではない。
観ているものがどのように存在し,光など周りからどのような影響が及ぼされているのかを読み解き,理解する力である。 この力は絵を描くことにとどまらず、社会の様々な場面で必要とされている。

デッサン力が日本の現代社会でも、あらゆる分野でその威力をまだまだ一般的にひろく発揮できると感じています。
日本では芸能スポーツに関する情報や選手、芸能人たちの活躍は各メディアで頻繁に紹介され社会におよぼす影響力も大きいが デザイン力、 アート力、 クリエ一ティビティ(創造性)は、 日本のあらゆる分野での可能性を秘めながらも まだその威力や魅力を理解され、充分に有効利用されていない。その効果の対象として、教育、医療、スポーツ、科学、政治などその可能性ははかりしれません。
その威力、効果の中にバランスの崩れた環境によってアイデンティティーを見失いかけた人の精神状態を修復し和らげる作用もあります。物事を遂行するための最良のシステムを解明できる可能性も秘めています。
デッサンで学んだことをデザイン&アートの専門分野にとどめず、ビジネスや人生の営みに関わる様々な場面で活用されることを強く望んでいます。

デッサンは、表面的な技巧だけではなく、どうしたら効果的に“伝わるか”を意識することが重要。 「上手い絵」よりも「伝わる絵」。 その意識がクオリティーの高い、充実した“ものごと”に繋がって結果的に”楽しさ、喜び”が大きいものになる。 この視点、ノウハウは生活や仕事の中でも”つぼ”。

「どんなアートをしたいですか?」

2012年03月15日 21時22分24秒 | 日記
手段(スキル:他者への説得力)
「イメージを表現できる方法、テンションが上がる行為、性分」

アートの授業で、「どんなアートをしたいですか?」という問いに対して、「写真、絵画、映画、彫刻…がしたい。」など、ほとんどの学生が「イメージ・モチベーション」ではなく「限定された制作手段」を答えてしまいます。
「どんなことがしたいですか?」と質問をかえると「冒険がしたい。日頃訪れない場所を探索したい。`基地`をつくりたい。物語をつくりたい。話題のもの、場所を調査したい。何かの役に立ちたい…」などの返答が出てきます。
それこそアートの活躍の場になっていくはずなのに答えた本人にそんな認識がないのです。

以前、パリ在住のアーティストたちと現代美術交流としてパリ市内に滞在(アーティスト・イン・レジデンス)し彼らと生活を共にしました。そのときに彼らの生活と密着した美術意識、社会でのアートの重要性、アーティストの存在の必要性、一般市民の芸術への理解や関心の高さを体感しました。
日本では、芸術教育の影響なのか、芸術に対する認識の浅さの現れなのか、一般的に芸術の鑑賞や表現の幅を限定し、しかも「表現手段」は音楽、写真、絵画、映画、彫刻 といったものの枠内で考えてしまう人がたくさんいます。
ガーデニングも料理、手紙、手編みのセーターも遊びで造った土だんご、砂の城、壁の落書き、収納など日常の中に「デザイン&アート」が溢れています。
例えば、散歩は日常的な行為だが、何か明瞭な「イメージ・モチベーション」あるいは「衝動」をもった場合、それは「表現(パフォーマンス)」となりえるでしょう。
私たちは生活を営むことですでに「デザイン&アート」に関わっているのです。あなたがやりたいと考えていること(衝動)が「デザイン&アート」の表現になりえるのです。
 
「デザイン&アート」とは、それを表現する手段のことではないと述べてきましたが例外的な見方ができる場合もあります。例えば「無形文化財」に指定されている「技」などがそうです。「技」そのものが芸術といえることがあります。
旅行にしても人とのコミュニケーション方法にしても目的達成(結果)を優先すれば、その手段(過程)は重要ではない。しかし、その過程(工程)にこだわるとしたら、その選択した工程そのものが「芸術」となりえます。なぜなら、たくさんの工程を重ねて制作される「漆塗り」などは日本の伝統工芸の「職人技」自体が芸術となる行為(表現)といえるからです。
では、デザイン&アートの「手段」は何を選べばいいのだろうか?
結論をいえば「衝動」に素直になればいいのだが、その「素直になる」ことがけっこう困難なのです。
「パートナー」みたいなもので、その選択は難しい。出会い(運命的なもの)もあれば、目的達成のために相性の合うものを探し吟味して選択する必要があるのかもしれない。いずれにしても常に自分が自然体で素直に振る舞えることが大切で、更にあきないで続けるほどにテンションが上がっていくものを選べるといいのでしょう。
ありがちですが、最初から道具や手法、技法にとらわれない方がいいでしょう。
そのためには、まず自分自身を「知る」必要があります。「自分」とはどんな存在で、どんな習性をもった「生きもの(表現者)」なのかがわからないと相性の合った「手段」はみつかりません。また、自分を知る様にその「手段」のことも末永く”共存”していくために少しは知っておく必要があるでしょう。

その「手段」があなたの「パートナー」になったとしたら、生涯を通じてきっと心強い存在になってくれるはずです。