美意識を磨く 文田聖二の『アート思考』

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人は誰でも絵は描ける。ただし自分の見ている程度に描ける

2018年05月17日 16時57分50秒 | 日記
人は誰でも絵は描ける。ただし自分の見ている程度に描ける。

『画家のパレットなぞ、何の意味もない。すべては眼できまる』 
 ピエール=オーギュスト・ルノワール

師匠から「君はなぜ描いているのだ」とかいった問いに対して「楽しいから」と答え、破門されたルノワールは、
モンマルトルのカフェで芸術論をぶつけ合い苦悩する前衛画家たちの中で幸せそうに絵を描いていた。
そんなルノワールは絵画に輝きを与えた。

絵を描くことを生涯、修行ではなく楽しみ続けた印象派の巨匠ルノワールは最後にアネモネの絵を描きました。
「ようやく何かがわかりかけた気がする。」という言葉を残し、その夜に亡くなったそうです。78歳でした。


好きなことが才能。
続けられることが実力。
癖は魅力。
磨かれた感覚が、幸せを見つける力になる。
誰もがやっていること、できることでも
自分らしい新鮮な組み合わせで相対性を実感し充実した時間を過ごせる。
自分という人間は自分だけ。

「嬉しい、楽しいは、絶対的に正しい」
感覚的知性を磨くことになる。
人工知能が、まだ人からほど遠いのは「楽しいからやる」「嬉しいからやってしまう」「誰かが喜ぶからやる」
といった感覚。生き物として大事なこと。
だから誰かが喜ぶから、自分も喜ぶから、楽しいこと嬉しいといった感覚を見直す。


第一段階(受動的)ではあくまで細部まで描かなければならない。
表現の良否ではなく、どこまで見たかということ。


第二段階(能動的積極的)では、それら不要な部分を整理し、堅牢な力強い画面をつくっていくこと。
「整理」とは真に必要なものを「選択」すること。


それぞれ学びの段階のねらい。

成長が加速し続ける。

2018年05月08日 00時08分02秒 | 日記
絵を描いたり、ものを造ったりしているときの充実感は

子供の頃、時を忘れてずっと遊んでいた時間に似ている。

思考(イメージ)と行動の繰り返しが人を成長させ、

充実させていく。

楽しいから集中し、思考量が増えて具体的な行動に移れる。

本当に欲しいものは、文化的なことで手に入れられる。


“幸せを感じるのは成長が加速する時、止まれば消える”

絵を描くことも仕上がった達成感というよりは

「もっと良くしたい、もっと描きたい」といった過程で

成長が加速し続ける。

だから画家は年をとってもボケないで長生きする人が多い。



ピカソの凄さを

2018年05月04日 19時07分04秒 | 日記
ピカソの凄さを改めて感じている。

作品性よりも芸術活動の視点を変えたところに興味をそそられる。
戦争の悲しみ、憎しみ、悔しさ、苦しさ…が表現された
『ゲルニカ』
ドイツ兵から「この絵を描いたのはお前か。」
と聞かれた近代美術の巨匠ピカソは
「この絵を描いたのは、あなたたちだ。」と答えた。

何をしたかではなく何のためにやっているのかが心に響く。

日曜画家だったアンリ・ルソー 世界的に知られる名画はすべて50過ぎに描いた作品。
生前、モンマルトの画家たちは「へたくそ」と馬鹿にしていた中 彼の才能を認めていたのがピカソ

思い込みを外す

2018年05月04日 10時10分52秒 | 日記
川の流れを止めると水が淀む、腐る。

情報を止めると思考が止まる。
その状態が、思い込み。
情報の思い込みで判断すると不安で辛くなる。
思い込みを取り除くと思考が機能する。
思考量を増やし、情報を常に選択し、その流れを止めない方がいい。
大抵の思い込みは、自分で気づかないから厄介。

普段、目にしている物事を絵に描くつもりで観てみるといろんなことに気づきだす。
絵は、思い込みや見たつもり、知っているつもりでは描けない。
物事は「見る」のではなく「観る」ことが重要で、
書物と様に「読みとく」「理解」する感覚が大切。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、凡庸な人間は
「注意散漫に眺め、聞くとはなしに聞き、じることもなく触れ、味わうことなく食べ、
体を意識せずに動き、香りに気づくことなく呼吸し、考えずに歩いている」と嘆いて、
あらゆる楽しみの根底には「感覚的知性」を磨くといった真面目な目的があると提唱していた。
本を読んだり、庭いじりをしたり、絵画を学ぶことやイラストやマンガを描くことも音楽、
スポーツ、料理、旅行…そういった時間を過ごしたくなることが、
感性を磨く「楽しさ」のひとつ。