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『コハダの白子』『ガラスのまな板』『入魂のゲソ焼き』『トリ貝と沈丁花』

2016-11-11 00:00:00 | いろいろ おかみノート

おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。今まで見たり聞いたり体験した
寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。

『 コハダの白子 』
冬場にしか食べられないものが赤貝の肝ならば、コハダの白子は春先限定のお楽しみと言える。
大きいコハダにしかない白子。
しかも白子なのでオスしか持ってない。
一日の仕入れは六~八尾。そのうちオス約半分。
小指の先ほどの、いやもっと小さい、真っ白な白子。
その日、幸運に当たったお客様は珍味と称して、その豆皿に入った平たい真珠を召し上がっていただくことになる。真珠は少し言い過ぎか。
ポン酢・浅葱・紅葉おろしが、おままごとのように豆皿に入れられ、その中でペラペラと白子が泳いでいる。
「意外とあっさりしてるね」
こうおっしゃるお客様は多い。
主人が十八才の頃、実家でコハダの仕込みをしていた時に二つ上の兄から白子が食べられることを教わったという。
兄はその頃もう日本橋の老舗の寿司屋で板前として活躍していた。
「あの頃、オレはまだ掃除と出前が中心の生活でコハダやアジを仕込ませてもらうだけで嬉しかったから白子のことなんて考える余裕もなかったよ」
使い込んだ出刃の先でコハダの腹をさばきながら主人は言った。

『 ガラスのまな板 』
開店当初からずっと欲しいと思っていた道具にガラスのまな板というのがあった。
とり貝を貝からむき出し木や他の素材のまな板の上であれこれ動かすと、まな板のわずかにザラザラしているところととり貝のお歯黒という黒い部分が擦れて色が落ちてしまって商品価値が下がってしまうから、ガラス素材のものが欲しいんだと主人は言っていた。
とは言ってもガラスのまな板は無いので、普通のまな板の上にラップを敷いてなんとか凌いでいた。
このラップ方式にはやや難があった。とり貝をさばいた後のワタとラップがセットになって洗い場担当の私に来るのだが、本当は燃えるゴミと燃えないゴミに分別しなくてはいけないところをついつい生ゴミの落ちるところへ一緒くたに入れてしまうのだ。
とり貝はご注文を受けてからむくので、一日に五~六回は分別ルールを無視することになる。
生ゴミの中にビニールを混ぜて捨てることよりもっと後ろめたいことは人生において相当している。けれど、これがなんかやなのだ。
でも、もうそんな日々も終わりだ。
おかみノートで「トリ貝と沈丁花」を書き終えた時、これからは主人がとり貝をさばく場面が注目されるだろうと予想し、ガラスのまな板をついに特注することを決めた。
実は注文する店は一年くらい前からチェックしていた。
奥を覗くと薄暗い作業場が見える近所のガラス屋さんで、よく前を自転車で通っては様子を窺ってきた。
しかし値段が分らない。一枚いくらするのか。
私の予想では850円だった。
というのも店の脇に立てかけてあるジャマそうなガラスの切れっ端がちょうどまな板の何枚分かあり、捨てるにはナンだから置いてますみたいな屑ガラスオーラを放っていたからだ。
捨てるよりは売れたほうがいい。ガラス屋さんの立場に立って手数料を考えると850円・・・そんなものかなと思っていた。
「あの~、すいません。近くで寿司屋をやっているものですが・・」
奥から作業着姿のご主人が登場した。
「あの、とり貝をさばく時にガラスのまな板が必要でして、二枚くらい作って貰えませんでしょうか」
「えっ、何、とり貝さばくのに使うの?」
「はい、えーっと、黒い部分が落ちないようにですね、その~」
「なんだかわかんないけど、いいよ。フチを手ぇ切んないようにまぁるく仕上げりゃいいでしょ。どのくらいの大きさ?何センチか言って」
「えっと・・じゃぁ、30センチ20センチで2枚お願いします」
「あそ。で、包丁当てんでしょ、つるつる過ぎると包丁の傷がついてかえってひっかかりが出来ちゃうから、表面つるつる、裏が加工の細かーいザラザラ、それだとどっちかの面でいけるでしょ。すごくいいガラスだから、まぁこれなら傷もつき難いと思うけどね」
「じゃあ、それでお願いします」
店の名刺を渡し、翌日取りに行く約束をした。

「もうバッチリ!!!絶対すごいまな板が来るからねっ」
興奮して店に戻り主人に報告した。
「でもさ、値段聞いてきた?」
痛いところを突かれた。私もそれがひっかかっていた。
「なんかさ、特注ってさ、聞けないんだよ。それ聞いちゃヤボな感じするじゃん、勢いみたいなものもあるしさ」
「そりゃそうだけど」
「だーいじょうぶだよ。そんなにしないよ。明日とってくるから」
主人に言われてなんとなく850円説は揺らぎ始め、最悪のケースを想定して一枚5000円×二枚分の1万円とあと万々が一のためにもう少し用意してガラス屋さんに行った。
「昨日お願いしていた者ですが・・」
「あぁ、出来てますよ」
新聞紙に包まれた30センチ×20センチの特注ガラスのまな板はずっしりと、とても心地いい重みだった。淡いグリーンの混ざったガラスを眺めながらジーンとなった。これがオリジナルのまな板か・・
角なんか丁寧にまぁるく削ってあって素晴らしいっ。
感動している場合じゃない、お会計だ。
「えっと、おいくらになりますか」
ついにきた。この時がきた。領収書を持ってご主人がやって来た。
「二枚で6000円になります」
ガーン!一枚3000円。なんだ850円って!もうバカか~
私の心の動きを察知したご主人が言った。
「このガラスね、すごくいいものなんですよ。でね、割っちゃうとアレだから、もう一枚同じの作っときましたから、二枚で6000円なんだけど一枚余分に作っときましたからどうぞ」
さらに特別なガラスの種類なんだということをとても丁寧に説明してくれた。
ご主人としては、本当は一枚3000円じゃ済まないところを大きくおまけしてあげてて、なおかつ一枚余分に作ってあるんだからそんなにショックを受けないでおくれよ・・という気遣いがあるのだと思った。
勝手にゴミに出す前のガラスだと思っていたそれらは大事に扱っている立派な商品だったのだ。ごめんなさい、ガラス屋さん。
特注品というのは、金額の大小で一喜一憂するような人間が足を踏み入れちゃいけない領域なのだなぁと、改めてわかった。
ふと見るとガラス屋さんの時計は五時半を回っていた。
<早く主人に見せなくちゃ>
カゴから斜めに出ているまな板が落ちないように気を付けながら自転車のペダルを漕いだ。

『 入魂のゲソ焼き 』
夕方、カウンターを拭きながら主人に話しかけた。
「きのうお客さまに“ここのゲソ焼きはうまいね”って褒められてたよね」 
「それはね・・」
アルコール除菌スプレーを厨房の作業台やその周りに噴霧しながら少し考えるようにして主人は続けた。
「言われたことがあるんだよね」
今度はきつく絞ったサラシでまな板を拭き始めた。
「鮨雅に勤めてた時にね、お客さんに怒られたんだ。“手を抜かないでちゃんと焼け!”って」
「へぇー、そんなことがあったんだ」
「その時さ、下っ端だったから同時に四つくらいのことをやらなきゃならなかったんだよ。巻き物やりながら裏の厨房のお吸い物のようすを見に行ったり、出前が入ったら握って届ける準備をしたり」
「うわ、すごいね」
「いや普通だけどね。その時、イカのゲソ焼きの注文が入って」
「うん」
「網にのせて中火・・うーん、弱火だったかな。そのまま別のこといろいろしてて、けっこう焦げ焦げになっちゃったのね」
「あらー」
「で、ブツブツ切ってそのまま出したらものすごい怒られた」
「ありゃりゃ~」
「“イカゲソってな、ものすごくうまいもんなんだぞ。俺はな、この店のゲソ焼きが好きなんだ。こんな焼き過ぎてな、ガビガビになったもん出すんじゃねぇっ!”って言われて、」
柳刃包丁を納めてあるところから出し、まな板の正面、いつもの位置に置いた。
「その時、うわ~って思って。もうそれ以来毎回必ず気合い入れて焼いてっから」
私はゲソ焼きの風景を思い出していた。
たしか強火だ。網の上でイカを躍らせるくらいガンガンに熱して金箸で何度も素早くひっくり返し、短いタイミングでまな板にあげ、食べ易い大きさに切っていたなと思った。
熱い網に生のイカが触れた瞬間に “キューン” あるいは “チュイーン” と鳴っている音だけは、洗いものをしながらでも耳に入っていた。
あの時、そんなことを考えながら焼いていたのか。
「おいしそうな焦げもあるんだけれども、イカのプリプリ感は残しつつ、火は通っているんだけれども、ガリガリに焼き過ぎない、と。そう肝に銘じてやってるから」
開店五分前。
帽子の位置が中心になっているか両手で確認しながら店の中全体に聞こえるように主人は言った。
「さ、今日もがんばりますかぁ!よろしくお願いします!!」

『 トリ貝と沈丁花 』
もうすぐトリ貝の季節がやってくる。
殻に入ったままのものを仕入れ、ご注文をいただいたときにその場でさばき、剥きたてのおいしさを味わっていただく。
毎年たのしみにしているお客様は多い。
トリ貝の黒は “お歯黒” と呼ばれ、この色が落ちた貝は値打ちが下がる。
ザラザラしたまな板では摩擦で落ちてしまうため、ラップを敷いた上か、ガラスの板の上でさばく。
二月、まだはしりのトリ貝は殻も身も華奢で、殻の内側は薄墨を流した桜貝のような色をしている。
だんだんと成長し、身がはちきれんばかりになってくると春だなぁと思う。
梅雨入り前くらいまでネタケースに上るだろうか。
トリのくちばしに形が似ているからトリ貝だとか、鶏肉に味が似ているからトリ貝だとかいろいろ言われているが私の関心は別のところにある。
昨年の二月、通り道で咲き始めた沈丁花を見たとき、はなびらとトリ貝の殻の内側が登場の時期を同じくして色も似ているということに気付き、この一年そのことを思い出しては、にんまりとしていた。
店までの通り道、沈丁花のつぼみの具合を見ながらトリ貝の登場を待っている。



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