おかみノート
主人の実家はお寿司屋さん。私はなんにも知らないドシロウト。今まで見たり聞いたり体験した
寿司屋のいろんなことを書いておきたいと思います。
『 あさりメンチ 』
子供の頃、あさりメンチをよく食べた。
昭和四十年代の習志野の海は貝がたくさん掘れた。
潮干狩りの入場料を払うと配られる濃いブルーの網に父は半日かけてあさりを獲り、ちぎれそうになった網を引きずりながら自転車のカゴに載せ帰ってくる。
待ち構えていた母はすでに“貝むき体制”を整えており、ちゃぶ台で父と母、夜中までひたすらあさりをむき身にしていたのを覚えている。
どんぶり二杯分くらいのあさりのむき身をまな板の上で細かく叩く。そこにメリケン粉・塩・胡椒・ほんの少しのカレー粉を混ぜ、メンチかつのように衣をつけて揚げる。
熱いうちに食べるのは夕飯のときで、父はビールのつまみで、兄と私はご飯のおかずにした。
いっぱい余っているため、次の日の朝ごはんもあさりメンチになる。
電子レンジなどない時代である。冷えたメンチを焼き網に載せて焼いてみたところで芯は温まらず、フチのみが焦げたところにソースをかけてかぶりつき熱いご飯と味噌汁を口に入れ、冷たいメンチとの温度差を埋めようとしたりした。
お客様にこの話をしたところ
「あさりメンチ、ぜひ食べてみたいもんだねぇ」
と興味を示してくださった。
いつかやってみようかなと思う。
『 大根のツマ 』
「大根のツマはね、包丁を高く振り下ろして切らないとおいしくないって知ってる?」
「え!何それ、どういうこと」
私のいつもの過剰反応に主人は苦笑しながらカツラ向きにした大根を七~八枚重ねて切って見せてくれた。
「高くって言うよりも動きを大きくしてスパッスパッて切る感じかな。チョボチョボ切ってると同じ大根でもあんまりうまくないんだよ」
「えー、マジっすかー。食べ比べてみたいなー」
大きく振り下ろして切ったもの、大根から擦れ擦れのところで小さく振り下ろして切ったもの、二種類を別々に水に晒してから水気を切ってお皿に盛り差し出した。
「はいどうぞ。断面が立ってるからね、大きく動かしたほうは」
顔を近付けて見ると、どちらもマッチ棒の四分の一くらいの太さなのに角々があり、でもどっちがどうというのは肉眼ではわからなかった。
「どれどれ、じゃ試食といきますか・・」
醤油もつけないでそのまま数本ずつ食べてみた。
「・・・・あー、全然違う。これ、ひょっとしたら目隠ししてもわかるかも」
私が見ていないところで小皿に盛り分け、シャッフルしてもらってから食べてみた。
「若干自信ないけど・・・大きい動きのほうがこっち!」
「ファイナルアンサー?」
「・・・ファイナルアンサー」
「・・・・・」
「・・・・・」
「正解ッ!!」
「どぅおぉぉ~、ハズレたかと思った~」
「はははは」
「・・・これさ、味もそうだけどちょっと時間が経つと見た目でわかっちゃうかもね。ツヤの保ち方が全然違うもん。包丁を小さく動かして切ったほうが白っぽくなるの早い」
すると主人が言った。
「刺身もそうなんだけど、野菜も断面がスパッて切れてるかどうかで味が違っちゃうんだよね」
「へー、そうなんだ」
「ツマがおいしいって言ってもらえると嬉しいよね。まぁふつうの寿司屋なのに機械で剥いているところはまずないと思うけど、やっぱり手でやってるとうまいんだよ」
こちらを向いたまま包丁がリズムを刻んでいる。
「あのさ、手元を見ないでもずーっと切れるの?」
「目ぇつぶってても切れるよ、ほら」
スッタスッタと包丁は動いていく。
「もう身体に染み付いてるからね」
スッタスッタスッタスッタ。
「若いコに任せちゃえば多少腕は鈍るのかもしれないけど」
スッタスッタスッタ。
「オレひとりだし。全部納得いくようにやりたいし」
スッタスッタ。
「まぁ人を教えないと成長しないよって言われそうだけどね」
端まで切り終えると、たらいに張った水にツマは放たれた。
ザルにあけ、ほどよく水気が切られたツマは光っていた。
『 中落ち 』
帰省した日の夜、義父が私に
「おう、やるか」
と言った。
グラスを持って飲む仕草を何度もしている。
「じゃ、やりますか」
私もキライなほうではないので即座に反応する。
何回か帰省して気付いたのは、義父と私のコミュニケーションツールは “酒” だということだった。
私は店の冷蔵庫から中ジョッキを二つ取り、ビールサーバーからめいっぱい注いでカウンターに持ってくる。義父は厨房からいそいそと小鉢にてんこ盛りにした何かを持ってきた。
「これ、俺は一番好きなんだ。で、白いネギをどばっとな。たまんないんだわ、これが」
見ると白身の刺身を細かくしてぐちゃんと混ぜたような感じのものだった。
「なんですか、これ」
「鯛とヒラメの中落ちだ。骨についてる身はほんとおいしいの。スプーンでこう、ガーっとこそぎ落とすんだ。いちいち醤油つけるのめんどくせえからぶっかけちまうべな」
ワサビと白ネギをのせた中落ちの上に醤油をかけて、鉢からこぼれないようにしながらかき混ぜて食べた。
けっこう脂が乗っていておいしかった。
なんせ白いネギが効いていた。
『 まな板を前にして 』
まな板は
実家の近くにある製材所の皆さんが啓三の開店祝いにと
実家のそばに立っていたポプラの大木を伐り倒して作ってくれたものだった
開店して初めての冬
主人の父が亡くなり
店の片付けもほとんどしないまま駆けつけ
一週間ほどして戻ったら
まな板は裂けていた
主人は動揺しながら熱湯をかけた
真ん中まで割れたものは
水を掛けようが
手で強く寄せてみようが戻るはずもなく
お世話になっている大工さんに
両側からボルトを入れて
直してもらった
よく刃があたるところには窪みが出来る
その都度表面を削って使ってきた
これ以上削るとボルトが出てきてしまうということで
今日新しいまな板に交代する
岐阜から届いた荷を解き
緩衝材を剥がして出てきたほの白く重い板は
ツンとして清潔な匂いがした
送り状の備考欄には木曾ヒノキとあった
空いたダンボールに今までのまな板を包んで
家に持ち帰ることにした
ガムテープを貼りながらこのまな板に心の中でお礼を言って
新しいまな板によろしくお願いしますと
気持ちを込めた