子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

私の娯楽 ”春と夏” の遊び

2007年10月30日 | 職場に於ける私の工夫 1
私が20才から、29才までの娯楽(遊び事)です。
 年代は、昭和25年(1950)から--昭和34年(1960)までの事で、
 戦後の復興期の頃、東京も賑わいを増してきました。

 A.”我が家の状況”(前文に書きましたので、今回は簡略に)
  ア・家庭は貧しいが、子沢山でした。
  イ・親父の時代の世間の家庭では、「子供は宝」「生めよ、増やせよ。」と言う時代で。
  エ・明治26年生まれの職人の親父で、子供が7人。
               「女・男・男・男・男・女・女」です。
   ・長女は、大正6年生まれ、最後の女子は昭和10年生まれです。
  オ・私は、男の四番目(四男)で昭和5年生まれです。

 
 B.《諺・ことわざを2つ3つ》
  a{貧乏人の子沢山」
    (子供を養育する余裕のない貧乏人に、とかく子供が多いということ。)
  b「千の倉より子は宝」
    (多くの財よりも子供は大切であるということで、子供は何事にもかえ難い最高の宝だということ。)
  c「三人子持ちは笑うて暮らす」
      (子供の数は、三人が多からず少なからずちようどよいいうことのたとえ)


 C。私の娯楽 遊び事 ”春”の遊び

  ア・早春の4月は、「桜の花見」に始まる。
  イ・我が家から近い花見場所は、「上野のお山」だろう。

  ウ・高校時代の友人に声をかけて、4^5人で花見によく行った。
  エ・お互いの無事を確認し合い、20才過ぎてからの経緯を話しながら、
    桜の花の下で酒を酌み交わしながらの話は尽きない。

  オ・偶に勤務先の女子職員を数人誘い同行すると、さらに話が盛りあがる。
  カ・私などは、毎日女子職員を職場でみていて、人柄など多少知っているが
           以前の夜間高校の学友は女性職員に興味深深である。
  キ・学友達も女子職員が来ると言うと喜ぶ。
  ク・今の時代でいう、合コンかな。

  ケ・女子職員を誘い出すのにも、普段の勤務状況と品格が良くなければ付いてこないぞ。
  コ・私事だが、職場での遊びごとをやる時には、若手の男女職員に何時も声をかけていることが肝要だ。
  サ・それも、常に色気なしでやることを要するぞ。  
  シ・男女平等で、会費も割り勘でやる、と事前に女子にも言って置く。
  ソ・最初の支店長が職場で言われた「男女関係はご法度だぞ。」の言葉が私の耳の底に常に残っている。

  ナ・男女関係に「硬派と軟派」という分け方があるというが、私はどちらかと言えば、硬派だ。
    職場では、女子職員に用事以外はたやすく声を掛けられない性分だ。

 D.5月 ハイキング

  ア。5月に入ると「山歩き・ハイキング」が主流になる。

  イ・勤めの関係から、「アルプスなど高山」は日程に余裕が無いので行きたくても行けない。
  ウ・必然的に、行けるのは「関東周辺地区の低山」が目標だ。
  エ・手始めに「高尾山」から始めて、「陣場山」「丹沢山塊」「八ヶ岳」「箱根山塊」「秩父山塊」「奥多摩」と、
    朝の一番電車を使って日曜日によく日帰りで出かけた。

  オ・山で出会う「小さな花」がこの時期には可憐で美しい。
  カ・でも、その場で「花」の名前を覚えても、一日経つと忘れてしまう。
       「小さい花」が可愛そうだよと言われるが、どうしても覚えられない私がいる。

 
 E. ”尾瀬”

  キ・5月末から、6月に入る頃”「尾瀬」”が私の心を揺さぶり誘惑し、むずむずして来る。

  ク・尾瀬は、高校の時から学友と毎年登山しているので、まず声を掛けて一緒に出かけるのは、学友だ。
  ケ・学友が都合がつかない時には、職場で2才年下の男子職員が登山が好きと言うので、彼を誘う。
  コ・尾瀬から帰って来て、職場の彼と尾瀬の反省と楽しみを昼休みに食堂でしていると、
    女子職員が今度は私達も誘ってと言う。

  サ・しかし、「尾瀬登山」は夜行列車で出かけて、山小屋に一泊でないと無理なので、迂闊には誘えない。
  シ・それに、登山靴や服装などの装備が要る。カッパも水筒もだ。
  ス・山頂は、2000メートル級だぞ。
 
  セ・まず、ハイキングで、女子職員の実力を試してからでないと、誘わないと私は心に決めた。
  ソ・尾瀬は、8月末まで登山できる。その時期によって咲く花もいろいろで美しく見事だからな。
     早春の「水芭蕉」も清楚な白で見事だ。

    尾瀬ヶ原一面に見渡す限り、黄色い花が咲く「日光きすげ」もまた見事だ。
    女子職員を誘うのは、急ぐ必要は無い。
  ナ・尾瀬には、毎年3回は行った。日程に都合がつけばさらに行きたいと思う。

  
 F.”海水浴”

 ア・既に「夏の遊び」にずるずると入っている。
  ウ・なんと言っても、夏の遊び事は「海水浴」と「キャンプ」だ。

  エ・まず海水浴。私の海水浴は、高校時代の学友と行くことが多かった。
  オ・女子職員も行きたがったが、何か女子と一緒だと「海の家」を選択するにも気を使うので、
    男同士のほうが何をするにも楽で楽しい。
  カ・海水浴に良く行く先は、湘南海岸だ。
    「鎌倉」「葉山」「江ノ島」「大磯・茅ヶ崎」方面が毎年殆どだ。
  キ・特に良く行ったのは、「葉山海岸」だった。
    ここは、海岸の砂浜は小さいが、近くに岩礁があり、少し泳いで渡れるので、仲間との水遊びに適していたから。

  ク・私の、泳ぎは自己流で、平泳ぎしか出来なかった。
    私が水泳を覚えた年代には、学校にプールが何処にも無いので、自己流で練習したものだ。
  ケ・クロールも盛んに練習したが、呼吸が上手くいかずに、どうしても水を飲んでしまう。

  コ・職人上がりの私ですから、体力には自信があり、平泳ぎなら相当の距離も泳げるようになっていた。
  サ・ある年、学友と「茅ヶ崎海岸」に行った、海岸から3Km位か?沖に「兜岩」があり、
    私は近くまで行って様子を見たいと思い、一人泳いで行った。

  シ・かなり泳いだが、私の目測より「兜岩」がかなり遠いということがわかり、
    途中で引き返すことにして、海岸に向かった。
  ス・海岸に向かって平泳ぎで泳いでいるのだが、一向に海岸が近くならない。

  セ・逆に海岸がやや遠くなる気がする。
  ソ・大分泳いだが、疲れてきて海水も大分飲んでしまう。
  ナ・これでは、溺れて遭難してしまう。どうも、流されているようだった。

  ニ・助かった後の話。茅ヶ崎海岸の砂浜は、打ち寄せた波が逆流となって、沖に向かって流れだしているのだそうだ。
  ヌ・このため、この海岸は遊泳禁止の海岸なのだということが後で解った。
  ネ・若気の至りと気ついたが。多少泳げるようになった罰が。

  ノ・これですっかり懲りた、これからは、砂浜で遊ぶ程度にすることにした。

    次回は「キャンプ」の話